第94話 前野の戦い
しかし喜んでいる暇はない。続いて、ドンと選手を呼ぶ太鼓の音。
相手の選手である鶴丸が出てきた。
「タマモさん、よろしくお願いします」
「うん。すぐ終わらせて来る」
そう言って、前野はまた帽子をグイっと被る。
前野が石畳の上に乗ると、大天狗様が手を打って囃した。
「ほーっ! なんとも手弱女じゃの!」
「あれは拙僧の愚弟、竹丸の婚約者でございます」
「ほう。竹丸も隅におけんのぉ。しかし強いのじゃろうか」
「竹丸が奨めて来たものでございますから、信頼しております」
中央に乗る前野と鶴丸の二人。
鶴丸は思わず失笑。近くに寄ってみて見れば細腕の人間ではないか。
「女子が出て来るとは、三峰の人無しじゃの!」
「……お手柔らかに」
鶴丸が構えるのに対し、前野は構えようともしない。
片腕を垂らし、もう片手はその肘に触れている。
なんともド素人が出て来たものだと鶴丸も九郎側も勝ちを確信した。
しかし竹丸も陽太も明日香も余裕で見ていた。
前野が構えない。陽太と練習試合する時も多少構えるようになったがそれすらしない。
よほど相手が弱いのだろうと三人は確信したのだ。
ドンと試合開始の太鼓が鳴った。
その瞬間、ふわり。と鶴丸の体が浮いて放物線を描きながら場外に落ちた。
鶴丸は小さな音を立てて背中から落ちる。
そしてそのまま分けも分からず空を見ていた。
前野はと言うと、試合開始前から動いた形跡はない。
「ん?」と大天狗。
「おお!」と松丸は手を打った。
太鼓の係もようやく気付いて試合終了の太鼓を叩いた。
すると三峰一門から大声援が起こる。
それに答えもせず前野は元の位置に帰って小さく座った。
竹丸は嬉しそうに前野を労うと前野は
「ありがとう。タケちゃん」
と小さく言うに留めた。
大天狗は驚いたまま前野の方を向いていた。
「あの者は……」
「はい。先ほども申し上げましたように竹丸の婚約者にございます」
「ははぁ。どこかで見たような。それにあの拳法も。儂と同じ……」
「え?」
大天狗には見えていたようだ。前野の見えない拳撃が。
あのとき、前野が繰り出した拳は三発。
それは全て遠当と言われるもので、風圧というかエネルギー波を送り出す。
それは鶴丸の頭にヒットして大きくのけぞる。
そして胸にヒットして空中に舞い上がる。
その後に足にヒットして場外へのスピードを加速させたのだ。
前野の恐ろしいほどの熟練した技であった。




