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天使がくれたキセキ。

作者: 藍川 琳

 なんとかイブに投稿できました! あまり誤字確認などしていないので、あったらごめんなさい。

 今回は個人的な感情をぶちまけたようなセリフが多いです。ネガティヴ発言が嫌いな方は注意してください。


 長めですが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。

 学校生活が終わった。あ、卒業したわけじゃない。終業式が終わり二学期の終わりとなり、明日からは待ちに待った「冬休み」となるだけだ。


 HRが終わると、途端にみんなが楽しそうな顔をしながら「冬休みをどう楽しむか」について話し出す。クリスマスパーティーしようね、彼氏とのデート楽しみ、初詣に着物を着て行こう、年明けの時に通話しよう、なんて言いながらこれからの時を楽しみにしている。そんな幸せそうな雰囲気に私は心が温まると同時に、悲しさを感じた。


「やっほー、聖良。やっと冬休みだね」


 肩をポンと叩かれて後ろを振り向くと、黒染めが抜けてきて蛍光灯の光でオレンジ色っぽく見える髪を下ろしている翼がいた。太陽のように笑う彼女には、黒髪よりも明るい髪色が似合うなとぼんやりと思った。


「うん、やっとだね。翼は髪の毛をまた、染めるの?」

「染める染めるー。だって私は茶色の方が似合うってカンくんが言ってくれるから。彼女として、少しでも可愛く思ってもらいたいじゃない」


 毛先をつまみ、光にすかせた髪を見つめながら心底幸せそうに笑った。自分の髪を見つめる瞳には、確かな恋情があり、そのことが羨ましく感じる。心の中にじわじわと広がる嫉妬を誤魔化すように、「はあああー」と態とらしくため息をついていつも通りにぼやいた。


「あーあ、私も彼氏が欲しいなーー」

「またそんなこと言ってー。聖良は可愛いんだから、作ろうと思えば彼氏なんていくらでも作れるじゃん」


 そういつも通りに行ってくれる翼の言葉を嬉しく感じるとともに、薄暗い感情が胸を巣食う。こうして幸せそうなカップルの話を聞いていると心が温まると同時に、彼氏のいない私としては羨ましく感じるもので。「だったら彼氏を作れば」と言われても、ただの彼氏が欲しいわけではないのだ。なんか、もっとこうドラマみたいな「最高な彼氏」が欲しいのだ。

 学生の頃に適当に付き合って、別れて、大人になったときに「あの頃は恋に恋をしてたなー」なんていうようなものじゃなくて、一生に一度くらいの「運命の相手」と付き合いたいのだ。そしてイチャイチャしたい。


「えー、だけどいい人がやっぱりいないんだもん」


 だけどもそんな乙女思考全開のことを言えるはずもなく、いつも笑ってかわすのだ。


「だーかーら、聖良の理想が高すぎるんだよ。もっと妥協、というか気になった人には積極的に行かないと始まるものも始まらないって」

「そんなこと言ったってー・・・・・・」


 気になって付き合ってみたら、実はダメ男でしたとかいうのは絶対にごめんだ。

「だったら彼氏は、できなくていいかもー」

「だからできないんじゃん」


 翼に突きつけられる現実が、胸にぐさりとささる。自分だってわかってるけど、そこは妥協できないのだ。

 態とらしく頬を膨らませて拗ねて見せると、母性溢れる笑顔で翼は私の顔を覗き込んだ。


「まあ彼氏の件はひとまず置いて置いて、28日に遊ぶ約束したのを忘れないでね?」

「忘れないよ! 彼氏のいない私の唯一の楽しみと言っていいほどの予定なんだから」


 翼の言葉に食い気味で勢い良く言うと、「だから彼氏の話から離れようよー」と笑ってくれた。そう、彼氏はいなくてもこうやって遊んでくれる友達がいるだけでいいんだ。こうやってめんどくさい性格の私に付き合ってくれる友達がいるだけ、私は幸せ者なんだ。

 そう自分に言い聞かせるかのように、その言葉を頭の中で反芻してから「うん、彼氏なんかいなくても翼がいるからいいもんね」と言って笑った。


 すると翼は口を両手で覆って肩を震わせたかと思うと、「聖良、メッッチャ好き!」と教室のど真ん中で叫んだのだった。嬉しかったけど、みんなの目線が痛かった。






  電車通学で方向が同じな翼と途中で少し寄り道、「年内最後の放課後デート」という翼の彼氏と合流するまで某コーヒー店で一緒に話しながら時間を潰した。その後無事に合流した彼氏さんに翼を渡して、もう年内に会うこともないだろうと思い随分と早い「ハッピーニューイヤー」を言ったら「早すぎる」と笑われた。

 笑われたことにも腹が立ったが、その笑顔を見た翼が軽く嫉妬して繋いだ手をさらにぎゅっと強く握りしめる瞬間を見てしまった私は彼に軽く殺意を覚えた。私を笑う奴が、こんな可愛い彼女の彼氏だなんて思うと、ね?

 だから仕返しとして、翼の繋いでいない方の手を両手で握り「28日、楽しみにしてる!」といってイチャイチャしてやった。その好きに彼を見てジロリと睨むと、苦笑いを返された。なんだよその微笑ましいものを見るような目は、子供扱いしてるんじゃないだろうか。同い年なのに。


 釈然としない思いを抱えながらも「これ以上恋人たちの邪魔はできない」とおもい、さようならをした。手を繋いだ二人に笑顔で見送られる私は、周りから見てもさぞ惨めに見えたことであろう。

 気になって少し歩いたところで後ろを振り返ると、手を繋いだまま二人は暖かい建物の中を目指して仲良く歩いているところだった。首に巻いていたマフラーを思わずぎゅっと握ると、冷たい北風が私たちの間を通り過ぎた。わたしは北風に背を押されるような形で、足を前に進めた。


 私の最寄駅から学校までのちょうど中間地点くらいにあるこの駅はこの田舎の中じゃ栄えている方で、駅から10分くらい歩いたところにあるショッピングモールは学生の溜まり場だ。特に夏や冬なんかは冷暖房が効いているため、うじゃうじゃと学生が集まってくる。友達同士や部活仲間、それから恋人同士まで。

 クリスマスまであと数日といったこの季節は、カップルが大量発生して遭遇率が高くなるため、相手がいないものは友達同士でも少し身が狭い。独り身には、辛い季節だ。


 寂しさを感じながら寒い風に吹かれながら歩いていると、心身共に本格的に冷え込んできた。思わず寒さを確かめたくなり、はぁーーっと息を吐くと白く染まった。その事実に「やっぱり寒いんだ」と再認識してしまい、余計に寒く感じた。これは失敗したな、と自分のバカさに身が震えた。


 早く駅のホームの待合室に入って、みんなの匂いの詰まった暖かい空気に包まれて温まろうと足を早めた。すれ違う人がみんな寒さに縮こまって地面を見ながら、せかせかと足を動かして歩いている。その様子を見て、「みんなこの寒さの中で考えることは、同じなのか」と同じ人間として納得した。

 この寒さの中で生きていくとか、耐えられない。原始時代の人々は洞窟の中でよく生きられたものだなー、とかよくわからないことを考えつつも下を向いて歩く。


 駅までもう少し、というところで最後の信号に引っかかってしまった。目の前にある駅の中に入って一刻でも早く温まりたいというのに。寒い風に吹かれながら待つ、数十秒という時間という時間がとても長く感じる。じっとしているのが辛くて、足を無意味に動かしたり手をすり合わせて視線を動かして寒さを紛らわせる。

 そしてやっと青へと変わった信号の光に誘われる蛾のように、ふらりと歩き出した。



 やっとの事でつた待合室はとても温かかったが、なんとも言えない人間臭さで思わず眉を顰めてしまう。息を吸えば吸うほど、その匂いが体内へと入ってきて気持ち悪さが増していく。一定量を超えればその臭さにもなれるのだろうが、その前にこの匂いによってしまいそうだった。そのため私は右手を「萌え袖」にして、そのセーターで鼻を覆うようにしてフィルターがわりにしてなんとかやり過ごす。

 入り口付近の空いてる席にスマホで時刻表と時間を確認すると、あと十分くらいで乗れる電車が来るようだった。あと十分もこの空気に耐えられるのか少し不安を覚え、本気でこの臭い空気か、寒くても澄んだ空気の方がマシかもしれないと悩んだ。けれど悩んでいる間にも時間は2分ほど進んでいたので、こう悩んでいる間に電車が来るなと思い、思考を放棄した。


 思考がひと段落ついたところで、改めて待合室を見回してみる。同じ制服を着た学生が数人と、スーツを着たサラリーマンらしき男の人が新聞を読んでいたりノートパソコンを操作していた。仕事は大変そうだなー、なんて他人事ながらに思いながらじっと見つめていたら不意に顔を上げて着たので、急いで視線を逸らした。ギリギリ目は合わなかったから良かったー、なんて思い胸をなで下ろしているとガラリと待合室の扉が開いた。空いた扉から寒い風が入ってきて、思わず身をすくめて肩を両手で抱きしめる。

 すぐに扉は閉められたが、一瞬にして温まりかけていた足元が特に冷えてしまい不機嫌になる。一体誰が入って来たのだろうと目の前を通る人影を見ると、同じクラスの遠藤学くんだった。彼は「学」という名前がぴったりだと思えるくらいに真面目そうな見た目をしている。サラサラな黒髪に、銀縁の眼鏡をかけた姿は秀才そのもの。

 その見た目だけじゃなくて、性格も真面目でいい人だ。委員長をしてはいないけど、この前の生徒会選挙で書記に無事当選した真面目くんだ。だけど頭でっかちということはなく、文化祭ではみんなと一緒にはしゃいで楽しんでいた。そう言った面を持った彼は、男女ともにとても慕われているいい人だ。彼に嫌悪感など持つ人間なんているのだろうかと思えるくらいに、いい人だと思う。


 そんな彼は最寄駅が一緒のようで、よく登下校の時に電車で見かける。だからと言って特別親しいわけではないけれど、見かけた時には少し世間話をする程度。


ーーほら、こうして目があったら眼鏡の奥にある瞳を細めてこう、声をかけてくれるのだ。


「よっ、岩倉。久しぶりだな」


 通り過ぎる、そう思ったがくるりと振り返って右手を上げて声をかけてくれた。ちゃんと私の存在に気づいてくれたこと、また声をかけてくれたことが嬉しくて、口角を上げながら右手を振り返す。


「お久しぶり、遠藤くん」


  すると途端に様々な人間の匂いが混ざった空気が鼻の中に入り、「うぐっ」と顔面を歪める。その様を真正面から見ていた遠藤くんが、「ぷはっ」と笑った。その事実に私は穴があったら入りたい気分になったが、穴がなかったため顔で手を覆った。肌という肌が真っ赤に染まっていく肌に、気づきたくなくても気づいてしまい心臓がどくどくと速く脈打つ。

 全身が真っ赤に染まるほど体温が上がってしまった私には、暖房の風が逆に暑く、汗をかいてしまうように感じた。いや、実際は冷や汗ってやつなんでしょうけどね。


「あ、と。ちょっと外に出ませんか?」


 待合室の中での会話は聞きたくなくても聞こえてしまうものなので、気恥ずかしい私はこの部屋を出てしまいたかった。それに身体は沸騰したヤカンみたいに温まったし、臭い温風が不必要となった私としては、一刻も早くここから出たかった。

 寒い空間に行こうと非常に悪条件な提案をしているため、下手になり自然と敬語で問いかけた。軽く挙動不審になっている私に一切変な目を向けずに「いいよ」と言ってくれる遠藤くんは、ええ人やー、と再実感した。



 その後「いかに待合室が臭いか」という話をしていたら電車が来て、電車内でも続きを話していたらあっという間に降りる駅に着いた。


 寒いのが苦手な私はマフラーと手袋、手に耳あてを持ってホームへと降り立った。その様子を見て、「岩倉さんって、本当に寒がりだよね」と呟いていた。が無視した。


 ホームから駐輪場に向けて一歩進むとともに、電車の中でせっかく温まった熱がどんどん逃げていき、緩んだ筋肉が再び固まり始める。なんとも言えないこの不快感に「寒い、寒い」と呪詛のように呟く。遠藤くんは、やはり隣で苦笑いしていた。


 駐輪場から入ってすぐのところにはシャッターの閉められた券売機と窓口がある。数年前に無人駅となったこの駅ではもう馴染みの光景だ。そのシャッターの前には大きな待合室があるが、もちろん暖房なんて付いているはずもなく、扉もなく吹き曝しの入り口は冷気しか運んでこない。そんな場所に小学生らしき女の子が、ちょこんとお行儀悪く体育座りでベンチに座っていた。

 女の子は髪を下ろして、雪の結晶の模様が端の方に散らばっている白色のマフラーを巻いていた。水色のロングのダウンコートは暖かそうに見えるが、したがデニムのショートパンツにタイツという組み合わせだったので「寒いだろうな」と思えた。手は雪だるまみたいな白い手袋をしていたが、手に力を入れて膝を抱えている様子がうかがえた。


 そんな少女をよく見ると、目が赤くなっており「泣いた後である」ということがわかった。なぜだか私は目が話せなくなり、その少女のことが放って置けなくて、気がついたら女の子に声をかけていた。


「ねえ、誰かを待っているの?」


 女の子の前に止まり、しゃがみこんで女の子の顔を除くと潤んだ瞳を瞬かせて驚いた顔をした。心細かったであろう少女は顔をくしゃりと歪ませたかと思うと、隣に立つ遠藤くんを見た途端に警戒心を顕にした。


「・・・・・・、誰も、待ってません。お兄さんたちは、誰?」


 その言葉を聞いて、背の高い遠藤くんを見て「怪しい人じゃないか、やばいやつじゃないか」と警戒されたことが分かった。小学生から見たら、私たちも十分大人に見える。ましてや遠藤くんはコートを着て、ブレザーなんかが見えない状態だったらスーツを着た大人の人に見えなくもないだろう。そして、弱っているときに見上げる男の人は、否応無しに怖く見えてしまう。

 そのため彼女は途端に警戒をしたのだろうと憶測できて、何故か笑みがこぼれた。


 私はその警戒心をなんとか解こうと、落ち着かせようと女の子の頭を撫でてゆっくりと説明した。


「私たちはね、この電車を乗って高校に行ってる高校生だよ。このお兄ちゃんは、私のお友達で優しい人だから大丈夫。誘拐だとか、そんなことしないよ」


 そう語りかけるかのように言い、こちらを不安そうに見つめる顔に努めて優しく笑いかける。大丈夫、大丈夫だよ。その想いを乗せて、女の子の小さな頭をするりと撫でる。

 女の子は戸惑ったかのように目をさ迷わせて、手足をモジモジ動かし始めた。全く知らない人からこんな風に声をかけられても、戸惑うだけだよね。どうしたものかと思い、一人どうしようか唸っていると隣に誰かがしゃがむ気配がした。横を見ると、やはり遠藤くんがいた。


「ねえ、俺たちこれから公園で遊ぶ予定だったんだけど、よかったら俺たちと一緒に遊んでくれないかな」


 遠藤くんからつげられた身に覚えのない約束に驚いて、思わず「え」と声を出してしまった。すると二人の視線が私に集まり、女の子はひどく不安そうに瞳を揺らしていた。遠藤くんからは、余計なことを言うなと言わんばかりに睨まれた。うう、空気読めなくてすみません、黙って成り行きを見ています。

 その意思を示す行動として口を手で覆うと、子供を見るような目で見られた。子供は私じゃなくて、目の前にいる女の子の方だよー、間違えないでーー。

 その想いが伝わったのか、「はあああー」と態とらしく息を吐いた遠藤くんは再び女の子の方に向き直る。


「あのね、俺たちの関係はこんなんなんだけど、年頃の男女が二人で遊んでいるとそれだけでカップルだと思われちゃうんだよね。本当は遊びたいところだけど、カップルだとか噂されるのは嫌だから、君がいてくれるとそうならなくていいかなって思っただけだよ」


 その言葉に少しどきりとする。二人でいるとカップルに間違われる、それが嫌だと? 確かに嫌だが、ほぼ面と向かって言われると傷つくものがある。というか赤の他人の、しかも子供にこんな話してどうするのか。「知るかよ」としか言えないだろう。

 そう思って女の子を見たら、予想と違って女の子の瞳が少しきらきらしていた。


「二人は友達以上、恋人未満の関係なの?」

「んー、友達ならそんなことを気にせずに遊んでるよ」

「ちょっと! それは友達ですらないということですか、私たちお友達じゃなかったのですか!」


 遠藤くんのまさかの「友達だったらもっと親しい」発言は、私の心を大いに傷つけた。互いに友達が周りにいない時に限り、話して寂しさを紛らわせていた仲だというのに。友達だと思われていなかったのか、てか明らかに暇つぶしの相手か?

 まさかの新事実に行き着いて、私は大いにショックを受ける。その様子を見た二人が、「お姉さんは、鈍いのね」「どうしてそっちに行くのかなー、思春期の繊細な乙女心を持っていないのかなー」なんて言ってるが、私の頭の中は「友達じゃないのかも」ということで頭がいっぱいで右から左に受け流される。


 私がショックを受け止めきれずにいる中、女の子は「よーーーし」と言ってぴょんっとベンチから立ち上がって私たちの方を指差す。


「わかった! かわいそうなお姉ちゃんのために、私が一緒に遊んであげる」

「ねえちょっと待ってよ、その笑顔といい仕草といい可愛いんだけど、発言はかなり辛辣ですよ。友達が少ない私のために、友達を作ってくれようとするのはありがたいんだけど」

「そうかそうか、ありがとう。君はとっても優しくて気遣い屋さんな素晴らしい子だ」


 遠藤くんは「よしよし」と言いながら女の子の頭を撫でると、「えへへ」と嬉しそうに笑った。その顔には先ほどまでの警戒心は無くなっていて「よかった」とおもウと同時に、二人だけで通じ合っている感じが、私を「仲間はずれだ」と言っているかのようでモヤモヤする。


「ちょっと、二人とも私をのけ者にしない!」

「のけ者にはしてないよ」

「お姉さんが鈍いのが悪いんだよ」


 そう言って二人で目を見合わせて「ねー」と小首を傾げる様子は、まるで兄妹のよう。思い切りの獣にしてないか? そして遠藤くん、そのノリは完全に女子だよね。君のそのノリの良さには脱帽するよ。

 もうこれは分かり合えないと諦めた私は、話題を変えることにした。


「それじゃ、本当に公園に遊びに行くの? どこの公園に」

「あーー、ここから15分くらい歩くと小さい公園があるからそこにしよう」

「え、そんな場所あったっけ」

「ほら、あそこだよ。石屋とバスセンターが近くにある」

「あそこね、了解」


 実は同じ駅で降りている私たちだが、学校は違って学区でいえば二つお隣の学区に住んでいる。駅は遠藤くんの学区の近くにあって、私の最寄駅は沿線が違うため20分以上自転車を漕いでこの駅まで来ているのだ。そのため遊んでいた場所、ましてや公園の場所なんてわからない。

 それに私の家はいわゆるニュータウンだったため、団地に公園があり、そこで同じ団地のことよく遊んでいたためその公園以外ほとんど知らない。そんな話をしたことが以前にあったのを、遠藤くんは覚えていたのだろう。すかさず自体を把握して提案してくれるとは、さすがは遠藤くんだ。


「それじゃあ行こうか。あ、君の名前はなんていうの?」

「わ、私? 私の名前は桃、、、」


 行き先も決まったところで、と目的地に向かい歩き出そうと女の子に向かって手を差し出す遠藤くん。さすがジェントルマン。そのついでにさらりと名前を聞き出そうとするが、女の子は恥ずかしがってしまって、後半にいくにつれて声が小さくなってしまった。そのため、私は初めの「桃」ということしか聞き取れなかった。

 だけど「聞き取れなかったからもう一回」というのも気が引けた私は、強行策に出ることにした。


「そっか、ももちゃんって呼んでもいい?」

「え、うん」


 その名も「聞き取れたところだけで呼んじゃおう」作戦。そのまんますぎる。

 なんとかごまかせたことにホッとしつつ、笑顔を浮かべると向こうの方から「どうせ聞き取れなかったんだろう」という目線を感じるが無視をする。なんだよ、私の聞き間違いは知っているだろう。「ホットケーキ」を「ショートケーキ」と聞き間違えたこともあるんだよ。前半が聞き取れなくて、「ケーキ」だけ聞こえたもんだから脳内で前半部分が勝手に変換されたんだと思われるであろう聞き間違い事件だ。


「私は自分の自転車取ってくるから、先に歩いててーー」


 遠藤くんからナメクジでも見るかのような目から逃れるためにも、私はちょっと逃げ出した。こういうのは「戦略的撤退」というんだよ、わかった?

 私は急いで駅の真横にある駐輪場に行き、定位置に置いてある自転車をささっと見つけて鍵をぶっ刺す。がちゃんという音がすると同時くらいに背負っていたリュックを前かごに入れた。さて、自転車を動かそうとしたところで、「ねーね、ももちゃん。これからあのお姉さんが何秒でやってくるか、勝負しよう」という遠藤くんの声が聞こえた。


「勝負?」


 声だけでも困惑の表情を浮かべて、小首を傾げているのだろうなとわかる声色に、遠藤くんの声が返される。私はなんてくだらないことを言い出すのだろうと、呆れた顔で遠藤くんを見つめるが、遠藤くんはこちらを向かない。


「そうそう、俺はそうだなーー。あと30秒くらいかな」


 ちらりとこちらを見て私の表情を見たはずなのに、遠藤くんはこの不毛な賭けを続行するようだ。ももちゃんもチラリとこちらを見て、助けを求めてくる。

 その視線に私は真面目な顔で、ピースサインを出した。それを見たももちゃんは驚いたが、次の瞬間には意味を理解したらしく大きく頷いた。よし、私はちょいと急いで20秒の間にあっちに着くようにすればいい。


「じゃあ私は、2秒で」

「2秒!!?」


 思わず大声で叫んでしまったら、遠藤くんは大爆笑していた。ももちゃんは「え、違った違った」とオロオロしている。2秒、2秒でつけるのか。なんだかんだで50メートルくらいは離れているのだけれど、果たして2秒で着くことができるのか。というか、2秒とは。ももちゃんは私の予想の斜め上にいくな。


「はーー、よしわかった。じゃあ今から二秒で来なかったらももちゃんの負けね」

「わかった! おねーーちゃ〜ん、2秒できてねーー」

「え、まじで。マジですか、2秒ですか!」


 あまりの衝撃に行動停止していたが、少しでも早く着くように急いで自転車を動かす。焦って自転車を出したものだから、隣の自転車のハンドルにぶつかってしまった。そんなことをしているとさらに焦って、タイムロスしてしまう。


「じゃあ行くよ、いーーーち」

「マジかよ!!」


 ばくばくなる心臓が落ち着く間もなく、遠藤くんからせかすように数を数えられる。比較的ゆっくり数えてくれてはいるが、所詮は2秒。どんなに引き伸ばしても、二桁にいくことはないだろう。私は急いで自転車に跨り、重たいペダルを全力で漕ぐ。気分は競輪選手にでもなったかのようだった。

 走り始めた自転車は数回漕ぐと、トップスピードに近い速度で進み出す。


「にーーーい」

「到着ーー! お姉さん本当に2秒で着いたね」


 なんとか言い切る前に二人の背中が迫ってきて、慌てて両手でブレーキをかけて止まる。だが、慣性の法則によって、勢いよく進みすぎた自転車はすぐ止まってくれなかった。二人の2メートル先くらいでやっと止まり、地に足をつけて二人の方を振り返る。


「、はぁ。本当に、ね。2秒でつけたよ・・・・・・」


 フォーミングアップもなしに全力で立ち漕ぎをした運動不足の私は、まるで長距離走を走った後かのように息が乱れていた。上がる息を整えつつ、ももちゃんの賞賛の声に満身創痍ながら返事をする。「お疲れ様」と遠藤くんが声をかけてくれたが、言い出しっぺは彼なので労られても株があがることはない。全く悪びれた様子を見せない彼に、私は恨みがましく言う。


「まさかこんな仕打ちを受けることになるとは、思わなかったよ」

「まあ、ももちゃんが楽しんでたからいいじゃん」

「あんたが一番楽しんでたでしょ」

「ハハッ、ももちゃんのためにやっただけだよ」


 私の念がまるで通じていないようで、彼は爽やかな笑顔でそう答えた。遠藤くんはいい子だけど、時々意地悪な悪がきになるようだ。

 二人でいがみ合っていると、ももちゃんは彼のズボンを引っ張って、遠藤くんをじっと見つめてきた。「どうしたの」と声をかけてみると、「あのね」と可愛らしい声で緊張した様子で話し始めた。


「お、お兄ちゃん。そんなんじゃ、このお姉さんは鈍いから、伝わらないよ。もっと優しくしないと」

「また急に貶された! けど、遠藤くんが優しくないって言ってくれた。そこはありがとう。ほら、遠藤くんもっと私に優しくしなさい」

「十分優しい対応だと思うけど。あと俺が優しくないんじゃなくて、岩倉さんが勝手に墓穴掘ってるだけだから」

「なにそれ、やっぱり私を貶してる」

「確かに、お姉さんが鈍いのが悪いね」

「だよね」


 そうしてまたうなずき合って、通じ合う二人。だから私がなにをしたと言うんだ、解せぬ。解せぬがこのままだと永遠に公園につかないので、そんな二人を無視して公園に向けて自転車を押して歩く。すると二人も後をついてくるようにして歩き出した。


「そういえば公園に行ってなにして遊ぼうか」

「あー、確かあそこの公園は滑り台とブランコはあったぞ。あとはパンダの乗り物とか」

「パンダさん?」

「そーそ、年季が入ったパンダさん。色が剥げてきて、ほとんどシロクマになってるパンダさんだよー」


 遠藤くんに言われたパンダさんを想像したが、それは本当にパンダさんであっているのだろうか。思わず眉間にシワがよって不細工な顔になってしまう。


「それってパンダさんになるのかな」

「だよね、それはもはやパンダだった何かになるよ」

「確かにそうだけど、そこらへんは気にしないで。俺が幼稚園児だった頃はまだパンダさんだったんだから」


 ももちゃんの発言に乗っかるように私も疑問を口にするが、遠藤くんはさらりと受け流した。確かにくだらない疑問だとは思うけれども。

 不意に、ももちゃんのトナカイのように真っ赤に染まった鼻に目がいく。そのことから、この少女がどのくらいの時間かはわからないが、雪が降るかもしれないと言われた今日という日に、外にいたのだということに気がついた。その体は芯まで冷え切っていることだろう。


「ねえ、今日は寒いから途中でコンビニでも寄って温かい飲み物でも買わない?」


 そう遠藤くんに提案すると、彼もその可能性に気づいたのかハッとした表情をしてももちゃんを見た後「うん」と肯定してくれた。


「今日は雪が降るかもって言っていたしね。カイロも買っていこう」

「おお、それもいいね」


 私もカイロはあるが、それは「貼るカイロ」なので受け渡しはできない。ももちゃんもバッチリ防寒しているが備えあれば憂いなし、カイロなんて一個百円以下で買えるのだ。買おう。


「え、雪? それに、私お金持ってないよ?」


 ももちゃんは私たちの会話の流れに危機感を覚えたのか、そう言って慌てた。そうだよね、小学生が駄菓子を買いに行くわけでもないのに、お金なんて持って行かないよね。子供だからってお金をあまり持たせてもらえない時期だよね。

 小学生の時は保護者がいれば、その人がお金を出してくれた。だが。あいにく私たちは彼女の保護者ではないし、ましてや初対面の軽く不審者な人だ。そんな人達にお金を出させるのは気がひけるのだろう。それか気味が悪く感じるだろうか、そこまで親切にされると。

 さてなんて言えばいいものかと、考えていると遠藤くんがももちゃんに優しく諭す。


「あのね、ももちゃんはまだ子供なんだから黙って年上の人に甘えていればいいの。まあ、俺たちもまだ子供だけどね」

「フーーー、遠藤くんってばかっこいい!」

「茶化すな」


 右手を口に当ててそう囃立てると、遠藤くんが呆れた様子で頭にチョップを軽くかましてくる。力は全く入っていないので痛くはないけど、反射的に「いたっ」と言ってしまった。遠藤くんが触れた箇所を確かめるかのように、私は全く痛くない頭を右手でさする。

 すると「痛くしてないのに、痛がらない」という、厳しい声が聞こえてきた。その声に「はいはーい」と答えてコンビニへの道を再び進む。

 その間に紳士である遠藤くんは、ももちゃんに「だから黙って奢られてなよ」と頭を撫でて説得していた。頭を撫でられたももちゃんはとても恥ずかしそうで、頬を真っ赤に染めていた。けれどその原因は羞恥だけでなく、照れもあると思う。

 全く、遠藤くんってば優しい〜、そして天然タラシーーー! そう叫びたいけど、一度注意された直後なので言えるはずもなく。心の中で叫ぶ私であった。


「さて、遠藤くんがももちゃんをたらしこんでる間にも、コンビニに着きました!」

「おい、それじゃあ俺がやばいやつみたいじゃないか」

「ある意味でやばいやつだよね」


 女性を無意識に口説くような、その才能が。そう心の中で付け加えて、ジィッと遠藤くんを見つめた。見つめられた遠藤くんはというと、キョトンとした顔でこちらを伺っているだけだ。なんだよその顔、あざと可愛い。これ以上見ていても目に毒だと思った私が目をそらすと、いまだに頬を赤く染めたももちゃんが遠藤くんを見つめていた。


 その様子を見た私は、危機感を覚える。あかん、これは下手したら犯罪になるやつや。


 謎の関西弁になりつつも行き着いた結論に行き着いた途端、背筋に冷たいものが通った。私は急いで駐輪場に自転車を止め、ヤバイ空気を払拭するかのような空元気で、二人の間を引き裂いた。そして二人の手を握って、コンビニの入り口に体を向ける。


「やー、二人ともお待たせ! じゃあコンビニで温かいものでも買おうか」


 にカットでも効果音がつきそうな笑顔であろう私に引きずられるようにして、二人も足を進める。「ちょ、待って!」という遠藤くんの声が聞こえたが、無視をする。だってこれは、二人のために必要なことなのだ。


 二人の手を握ったままコンビニで買い物をして、ももちゃんは温かい飲み物片手に温まりながら公園へと向かっていく。ちなみにももちゃんはミルクココアで、遠藤くんは挽きたてのコーヒーを買った。私はミルクコーヒーのホットを買ってリュクの中に入れている。カイロは開封して、ももちゃんのダウンコートの中で化学反応を待っているところだ。

 お会計はももちゃんの目もあったので、全て遠藤くんに出して貰った。だけど、ちゃんと後で自分の飲み物代は払おうと思ってる。うん、ちゃんと払うよ。忘れずに、多分。


 三人で、私は持っていないけど温かい飲み物を片手に学校の話なんかをしていたらあっという間に公園に着いた。遠藤くんは所謂「聞き上手」なので、緊張していたももちゃんからもいい感じに話題を引き出したりしていた。そのため楽しくおしゃべりできたため、体感としては本当にあっという間だった。

  多分私一人だったら上手に話せず、ももちゃんと気まずい雰囲気になっていたので、遠藤くんがいてくれて本当に良かったと思う。


 公園の出入り口付近の歩道に自転車を置いて、公園の中へと三人一緒に入る。公園は人があまり踏まない隅っこなんかには雑草が生えていて、いかにも「住宅街の公園」といった風だった。今日は寒いからなのか、遊んでいる子は居なかった。遊具は話にあった通りブランコに滑り台、それにパンダだった乗り物だけだ。

 それ以外にあるといえば、滑り台を滑り終えたところにある砂場だとか、保護者の人ようであろう簡易屋根のついたベンチのみだった。本当に小さな、小さな世界。


 ぼーっと「小さな世界こうえん」を眺めていたら、遠藤くんが私の方を向いて話しかけてきた。


「なんだかんだで無事に着いたけど、何して遊ぼう」

「滑り台は、私たちの体格的に無理だよね。下手したら壊れるし、ハマって身動き取れなくなるかも」


 さて、何をして遊ぶべきなのか。高校生組からはいい意見が出なかったため、二人してももちゃんの意見を求めるように視線を向ける。すると、居心地が悪そうな顔で数秒固まった。それからぎこちなく目線をそらしつつ、ぶっきらぼうに言う。


「滑り台とか、もう飽きた」


 その答えに、私たちは衝撃を受けた。そうだ、小学生とか今の私たちから見ればめっちゃ子供に見える。けど四年生くらいから社会の授業とか始まると、ぐんと大人になるのだ。と言うか、大人ぶるようになる。現在高校生の私が、過去を振り返っての話だけどね。

 しかも今時の小学生は、私たちよりもませているのだ。恋愛事情なんかについては、彼氏がいたことのない私より一枚上手な子がもういるであろう世代だ。そんな子が、滑り台で喜んで遊ぶと思うか? いや、遊ばない。


 その結論に行き着いた私は、ももちゃんに申し訳ないと思う気持ちと、小学生に負けているという事実に私は愕然とした。だって遊べるなら普通に滑り台とか、めっちゃ滑りたいもん。それで「ヤッフー」ってはしゃぎたいもん。


「そうか・・・・・・、今時の子はませているんだったね。その歳で、滑り台に興味がなくなるとは」

「いや、それはませてるとか関係ないし。あと、あの規模の滑り台なんか滑って楽しめるのなんて本当の子供時代だけでしょ?」

「くはっ、自分よりはるかに年下の子に言われるとダメージがでかい!」

「岩倉さん、滑りたいとか思ってたんだね」


 呆然としてそう呟くと、すかさずももちゃんからの厳しい言葉が降ってくる。それが私のガラスのハートに刺さり、心が血の涙を流し始めた。思わず傷口を手で押さえるかのように、胸に手を置いて苦しげな表情を浮かべる。

 そこに傷口に塩を塗るかのような、遠藤くんの冷たい目線と態度が相まって追加のダメージを喰らう。やばい、このままじゃ出血多量で死にそうだ。胸に置いた手で服をギュっと掴んで、「うう」と苦しげに声を上げてしまう。

 いや、ガラスのハートなら、血の涙なんか流さないよな。そう思い立った私は開き直り、二人に向かって私の胸の内を晒した。


「なんなのさ! 別にいいじゃんか、久しぶりに滑り台滑りたいとか思ってもさー。長年遊んでないんだから。それにさっきまで私は、幸せなカップルを見てきたところなんですよ。独り身の私がクリスマス前にトチ狂って、滑り台で思い切りはしゃぎたいとか思ってもいいじゃん」

「なんだ、そんなこと思ってたのか」


 遠藤くんは翼のことも、大変仲のいい彼氏がいることも知っているのでそのことに行き着いたのであろう。納得したような、かといって認められないといった感情が感じられる表情をしていた。憐れみの目、といった感じだろうか。その目を見て、普通に「ないわー」と言われるよりある意味傷ついた私であった。

 くいっと袖口を引かれたのでそちらを見ると、目を輝かせたももちゃんがそこに立っていた。


「ねえ、幸せなカップルってどんな人たち?」


 その目は純粋に恋に憧れている目で、その瞳からは光をキラキラと発しているかのように見えるほど輝いていた。その目は恋話をするときの翼の目に似ていて、やはり小さくても女なんだなと思った。わたしは苦笑いを浮かべながら助けを求めるように遠藤くんを見ると、同じく苦笑いを浮かべていた。しかもその目は、「話してあげなよ」と言っている風であった。

 遠藤くんからの助けも期待できないということで、わたしは潔くあのカップルについて話すこととなりそうだ。しかもももちゃんがとても乗り気なので、長いこと話すことになりそうだ。そう思ったわたしは座ってお話ししようと思い、保護者用のベンチを指差した。


「わかった、じゃああそこのベンチに座って話そう?」

「わかった!」


  言うとももちゃんは待ちきれないのか、駆け足でベンチへと向かって座る。そしてベンチの右端に座ったかと思うと、左側をポンポン叩いて「早く、早く!」と急かしてくる。その様子に乾いた笑いが出てきたが、この少女の期待に応えルためだと自身を奮い立たせてベンチへと座った。

 ちなみに遠藤くんは消去法的に、私の隣へと座ることとなった。

「お姉さんのお知り合いの、幸せそうなカップルのお話し聞かせてね!」

「はいはーい、幸せなお話をさせていただきますよ」


 楽しみだと全身を使って表現しているももちゃんはとても可愛らしが、私の中にはなんとも言えない遣る瀬無さが募ってゆく。そんな思いもありヤケクソ気味に言いつつも、翼たちを見ていて幸せそうだなとかなかいいなとか思ったことを思い出す。こうして思い出すと、幸せそうな翼たちと独り身のさみしい私が勝手に対比されて、なんだか悲しい気持ちになってきた。

 これも、全部、クリスマス前というこの時期のせいだ。


 クリスマスに八つ当たりしつつも、頑張って幸せそうなお話を始める。クリスマスにふさわしいカップルのお話を。


「んーとね、私の友達の翼っていうんだけどね。その子は中学の頃から付き合ってる彼氏がいるの。いまが高一で中二ぐらいらしいからー、三年くらい? 結構長い間付き合ってるんだよね」

「へえ! もしかして、二人とも初めての彼氏、彼女なの?」

「そうそう、二人曰く「初恋の人」らしいよー」

「わーー、羨ましい!!」


 そうだよね、羨ましい。羨ましく思うよ、私も。

 心の中でももちゃんに同意しつつも、無邪気に喜ぶようなももちゃんの様子を見て口を見て口をほころばせた。


「そうだね。三年経っても、二人は今でもすごく仲がいいんだよね。最近は高校が違うこともあってケンカが多かったんだけど、なんだかんだですごく幸せそう」


 そう言うと、ふと翼に出会ったばかりの頃を思い出す。あの頃は「どこの中学出身か」と同じくらい女子の間では「彼氏がいる・いない」が自己紹介要素の一つとなっていた。勿論、私も聞かれて「いない」と答えると、「意外」だとか「普通にいたかと思った」とか言われた。

 それを「普通にいる女の子」だと思ってもらえていると再確認できてホッとしたのと同時に、感情が麻痺したかのような痛みを感じた。だってその発言は「普通にしていれば、彼氏くらいいたんじゃないの?」と言われていると同義ではないか。私は普通の女の子ではないのか? 普通じゃないから、彼氏ができなかったのか? なんて思うところがあって。


 そんなちょっとした「負の思考」に飲まれていた中、ある少女の幸せに満ちた声が聞こえたのだ。「私は彼氏、いるよー」と、ただ彼氏がいる自分を自慢する他の子のような声色じゃなく、彼氏を信頼していて、大好きだという感情がわかるような、そんな声と表情で言ったのだ。

 正直な話、翼と私の容姿は正反対だ。私はクマのぬいぐるみを持っていそうな女の子だとしたら、彼女はピアスを開けて骸骨モチーフのアクセサリーをつけていそうな女の子。見た目からして「合わないなー」と思っていたんだけど、意外や意外。

 自信満々に彼氏いる宣言をした翼に興味を持った私が話しかけて、そこからなぜかインスピレーションが合って、すごく仲良くなった。他の人からは「二人で話していると、時々次元が飛ぶよね」と言われるくらいに、変なインスピレーションがあったんだ。


「そっかー、喧嘩しても仲がいいって理想だね」


 そう言ってふむふむと、なんとも嬉しそうに頷いた。今、彼女の脳内には学校できになる彼の姿なんかが映っているのだろうか。目はぽんやりして、まさに夢見る少女といった感じだ。

 ぼーっと彼女を見ていると、急にこちらに顔を向けて顔を近づきて質問してきた。


「その二人って喧嘩した時は、どんなふうに仲直りをしてるの?」


 予想外の質問と先ほどまでとは違う切実な感情が感情が顔に浮かぶ。そのただならぬ様子に驚きつつも、「ちょっと待ってね」といって過去の翼からの愚痴を思い出す。

 高校に入ってばっかりの頃は、定番の「同じ学校じゃないから、その間にいい子ができるんじゃないか・できてるんじゃないか」問題で愚痴ってたな。「私のことを信じきれてないんだよ」と言っていながらも、彼氏の供述は「翼は可愛くて、気立ても良くて、面白くて、パーソナルスペースが近いから変な気を起こす奴が出てくるかも」といった内容で、真実はただの惚気だった。まあ、信じきれていないといったのは事実だけどね。「翼が自分を好きでい続けてくれる」という事実に、ね。

 それ以外だと、彼氏が翼に嫉妬しすぎて束縛しすぎそうになった事件とか、夏休みにプールに行く時に「露出度の高い水着はダメ!」と言われて起こった事件とか?

 ダメだ、私の知っていること喧嘩はどれもただの惚気だ。どうしよう、ろくに話せることがない。それにももちゃんが求めているであろう答えは、こんなのじゃないだろう。

 どうにかいい喧嘩例がないかと、頭を抱えてなんとかひねり出そうとうんうん唸っていると、隣から「大丈夫?」という天使の声と、やわい手の感触を頭に感じた。


「あ、思い出した」


 その感触で、あの放課後のことを思い出した。


 二人で「放課後の教室で残って勉強するとか、青春っぽいことしたい!」といって、二人して部活をサボって、結局勉強はせずにおしゃべりした、あの時を。

 あの時も話の流れが恋話になって、私が「二人って仲がいいけど、大げんかとかしたことないの?」って聞いたんだ。そしたら、翼が過去にあった大げんかの話をしてくれたんだ。


「私は中学は一緒じゃないから、本人から聞いた話だけだけど。と、遠藤くん。一応あっちにいってくれないかい? 流石にクラスメイトだと、勝手に話すのはまずいと思うから」

「あ、了解。でも座ってたいから、音楽大音量で流しておくからここにいていい?」


 そのまま翼の話をしてしまいそうになったが、これはかなりプライベートの話になるので遠藤くんに聞かせるのはまずいかなと思った。遠藤くんを信じていないわけではない、むしろ信頼はしている。けれど、本人に断りも入れずに言うのはダメだろう。

 その思いが通じたのか、遠藤くんは申し訳なさそうな顔をしながらイヤホンを見せて妥協案を提案してくれた。私はその案に「なるべく離れててね」と追加条件を入れて、受け入れた。遠藤くんは肯定してから、人二人ほどは座れそうなほどの間隔を開けてベンチの端に座った。そして提案通りにイヤホンで音楽を聴き始めた遠藤くんに、聞こえていないだろうけど「ありがとう」と言ってから話を始めた。


「ももちゃん、ごめんね。途中で放ったらかしにしちゃって」

「ううん、大丈夫。でも、私に話しちゃって大丈夫なの?」

「うーーん、迷える子羊のためだったらいいって翼も行ってくれると思うから。大丈夫でしょう!」


 不安そうにこちらを覗き込むようにして聞いてきたももちゃんに、私は元気づけるようにしてそう捲したてる。けれどももちゃんは、不信感をあらわにした表情を見せた。

 うん、こう言うと私って勝手に友達の過去を話すひどい友達なのかもしれない。けど、ももちゃんにはこの話をする必要があると思った私は、その表情を無視して話を続ける。


「あのね、中三の高校受験の時に喧嘩したらしいの。進路についてね、彼氏くんは工業高校に行くか、翼と同じ高校に行くかで迷っていたの。彼氏くんの家はシングルマザーで、お母さんに負担をかけたくないって工業高校に行って、高卒で就職しようと思ってたらしいの」


 そういうと、ももちゃんは難しそうな顔をした。その反応を見て、ももちゃんがまだ小学生であり、高校について詳しいことなんて知らないのだということに思い至った。私も、なんなら中二まで高校について知らないことだらけだったんだ。知らなくて当然であろう。

 そう考えた私はももちゃんに付け加えるように、高校について軽く説明する。


「高校にはそれぞれ特色があったりするんだけどね、私たちが通っているのは一応進学校の、いわゆる「普通の高校」なんだ。で、彼氏くんが行きたかった高校は、普通の勉強以外に機械なんかについて学べる高校だったの。そこはそういう専門的な知識を学べるってこともあって、高校を卒業したら、その知識を活かしたところに就職できたりするから、彼氏くんはその学校に行きたいと言ってたの。

 ここまで、なんとなくわかった?」


 なるべく噛み砕いて説明したつもりだけど、結構ベラベラと一方的に説明してしまった。就職なんて考えたこともないであろう小学生に、こんな話を急にしても理解できても「将来の自分」とは繋がらなくてよくわからないであろうに。悪いことをしてしまったと思いつつ、ももちゃんに確認を取る。


「うん、多分? そんなに高校って種類があるんだね」


 首を捻りつつも、ももちゃんはそう言ってくれた。一応あの説明でも理解してもらえた、と私は胸をなでおろす。それから、背筋をちゃんと伸ばして気持ちを入れ替えて説明を続ける。


「そっか、下手な説明でごめんだけどこのまま話させてもらうね。

 彼氏くんは、お母さんのために工業高校に入って、大学に行かずに就職しようと思ってたらしいの。だけど翼という彼女ができて、彼女と離れたくないという思いも出てきて、進路に迷っていたの」

 それ自体は、少女漫画ではよくみるお話だ。「夢を覆いかけるのか、彼女を選ぶのか」。そういう物語の主人公は、「夢を追いかけてる、君が好きだよ」とか言って送り出して、遠距離でさみしい思いをしつつも待ち続けて、夢を叶えた彼氏がサプライズで迎えに来て、プロポーズして、ハッピーエンドなお話とか。そんなお話かと、思ったんだけどなー。


「それで翼に『俺も同じ高校に行こうかな』って言ったら、翼が大激怒したらしいの」


 そう言ってこのお話の大団円を思い出して、クスリと笑ってしまう。ももちゃんはシリアスな話の途中に急に笑い出した私を、訝しむようにうかがい見る。


「ああ、ごめん。思い出し笑いしちゃった」

「うん、それで翼お姉さんはおこって、どうしたの?」


 控えめにそう聞いてくるももちゃんだが、やはり目は興味心から輝いていてとても眩しかった。私は自分の体験でもないのに、得意げに続きを話してく。


「うん、翼は『それなら私が工業高校に行く』って言ったんだって。で、彼氏くんは猛反対したんだって。工業高校って機械とかを学ぶからさ、必然的に女子の数が少なくなるのね? だからそんな男だらけのところに翼が言って欲しくない、翼が行きたがっていたこの高校に行けばいいだろう? だとか言ったんだって。

 そしたら翼は、私もおんなじ気持ちだよって言って泣いちゃったんだって」

「え、すごくラブラブなだけのお話じゃ。というか、翼お姉さんはなんで泣いたの」


 ももちゃんの反応に、私も思わず首を縦に振ってしまう。私もこの話を聞いたときは「なんだ、いつもの惚気か」とか思った。だけど、違ったんだ。


「それがね、自分が彼について分かっているつもりだったのに、全然分かっていなくて怖くなったんだって」


 翼は、そう言って悲しそうに、とても美しい聖母のような顔で笑っていた。


「彼は前に言っていたように、工業の高校に行って、就職して親孝行をするんだろうなって。漠然とそう彼を信じて、彼のことを見れていなかったんだって、見ていてもわからないことはあるんだって、気づいたんだって」


 私はあの時は青く晴れていた空を思い出すかのように、今は灰色になっている空を見た。


「だから、彼の全部を知るなんて、全部理解できるなんて思い上がっていた自分がいたことに気づいた。人しれず悩むこともあるし、悩みすぎて迷走してしまうこともあるんだって。彼は、私の大好きでカッコ可愛い彼氏である前に、私と同じように悩む一人の人間なんだって改めて思い知らされたんだって。

 これまで一緒にいて、十分に彼のことを理解した気になって、彼のことを見ていなかった。そう翼は笑ってたよ」

 あの時の翼の顔は、私の脳裏に今でも鮮明に思い出せる。私はまだ一年も一緒にいないけど、その中でもあの時の顔が、悲しくけれど、私の中で一番綺麗な笑顔だったと記憶している。


「だからね、それからはなるべく正直にお互いが思っていることを言うようにしたんだって。不満を溜めちゃうといつか爆発しちゃうし、変に大げんかになっちゃうことがあるからって。

 で、その不満に真摯に向き合うようにしたんだって。どんなにくだらないと思うようなことでも、相手が納得するまで説明したり、妥協案を出すようにしたんだって。だから仲直りの仕方は、話し合いをすることなのかな」


 だから二人は他の人から見たら「ただの惚気だろう」とか思うことでも、真剣に向き合って二人なりに答えを出している。先ほど言った嫉妬事件は納得いくまで話し合いをしていたし、水着事件は彼氏のパーカーを羽織ること妥協案を出していた。


「まあ仲直りの仕方は人それぞれだけど、話し合いをするなりしてその人を理解しなきゃできないことだよね」


 私はそんな経験は全くないので、客観的に見聞きしたことをまとめて締めくくった。こんなので大丈夫だったかな、と急に心配になって俯いていているももちゃんを覗くように身をかがめた。すると目の前に、一粒の雫が落ちてきてしゃくりをあげる声がした。


「そんな、こと。分かってるよ。分かってる、けど。それができない場合は、どうすれば、いいの」

「ももちゃん?」


 そう言って大粒の雨で膝を濡らし始めたので、私はももちゃんの背中をぎこちなくさすって雨が過ぎ去るのを待つ。空いた右手は膝の上できつく握られている拳を包むために使う。


「喧嘩したまま、話しても喧嘩にしかならない、そんな人たちは、もう仲直りができないの?」


 そう言われて、私は両親の事を思い出した。あの二人はいつも平行線で、交わることがなく、かといって歩み寄ることもなく、私が小学五年生になる頃に別れてしまった。

 自分は悪くない、相手が悪い、あいつがわかららない屑だから、あの人は子供のまま大人になったから、あいつが謝ったらいいだけだ、あの人が大人にならなければならない。

 ずっとそんなことを言っていた。そんな二人が、仲直りすることができるのか?


 私は、その答えを知っている。


「無理だよ」


 自分でもわかるくらいに無機質な声で告げると、ももちゃんは顔を振り子のように勢いよくあげて私を見つめた。瞬きすら見逃さないかというように真っ直ぐに、縋るように。


「だって、その二人は歩み寄ることができていないんでしょ? だったら、もう無理だよ」

 だって仲直りは、「相手にとって何が気に障ったのか」を気にして「どうしたら改善できるか」を話し合って、関係をより良い方向にするためにもそれを実行するものだ。だから大前提として、相手を受け入れること、相手といい関係を築きたいという思いがなければできないのだ。あの二人のように。


「ケンカにしかならない二人は、もう相入れないんだよ。一生仲直りなんてできないままに、関係だけが悪化していくんだよ」


 傷つた心からどろりと流れ出てくる負の感情そのままに、自分よりもはるかに年下の女の子にぶちまける。そんなことダメだってわかっているけど、わかっていても流れ出てくる。全然大人になんかなれていない自分に辟易して、また傷が深まりそうだ。

 ああどうしようかとぼんやりと思っていると、不意に肌にチクリとした線維の感触が伝わってくる。その元を辿ると、目を真っ赤に腫らしたももちゃんがいた。どうしたのだろう、呆然としつつも手袋をしたままの手袋にそっと触れる。


 それから二人して一緒に泣いた。この胸の中の寂しさを埋めるかのように、体を抱き寄せあって。


 途中で私たちの鳴き声に気づいた遠藤くんが驚きつつも慰めに来てくれたが、そんなことも気にせず思い切り泣いた。鼻水が垂れても拭かず、と言いたいけれどそこは遠藤くんがポケットティッシュで拭いてくれた。さすがジェントルメン遠藤。膝が汚れるのを気にせずにベンチの前にしゃがんで、二人の鼻水やらを拭いてくれた。


 その後も大泣きした二人のぐしゃぐしゃな顔面を綺麗に拭いてくれたジェントルメン。泣き止んでその残骸を見ると、ポケットティッシュを二個ほど使っていた。ポケットティッシュをそんなにも持っている女子力の高さに驚いて、思わず遠藤くんに聞いてしまった。


「遠藤くん、ポケットティッシュそんなに持ってるとか女子力高くない?」

「前まで鼻風邪ひいてたから、そのまま持っていただけだよ。しかもポケットティッシュを持ってるからって、女子力高いわけじゃないだろ。てか、今の時期ならほとんどの人が持ってるだろうし」

「ごめん、私はちょうど今日で無くなったわ。補充するの忘れてて」


 言わなくてもいい私の「女子力、というか生活能力皆無宣言」を聞かされた遠藤くんは、大きくため息をついて「さっきまでのシリアスな雰囲気を返してよ」と呟いた。

 その声にさっきまでももちゃんと一緒に泣いていたことを思い出し、ももちゃんの方へ頭を動かす。ももちゃんの目は真っ赤になっていたが、私たちのことを見て苦しそうに笑っていた。


「ももちゃん、急に泣いちゃってごめんね? 大丈夫だった」

「ううん、私の方こそ急に泣いちゃってごめんなさい」


 泣き腫らした目を擦りながらも、横に首を振ってふにゃりと笑って見せてくれる。その健気さが、ささくれた私の心にしみる。そのことでまた泣き出しそうになってしまった情緒不安定な私に変わって、遠藤くんがももちゃんに優しい声で話しかけた。


「二人はどうして泣いてたのか、聞いてもいい」

「んっとね、仲直りの仕方を聞いてたの。だけど、仲直りできない人もいるって聞いて」


 だから泣いちゃったの、と声にならないような声で言って俯く。その姿はまるで悪いことを叱られてビクビクしている子供のようだった。遠藤くんはももちゃんの頭を、猫の顎を撫でるかのように優しく撫でた。


「そっか、確かにそれは悲しいよね。仲直りは、簡単なようで難しいからね」


 まるでお母さんかのような包容力を見せる遠藤くん。感動的雰囲気の中で悪いけれど、生まれる性別を私たちは間違ったのではないかと思った。これは深刻な問題だ。

 そんなくだらないことを私が考えているうちに、ももちゃんは体に変に入っていた力を抜いていた。その様子にホッとした様子を見せた遠藤くんは、頭を撫でつつも質問を重ねていく。


「ももちゃんは、仲直りしてほしい相手がいるの」

「うん」

「それは、大事な人なの」

「うん、大切な人」

「だから、仲直りの仕方を知りたかったんだね」

「うん、お母さんたちが、喧嘩してばかりだから」


 その発言に私はびくりと肩が震える。


「お母さんたちの、仲が悪いの」

「そうなの。あの、前からほとんど会話はなかったんだけど。話すとしたら、悪いことを言ってるだけで。だけど、喧嘩するほど仲がいいって言ってたし、アニメとかでも喧嘩しながらもなんだかんだで仲がいい家族が、いるから。そうなんだって思ってた、思い込んでたの」


 真っ赤になった目を潤ませて、涙をこらえて思い出して苦しそうにしながらも、胸から出てくる感情そのままにももちゃんは言う。


「けど、違ったんだ。クリスマスの用意をして、お父さんがケーキ買って行って、まだかなって待ってたの。そしたらテレビで、離婚報道をしてて。長年、仮面夫婦をしてて、芸能人が離婚したって言ってて。その内容が、うちのお母さんたちと一緒で。

 家族旅行に入ってない、家庭内でほとんど話してない、寝室は別、おはようもお休みも言ってない、だけど外では仲良さそうにしている。それってお母さんたちのことじゃないかって」


 そう行って一筋の涙が、また顔を伝う。感情そのままに顔を歪ませるももちゃんから、私たちは目が離せなくなった。

「だから、聞いたの。これってお母さんたちのことって。

 そしたら、そうねって言ったの」


 苦しそうな顔から一変して、月下美人の花が咲くように笑った。


「そうだよ、私たちは仮面夫婦なのよ」


 その声が、ももちゃんが言ったはずなのに、別の人の声のように感じた。その声で鐘が打たれたかのような衝撃が、私の頭を襲った。音がぐわんぐわんと変に響いて聞こえて、まるで別世界に来てしまってわからない言語を話されているかのように聞こえて、気持ちが悪くなる。思わず倒れてしまい砂衝撃があったが、ここで倒れてはいけないとベンチを掴んでグッと堪えた。

 そうして、吐き出すかのようにももちゃんは言葉を続ける。


「それからしばらく無言でいて、お父さんが帰って来てお父さんにも聞いたの。そしたらお父さんは否定をせずに、お母さんを怒鳴ったの。なんで言ったんだ、もっと大きくなってから話す約束だっただろうって。それから、私がいるのに、前は私が声をかけたらやめてくれたのに。ずーーーーーっと、喧嘩し続けて。

 それで私、思ったの。二人は私のことが見えていない。だから居なくなっても、わからないんじゃないかって。だから、こっそり家を出てきた。当ても無く歩いた、お母さんがよく買い物に連れて行ってくれたスーパーの、道を。

 二人がいつ気付いて、ごめんねって言ってくれるのかなって想像しながら、歩いてた。けど、いくら歩いても二人はやって来なくて。目的のスーパーについても、クリスマスのケーキなんかが置いてあって、みんながケーキとか、チキンとか買ってるの。そんな姿を見ていられなくて、逃げるように出て、歩き疲れて、ベンチのあるあの駅に着いたの」


 汚い感情を一気に出し切ったのか、一度深い深呼吸をして心を落ち着かせてから目を潤ませた。

「だから、私は誰も待っていない。私は、要らない子なんだ」


 子供らしからぬ、虚無を顔に貼り付けて自信を嘲笑うかのように笑う。その姿が、私は自分自身と重なり、とても気持ち悪くなった。吐き気も催してきたため、とっさに口を手で押さえて逆流したものを嚥下した。


「要らない子なんかじゃないよ」


 その切実な声は、なぜか私の歪んでしまった精神セカイの中でも届いてきて、温かな感情が冷たくなった体に染み込むようにして流れて、気持ち悪さが緩和された。それと同時にベンチを掴んだ手を緩めて見ると、手にはくっきりとベンチの木目の跡がついていた。こんなにも強く握っていたのだと、自分の行動ながら驚いていると遠藤くんが話し始める。


「だって、ももちゃんは可愛いし、素直だし、謙虚な部分も持ってるいい子だよ。思ったことを口に出し過ぎるのは、たまに傷だけど」


 自分が言われているわけではないはずなのに、なぜか遠藤くんの言葉が胸に刺さった。


「それに、ここまで育ててくれたんだ。自分の子供が要らないわけないだろう? 逆に要らなくないから、両親も一緒に暮らしてくれたんだろ。だから、そんなこと言うのはやめろ」


 まるで血の繋がった兄弟かのように、親身になって、感情をむき出しにしつつ最後は怒鳴るようにしてももちゃんの肩を掴みながらそう吐き捨てた。最後の怒鳴っているかのような大声に、びくりとしつつもこくりと頷く。

 すると厳しかった表情を一変させて、いつもの遠藤くんに戻ってまた頭を撫でる。


「だから、家に一回帰ろう。それで、ちゃんと両親と話し合おう? 家までは俺たちが送って行くから、な」


 にこりと爽やかなはずなのに、どこか凄みのある笑顔になる遠藤くん。ももちゃんは目線をさまよわせて、私の方を伺うように見てきた。まるで「お菓子を、買っていい?」とあざとく聞いてくる子供のようで、私は頬を緩ませてこくりと頷いていた。それを見たももちゃんはぎこちなく遠藤くんに目線を戻すと、「わかった」と蚊の鳴くような声で呟いた。


「よし、じゃあ行こうか」


 思い立ったらすぐ行動、そう言わんばかりに遠藤くんが立ち上がってももちゃんに右手を差し出す。ももちゃんはそっとその手をつかもうと伸ばしたが、あと数センチといったところでその手を止めた。

 どうしたものか遠藤くんが小首を傾げると、ももちゃんはその顔を真っ赤に染めてこう言った。


「あ、あの。おトイレ行きたいの。だから、待っててもらってもいい」


 足をモジモジさせて上目遣いで、そういうももちゃんの姿はやはり乙女であった。遠藤くんは「あー」と気まずそうに目線を逸らした。その態度に小さくため息をついて、「いいよ、ここで待ってるから行っておいで」と送り出した。

 ももちゃんは「ありがとう、お姉さん。それにお兄さんも」と行ってトイレにかけて行った。かと思うと、一度足を止めてくるりとこちらを振り返って大きな声で問いかけてきた。


「あの、またクリスマスに会ってくれませんか!」


 大声を出したことに羞恥を感じたのか、いい終わってからハッとして手袋で真っ赤な顔を隠していた。その様子を見た遠藤くんが、楽しそうに笑いながら返事をした。


「おう、また会おうな! だから早く行っておいでー」


 遠藤くんが手を振ってそう見送ると、「ありがとー」と言ってトイレへと向かって行った。そして、最後は私の方を見てマフラーに隠れた口を動かしていた。その口の動きと表情に、私は先ほどからあった気持ち悪い違和感の正体がわかり、パズルのピースがカチリと合わさったような音が脳内に響いた。

 ももちゃんがトイレの中に消えていく様子を見た私は、煩くなる心臓の音を押さえつけるように顎がうまく噛み合わない口を動かす。


「ねえ、ももちゃんの名前、聞いてもいい」

「やっぱり聞こえてなかったのか、岩倉。桃山聖良ももやませいらだって。しかも岩倉とおんなじ漢字で、聖なる良い夜って書いて『聖良』っていう名前らしい。

 ・・・・・・おい、なんでまた泣いてるんだ? 岩倉」


 思った通りの言葉が出てきて、私の目から滝のように涙がまたポロポロと流れ出る。

 そうか、そうか。君は、私のためにやってきてくれたんだ。


 最初から、どこか見覚えがあると思っていた。あの水色のダウンコートも、当時水色にはまっていた私がお母さんにねだって買ってもらったんだ。それでお父さんに得意げに見せて、笑ってたんだよ。クリスマスの日に真実を知った私は、お気に入りのダウンコートを身に付けて家を飛び出した。それで優しいにお兄ちゃん達と遊んでトイレに出た後、なぜかお兄ちゃん達の代わりにお巡りさんがいた。駅で一人で佇んでいる私を不審に思った人が警察に通報したらしく、その道へ向かう途中の公園で、運良く私は見つかった。

 忽然と消えたお兄ちゃん達はどうしたのだろうと思ったけれど、おまわりさんに連れて行かれた私はそのまま事の顛末を温かいお茶を警察署で飲みながら話すことになったのだ。それから、訳が分からぬままにおまわりさんとお話ししてたらお母さんたちがやって来て、「ごめんね」と私と警察の人に言って、そのまま帰ることになった。


 帰ってから、レンチンしてふにゃりとした衣になったフライドチキンを食べながら今後について話された。私が五年生になる頃に、離婚に向けた別居をすると。お父さんとは、離れ離れになってしまうと。

 その日は目が回りそうなくらいに、信じてきた現実がひっくり返された私は「うん」と力なく返事をして泥のように眠った。目が覚めたら、この悪夢のような出来事が終わっていることを信じて。この出来事こそが夢で、目が覚めたらいつも通りの現実が待っていて、クリスマスプレゼントをもらって子供らしく自分は両親の前で喜んで見せるのだと、そう願って。


 だけど目が覚めてリビングに行っても、去年まであったクリスマスプレゼントは置いてなくて、お父さんもいなくなっていた。そのことがショックすぎて、お兄ちゃん達のことを今の今まで、すっかり忘れていた。


 いや、それは語弊があるかも知れない。だって今、こうして思い出せているのだから。

 当時の思いを、こうして5年ほどたった今でも鮮明に。


ーーお兄ちゃんはあのお姉ちゃんのこと好きなのに、お姉ちゃんは全然気づいてないの。子供の私でもわかるのに。


ーーあの人、私の名前を聞き取れずに誤魔化そうとしたよね? わかりやすい。


ーーお姉さんが自転車を撮ってる間お兄ちゃんに、お姉さんの名前をなんて言うのか聞いて見よう。聞かなければならない、そう言う気がした。もしかしたら、お姉さんは。


 私は止まりそうにない涙をセーターのすぞで吸収させながら、必死に言葉を紡ぐ。


「ねえ、遠藤くん。クリスマスに会って、くれませんか?」

 

 視界が歪んでいて、遠藤くんの顔もぼんやりとしか見えていない視界。だけど、遠藤くんがももちゃんに向けていたかのような笑顔で私に笑いかけていることが、なぜかわかった。


「うん、いいよ」


ーーお姉さんは、未来のわたしなんだ。


 あの子は、わたしの背中を押してくれたんだ。こうして、巡り巡って。奇跡を起こして。


 わたしは荒れ狂う海かのように溢れる感情を、そのまま言葉に出して、感謝の言葉を伝える。


「ありがとう、ありがとうーーーーっ」



 天使がくれた、クリスマスの奇跡。これ以上の背中押しは、ない。


「ありがとう、お兄ちゃん」


 そういって、ももちゃん《わたし》は笑った。

 最後まで読んでいただき、ありがとございました。

 

 実はタイトルを「クリスマスのキセキ」にするか、迷ってたんです。だけど、岩倉さんたちにとってはクリスマス前なので不適切かと思い、「天使がくれたキセキ」にしました。ですが、「天使=岩倉さん」なわけじゃないですか? その理論でいくと、ナルシストなタイトルになってしまったかと考えたのですが、結局ナルシストなタイトルにしました。


 こんなくだらないお話も最後まで見ていただき、ありがとうございました。

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