第98話 アスタロトの戦い
「この痴れ者が。調子にのりおって」
会場がざわついた。
三峰も九郎の天狗たちも近くのものと顔を見合わせていた。
場外に落とされたと思われた陽太の体が空中に浮いている。
そこからの声。まるで身分の高いものが上から言うような声だったのだ。
みんなが見守る中、陽太の体にシュルリシュルリと音を立てて貴族の服が装着される。
股の間に火竜が現れ、手には黄金の杖。それに絡まる黒い毒蛇。
頭には大公爵の冠。
「こ、これは」
鳳丸は驚いて身を引くが、陽太は不敵な笑みを浮かべて鳳丸を睨んだ。
「よくもやってくれたのう。可哀想とは思わないか? この無骨者」
その刹那、鳳丸の顔の前まで飛ぶ。
何が起こったか分からない。
鳳丸は底知れぬ力を感じて身震いした。
「ふふ。恐ろしかろう。恐ろしかろう。今より足下の処刑を開始する。ただではすまさん!」
そう言って口の中に入り込んだ。
鳳丸の大きさが仇となった。陽太をすっぽりと入れてしまうような大きな口だ。
「ギャ!」
と言って、鳳丸は翻筋斗打って後ろに倒れかけるが、陽太はすぐに口から飛び出した。その手に鳳丸の奥歯を一本掴んでいたのである。
「それ返す。さて、どう料理してくれよう……」
ポイと鳳丸の大きな歯を放り投げ笑う。
股がる火竜は面白そうに鳳丸の黒い翼を炎で焼いている。
鳳丸は慌てて火を叩いて消しているが陽太は容赦をしなかった。
「きさまの弱点が丸見えだ」
陽太の指先から光輝く光線が鳳丸の右腕を焼き切ってしまうと、それが場外にドンと落ちた。
「ま、参った! 参ったぁ!」
鳳丸からの降参の声。試合終了を知らせる太鼓の音がドンと鳴る。
しかし陽太は試合など関係ないように続けた。
「続いて目だ」
今度は陽太の指先から鳳丸の片目を狙って光線が出てゆく。
肉の焼かれる音。その匂い。
会場から悲鳴が上がるが、陽太は高らかに笑うだけだ。
「バカものめ!」
陽太の下からの叱責。その言葉が全ての時間が止めた。
三峰も九郎も大天狗も、なみいる力を持つものも明日香の止めた時間の中では動けなかった。
もちろん陽太も笑みを浮かべて大口を開けて止まっている。
そこへ明日香は飛び上がっていった。
陽太の停止。しかしわずかに震える。
「……うがぁぁぁああああ!!!」
陽太は停止した時間の中に自力で入り込んだ。
叫んだ後は息継ぎ荒く喘いでいたが、見ると回りが全て止まって無音である。
この停止した時間の中では明日香と陽太の二人だけしか動いていなかった。
陽太は明日香を見ると驚いた。
「な、なに!? 余が二人?」
「いいかげんにせんか。この痴れ者が。足下はヒナタではないか」
「……え? あ、あ。そ、そうか。な、なんか変だオレ」
「また、足下の中のアスタロトに意識を征服されたのだ。見よ!」
明日香の指さす方を見ると、無残な鳳丸の姿。
片目も黒くなって、叫んでいる格好だ。
口の中は血だらけであった。
「え? なに? だれが鳳丸さんをこんな目に……」
「足下だ。アスタロトとなって悪逆無道な真似をしたのだ。身内がこんな風になるとは余は恥ずかしい!」
陽太の下には火竜。そして手に握っている毒蛇も明日香の叱責を受けてすまなそうな顔をしていた。
「そ、そうか。ご、ゴメン……」
「治してやれ。余にはできんが、足下にはその力があろう」
「うん。……分ったよ」
陽太の体から貴族の服も杖も蛇も火竜も冠も消える。
アスタロトから陽太へ戻ったことに安心した明日香は微笑んだ。
「ふふ。それでいい。では、時間を戻すとしよう」
明日香は滑空して自分の席に戻ると、この蓬莱山に音が戻って来た。
時間が動き出したのだ。
三峰、九郎から叫び声が聞こえてきた。
鳳丸が無体な目にあわされていることに対しての悲鳴だと陽太は気付いた。
「すいません」
陽太は、鳳丸にペコリと頭を下げる。
戻された時間で急変した陽太に鳳丸は分けも分からず首をかしげた。
「今、治します」
陽太が鳳丸さんの閉じられてる瞼の上を左手でなでると、フワッとその目が開けられた。
「み、見える」
「……ゴメンなさい」
陽太が頭の上に意識を集中させ治れと思うと、場外に落ちた右腕が浮き上がってピタリと付き、繋ぎ目も分からなくなった。
鳳丸の口の中にも落ちていた歯がゆっくりと飛び込んでゆき、それも修復された。
焼き焦げた黒い翼は、徐々に美しい新しい翼に生えそろった。
観衆からの悲鳴は歓声へと変わる。
大天狗も嬉しそうに手を叩いて喜んだ。
「ほー! ものすごい! ものすごい! こんなもの見たことがない!」
陽太と鳳丸は石畳の上に同時に着地。
鳳丸は怯えているようだった。
「すいません。こんなことするつもりじゃなかったんですが」
「いや。ワタクシ、今までたくさんの兵と戦って参りました。この地上でトップクラスだと思っておりました。ですがなかなかどうして! 本日、あなたに会えましたことを感謝します。もっともっと強い方がおられるんですね!」
「いやぁ、申し訳ない気持ちでいっぱいです」
「なんと、謙虚なお方じゃ!」
鳳丸はその場で数回ジャンプすると、陽太と同じくらいの大きさになる。
竹丸も以前やった術であろう。彼もまた同じような術者であった。
そして、陽太の手を掴んで高々に上げた。
観衆から歓声が聞こえる。
最初、陽太は自分が勝ったことに気付かなかった。
だが回りの反応で分かる。
自分の勝利。それは即ち三峰の郷の勝利だ。