第77話 竹丸
前野と竹丸。互いに動けないまま何時間が立っていた。
「う、うあ……」
竹丸がようやく前野がかけた“重力の術”を跳ね返して板間で寝返りを打った。
それでもしばらくは動けなかった。それほど前野の術は強力だったのだ。
長く細く息を吐き出して、ようやく竹丸は立ち上がった。
リビングに裸で立ち尽くす前野の方へ。
彼女は裸のまま札束を抱えている。
竹丸はその三つある束の二つを手に取った。
そして、最後の束から一枚の札を抜いた。
それはお金ではなかった。竹丸はそれを前野の顔の前に見えるように突き出した。
「天然墨を蓬莱人参の汁より摺った墨で書いた“狐避けの呪符”です。あなたがこういう行動に出るのではないかと思ってあらかじめ準備しておいたのです」
しかし、前野は動けない。眼球を動かすことで精いっぱいだ。
だが、冷や汗だけはタラリタラリとこぼれて行った。
竹丸は道具袋から一本の縄を出した。
「どんな妖怪も逃げることが出来なくなる捕縛縄です。狐仙女さまは我らの中ではお尋ね者。しかも、やはり他の妖怪や妖仙の肝臓を抜いて食べていたとなると、妖怪の秩序が乱れます。残念ですが然るべきところに突き出すしかありません」
そう言って、前野の額に“狐避けの呪符”を貼り付けた。
さらに、捕縛縄を裸の彼女に巻き付ける。縄は自然と彼女の体に食い込んだ。
前野は完全に動けなくなってしまった。
だが、竹丸は前野の額から呪符を剥がした。
「うぬぬ。小僧め。ウチをどうするつもりだ?」
しばらく竹丸は黙り込んでしまっていた。そして、縄に巻かれた彼女を抱きしめた。
「な、なにを……」
「ワタクシ、ずっと貴女様をお慕い申しておりました」
そう言って、ソファの上に抵抗できない前野を押し倒す。
「何千年も同じ姿で生き続ける、その完全な利己的な考え方。幼い頃より修行、修行に明け暮れたワタクシは貴女の自由なる生き方に密かに思慕していたのです。それが今目の前にいる。語られる姿と同じままに。身動きが取れないまま……」
竹丸の息が前野にかかる。前野は顔を背けた。赤い顔をして。この男の目の輝きに惹かれてしまう。今まで生きてきてこんなことは無かった。
ましてや自分が一番嫌いなタイプなのに。堅物で媚びを売る犬。
自分の心にウソをついていたが本当は会ったときから恋に落ちていたのかも知れない。
「う、ウチを強姦するつもりだな? 真面目ぶっていても所詮は男。おおいやだ。やるならやれ。だが決して心まではやらないよ!」
そう言って強がる前野の捕縛縄も竹丸ははぎ取ってしまった。
「初精を漏らすとはどういうことなのでしょうか? ワタクシには経験がありません。しかし、あなたの不老長生のお手伝いもしてみたい」
「う、ウソでしょ?」
「逃げたいなら逃げてもいいですよ。肝臓を抜き取ってもいい」
そういうと、竹丸の姿は本来の白い犬の姿になってしまった。前野もそれに合わせて細い腰の九尾の狐の姿となった。
竹丸の初めての行為。それを前野は自身の体で受け止めた。
しばらくすると、二人は床の上でぐったりとしていた。
竹丸は犬の姿のまま、前野の体を己の舌で毛繕いしていたのだった。
「どうです? 不老長生の効き目はありましたでしょうか?」
「うん。あった。あったけど、アンタも多分あったと思うよ?」
「そうでしょうか?」
「うん。女の頂の精を盗んでるよ」
「そうですか? ワタクシには分かりかねますが……」
そう言いながら二人は人間の姿に戻る。
仲良く毛布にくるまって床の上でしばらくイチャイチャしていた。
「憧れの狐の嫂さんとこうなれるなんて。ワタクシは果報者です」
「やだ。狐の嫂さんだなんて。タマモって呼んで」
「え? 恐れ多いですよ」
「いいから。ウチも竹丸って言うから」
「そうですか。アンタと言われるよりもずっといいものですね。ではタマモさん」
「ああん。呼び捨てがいい~」
そう言いながら前野は抱きついた。
そして人間のように口づけをする。
「ねぇ。どうして急に修行中なのに精を漏らすつもりになったの?」
「え?」
竹丸は黙ってしまった。
なぜ黙るのか。前野は少し寂しくなった。
好きだからだとか、魅力的だからだとか、嫌になるほど聞いて来たセリフだ。
だが、この真面目腐った男は黙るということは“なんとなく”とかそういう理由なのかもしれないと思ったのだ。
「あの~。修行中に精を漏らすということはですね……」
「え……? うん、何?」
「その抱いた女性は永遠の伴侶とするということなのです……」
「え?」
「タマモさんには申し訳ありませんが、そういう掟なのです」
今度は前野が固まった。
「あの~。ワタクシは歳も若く、術も未熟でタマモさんには及びもつきませんが……」
「いいじゃない」
「え?」
「ふふ」
前野は竹丸の厚い胸板に体を任せた。
彼は彼女を抱きしめた。
世界を救うべく陽太を修行させる。竹丸は陽太を天狗の郷に誘った。
兄のような竹丸が言うことだ。陽太は二つ返事だった。
しかし旅行気分でついてくる女子二人。果たして修行は成功するのか?
次回「天狗の郷篇」。
ご期待ください。




