前夜
「サザンカ、いつまで寝ているのかしら。体を冷やすわよ。」
深い意識の中に、遠くから優しい声が聞こえる。
ゆっくり目を開けると、ゆらゆら揺れる蝋燭に20代程の見た目の女が照らされていた。金色の美しい長髪と、長いスカート丈の似合う清楚な女性だ。食器を洗っているのだろうか、水の音と食器の擦れる音が室内に響き渡る。
「何か用でもあるの?サクナ。」
「何か用でもあるの、じゃあないわよ。今何時だと思っているの。」
部屋の隅の時計に視線をやる。短針は12時を指している。閉店してから、もう1時間は経過しているのか。窓の外は真っ暗で、人の声も聞こえない。
確か仕事の愚痴を聞いてもらいに、サクナの店に来たんだっけ。上司を汚い言葉で罵りながら、度数の高い酒をどんどん頼んで、高揚したついでに徐々に酒のペースが上がっていって………………………。
ここから先は覚えていない。だが、机いっぱいに並んだ酒瓶を見て納得した。
「あなた20歳になったばかりでしょう。私と同い年なのにどうしてここまで酒に溺れられるの。」
困ったような、呆れたような顔でサザンカを見下ろす。サクナの美しく整った顔を顰める。サザンカは机に突っ伏して言う。
「だって、あのクソ部長が無茶ばかりいうんだよ。こうでもしてないと私が持たない。」
「だからって酒ばかり飲んでたら逆効果よ。少しは自重しないと体を悪くするっていつも言っているのに。」
サクナがため息混じりに言う。
「私は大丈夫だよ。逆に、これくらい飲まないと寝ることすらできない。まぁ、サクナは身体は成長しても心は子供のままだから、私の気持ちは分からないかもしれないけれど。」
「どういう意味よ。」
サクナがぷくー、と頬を膨らませる。本当に表情豊かだ。かわいい。
まぁ、小さい頃からの付き合いだ。この位はどうってことない。このやりとりもいつものことだ。
「まぁ、いいわ。ところでサザンカ。明日は例の占い師の言ってた日じゃない?」
例の占い師………。あぁ、去年の秋頃に少し流行った、あの胡散臭い老婆か。
「それがどうかしたの。」
「忘れてしまったの?去年、天変地異が起こるって占い師が予言して、大騒ぎになってたじゃない。そんなおおごとを忘れるなんて、本当に昔から世間に無関心なところは変わってないわね。」
確かそういうこともあったか。でも、あのとき騒いでたのはサクナただ1人だった気がする。第一、世間はそこまで盛り上がってもいなかった。
「サクナのそういうところも相変わらずだね。」
閉店後の居酒屋の片隅で、2人の小さな笑い声が響いた。
2人だけの時間はあっという間に過ぎ、その後サクナと別れた。次に店に来た時はサクナがクッキーを焼いてくれるらしい。サクナの手料理は特段にうまい。私は村の中で1番料理上手であると太鼓判を押している。それほどの腕を持つ娘がいれば、店を手伝ってもらっている両親はさぞ、ありがたいことだろう。
家々の照明は殆ど消えて、夜道を照らす月明かりを頼って帰る。明日のクソ部長との仕事も、今はなんのこともない。ただサクナと会うことが楽しみで、サクナと話すことが楽しみだ。
サザンカは就寝するまで浮かれ気分で、ずっとニヤニヤとしていた。
その、次の日。地球上の99.9パーセントの人間は死んだ。というより、地球上から姿を消したと言った方が近い。
それはあの占い師の言っていた予言の日だった。