第69話 心のかたち
一方こちらは陣内宅。
陣内はラティファと二人で話していた。
「え? じゃぁ、徒競走で勝ったらその子はご主人様のもの? へぇ。やったじゃん」
「そーそー。恋は盲目ってはこのことだよ。自分の彼氏が最高だと思ってんだ。普通自分から言い出すかな? ま、路道さんはそーゆードジッ子ってことかな? ふふ。楽しみだなぁ」
「へー……」
ラティファの声が小さく消え入りそうだった。
陣内もなぜかそれが気になり聞き返した。
「どうした?」
「……なんでもない」
しかし、いつもの笑顔はない。
陽気で陣内まで楽しくなってしまうあの笑顔が。
「……そうか。なんでもないのか。あ、そーだ。100m何秒で走れるか、タイム計ってくれないか?」
「……ああ。いいよ。いいですよ。ご主人様のご命令なら」
少しトゲのある言い方。
二人の間に微妙な空気が流れた。
陣内はいつもと違うラティファをいぶかしげに思った。
何も怒らせるようなことは言っていない。
それなのに機嫌が悪そうだ。
そう思いながら二人で広めの近所の公園にやって来た。
ラティファにスマホを渡し、使い方を教えた。
「なるほど。ここをポチっとすればいいのね。かんた~ん」
「そうそう。じゃあよろしく」
ラティファから100mの間隔をとり、スタートをかけた。
改めて走ってみるが、風景の流れ方が今までとあきらかに違う。
まるで景色が一本の線のように見えるのだ。
感慨深く思っていると、もうラティファがそこにいる。
100mなんてあっという間だった。
「ゴール! ハァハァハァ。な、何秒?」
「10.04」
「マジ? うぇ! すげー!!」
「そんなに?」
「うん。日本記録が9.98だから、もうそれに手が届く! もうちょっと走り込んだり体が暖まればもっとだ!」
「すごいじゃん」
「うん」
「これで、彼女もゲットだ」
「そうだね」
「ふふ」
「はは」
ラティファは少しだけ笑顔を見せた。
陣内の好きな顔。布の下に隠されたカワイイ顔。
そして思い出した。
ラティファとこうしているのもあとわずかなのかも知れない。
願いが叶うとはそう言うことだ。
明日香は得られるかも知れないがラティファは次の主人を探す。
陣内の胸がキュッとなった。
それはとても嫌なのだ。彼女を渡したくない。
誰かにあの笑顔を見せるなんて。
しかし、まだ願い事は一つある。
まだ一緒にいれるのかも。
そう考えていると、ラティファの姿が少しばかり消えかかった。
「ゴメン。先に……帰るね。住処の掃除……してたんだ」
「あ、そっか。オレはもうちょっと走り込んどく」
「んじゃ……。また……」
「うん……」
ラティファはフッと消えた。
風が冷たくもないのに寒く感じる。
陣内の胸の中に吹きすさぶ風のような寂しさが残ったが、しばらく一人で走り込んだ。
公園の中に、乾いて高い靴音が響き渡る。
体が温まり、日本記録に徐々に近づいて行く。
もはや勝ったも同然だ。明日香を手中に収めたも同然。
しかし、楽しくない。
振り返るといつも後ろにいるラティファがいないのだ。
そんな自分に言い聞かせた。
もうすぐ明日香と付き合えるんだろうと。
もっと、もっと、楽しいことを妄想しろと。
「ええと、一緒に図書館で勉強して。そんで、一緒の大学に進んで。あ、アッちゃ~んなんて言ったりして。ふふ。は~~~……。……帰るか。体も慣れてきたし」
楽しい妄想もすぐに終わってしまった。なぜか家に帰りたいのだ。一人の帰り道。汗をかいた体が風に吹かれてとても冷たく感じる。
冷たいのは体なのか。心なのか。それさえも陣内にはよく分からない。
家に着き、ためらいながら部屋のドアを開け、隙間からラティファの姿を探す。だがそこにはラティファの姿はなかった。
皿の中にいるのかも知れない。
いつもは楽しそうにすぐ皿の中から飛び出してくるのだが。
そう言えば掃除をすると言っていた。
そうに違いない。
自分も少し勉強しよう。
机に向かいしばらく勉強に没頭した。そして、時々思い出したように振り返る。しかしそこには本を読んだり、水玉のお手玉をしているラティファがいない。
陣内の頭の中を雑念が支配する。
思い出すのはラティファの屈託のない笑顔。笑い声。ご主人様という言葉。
陣内はペンを机の上に置いて時計を見てみる。
開始から10分。
つまり1時間は机に向かってたってことだ。
今日はもう勉強を終了することにした。
集中が途切れる。
恋人が出来そうなので興奮してるのかもしれない。
そうだ。きっとそうだ。そうなんだ。
そう自分に言い聞かせ、ベッドにもぐりこみ銀色の皿を見つめながら就寝した。




