第10話
1日の授業が終わり、夜の帳が下りる頃。
昼のように煌々とした灯りに、美しい蝶が群がっていた。
広いダンスホールは人で賑わい、喧騒にあふれ返っている。
今宵は特別。男女が互いを意識し、大人への階段を踏み出す訓練である。
ーー右後方に一人、左前方に一人
そんな人混みの中でも、一人異彩を放つアンジェリカは、闇に潜む己の敵を二人と見定めた。
ーー敵は、全てセバスチャンに任せれば良い
アンジェリカは全力でさじを投げ、今宵の舞踏会をそれなりに楽しむことに決めた。
さて、全てのさじを投げつけられたセバスチャンは、護衛の騎士に扮し会場入りする。
ーーお、敵発見
アンジェリカが見定めた敵を、セバスチャンもすぐに突き止めた。暗殺者にしては、お粗末すぎる。
あっという間に二人の敵を葬り、何くわぬ顔で舞踏会の入り口をくぐった。
舞踏会は、オーラ酔いしそうな程、色彩明媚な光景であった。
ーー全体を見ていると、吐いてしまいそう…
ぐるりと何処を見回しても、オーラだらけ。アンジェリカは、エスコート役のリオンを見つめることにした。
「あの、ソーンヒル様。俺とダンスを踊ってくれませんか?」
「ええ、もちろん」
よろしくお願いしますわ、と左手を差し出し、二人はフロアの中央に向かう。
意外にも(失礼)、リオンはダンスが上手だった。
「ダンスがお上手ですこと」
「ありがとうございます。躰を動かすことは、嫌いじゃないです」
「ふふ、ご謙遜を。私、とても踊りやすくてよ」
明るい表情でダンスを踊るアンジェリカ。リオンはその姿に釘付けである。
平凡な男に、絶世の美女。それも楽しそうにしている姿は、会場で一番奇異な光景であること、二人は気が付かなかった。
セバスチャンはそんな二人を見て、臍をかむ思いだったが、アンジェリカがオーラ酔いしていそうなことに気付き、代わりに太っちょを監視する。
すると、宴たけなわ、太っちょが動いた。バルコニーに、エスコートした女性を連れ込む。
ーーそういう、不埒な行為ばかり耳年増になって…!
所詮、太っちょは小者だ。ずさんな計画な上、自分の欲望に忠実すぎる。だが、一抹の不安が、セバスチャンの中で根強く燻っていた。
「ーーっ!いやっ……!!」
女性の小さな悲鳴が上がった。太っちょが力任せに女性の躰を撫で回している。バルコニーに男と同席した時点で、不埒な行為を受けても自業自得だと思うのだが、デビュー前の女性ならやむを得ないか、とセバスチャンは助けることにした。
「ミスター、ここは学園です。節度をお保ち下さい」
「な、何をする!」
ギリギリと音を立てて、セバスチャンは太っちょの腕を締め上げた。「離せ!」と大声でわめき、闇雲に躰を揺さぶるその姿は、まるで豚のようである。
鬱陶しいので、セバスチャンは手を離すことにした。
「き、貴様!たかが護衛が、貴族たる俺にこのような無礼など!」
「…ほう、たかが護衛、ですか…」
「ひっ!」
闇の中で蠢く毒虫のごとき瞳で、セバスチャンは太っちょを睨む。ただそれだけで、太っちょは逃げ出した。
その後ろ姿を捕縛しようとした時、スルリと女性の腕が絡まった。
「怖かったですわ…。騎士様、本当にありがとうございます…」
「いえ、職務ですから」
潤んだ瞳で見つめられ、腕に柔らかな双丘を押しつけられ、セバスチャンはウンザリする。
「お嬢様も、どうぞお気をつけ下さい」
「あの、騎士様。私怖いので、もう少し傍にいて頂けませんか…?」
「申し訳ございません。職務がありますので」
ぐいぐい迫る女性と、どんどん引いていくセバスチャンの押し問答は続く。
ダンスホールでは踊りの輪が小さくなり、軽く食事をとる男女が増えていた。
「どうぞ」
とグラスを差し出したのは、リオンだった。初めに3曲踊った後、互いに別の生徒とダンスをする。アンジェリカは、一息つこうと輪を離れて座っている最中だった。
「ありがとう存じます」
「お疲れ様です」
小さく乾杯し、談笑する。チラと周りを見ると、赤いオーラは目に付かない。アンジェリカはふっと息を吐いて、グラスを飲み干した。
「最後にもう一度、ダンスをお誘いしてもよろしいでしょうか」
「よろしくてよ、ミスター」
そして二人はダンスフロアに戻っていく。舞踏会も終わりに近づいていた。
「……このままで済むと思うなよ…!」
太っちょはダンスフロアに足を運ぶアンジェリカの後ろを、隠れるように追う。手頃な女を引っかけて、太っちょはアンジェリカの傍に近づいていった。
この頃、セバスチャンは女性と押し問答しながらも、徐々にアンジェリカの護衛に戻る。片腕を女性に取られつつ、警戒は怠らない。
ーーそれにしても、しつこいな…
セバスチャンは自分が女に人気があることをよく解っている。だが、それを差し引いてもめげないしつこさに、別の意図を感じ取った。
ーーそうか、囮か!
その刹那、セバスチャンはテーブルにあった肉片をつかみ取り、アンジェリカの間近に迫った太っちょに投げつけた。
「密度上昇!」
「防御!」
セバスチャンの放った肉片は、あやまたず太っちょに刺さり、深々と抉り込む。
あわせて、太っちょのナイフはリオンの放った魔法により、アンジェリカを刺すことはなかった。
「捕縛」
駆け寄ったセバスチャンは、太っちょを拘束した。鬱陶しいことこの上ないので、全身硬直化させ、うめき声すら出させない。
「何の騒ぎだ!」
教師達が騒動の中心に走ってくる。恐らく、魔法の使用を感知したからだろう。学園内では、許可無く魔法は使えない。
「ミスター・ヤードリーがソーンヒル嬢をナイフで刺そうとしたので、やむを得ず魔法を使用しました」
リオンはアンジェリカを抱きしめたまま、的確に説明していく。
アンジェリカはそれに抵抗もせず、地面に転がった太っちょを眺めて言った。
「呆気ない幕切れですわね」
セバスチャンの放った闇魔法により密度が大きくなった肉片が、ズシリと地面に落ちた。




