第53話 最後の刻
竹丸が来るまで5分くらいであろうか?
陽太は久しぶりに一人の時間を少しばかりゴロゴロしようかと思った時だった。
ピンポン
呼び鈴の音だった。
ヒヤリと背中に冷たいものが落ちる。鬼の襲来か? と見構えたが、違う声だった。
「ヒナタ?」
「あれ?」
陽太は、ドアに近づき覗き窓から玄関先に立つものを確認した。
「母さんですよ~。無理に土日に休みもらったの。ゴメンね~。急にきて。ビックリさせようと思って」
母だった。見紛うはずもない。たった一人の肉親がそこにいたのだ。彼女は、勤め先の旅館の土産物の入った包みを、玄関先に落とした。
「ひゃー。お土産重かった」
と言って、ドアノブをガチャガチャとひねった。
「あれ?」
「母さん? ホントに母さん?」
「ん? 母さんですけど? 偽物の母さん? プふふ」
そう言って母は、いつものように笑う。しかし、陽太には判別がつかない。
鬼かも知れない。向こうは周到だ。
なんてものに化けるのか。分からない。
竹丸さんなら正体がわかるかもしれない。
そう考えていると、またもドアノブがひねられる。
「開けてよ。母さん疲れてるのに」
「いや」
「なに? なんの冗談? 今日はヒナタの好きなハンバーグにしようか?」
陽太は、どうにもならない思いを抱いていた。
目の前の母は自分の好物すら知っている本物のようだ。
だが、今はたった一人!
もしも、これが鬼だったらどうするんだ?
「ダメだよ。開けられない」
「ん? なんで?」
陽太は、ゆさぶるつもりで言いたくないことまで言ってしまった。
「アンタ、鬼だろ?」
「え?」
母は下を向いてしまった。
鼻をすする音が聞こえる。
「ズス……。ゴメンねぇ……。父さん死んで、ヒナタを一人にさせ過ぎたもんね。グス……。まだ子供のヒナタを。母さん、知らない間に鬼になってたかぁ」
「いや、そういう訳じゃ」
「ゴメン。じゃ、戻る。ね? お土産、ドアの横に置いていくから」
「ちょ」
その時、トントンと階段を上る音が聞こえて来た。
「おや?」
竹丸の声だった。
「ハイ?」
「こんにちわ」
それは外にいる母に向けられた言葉だった。
「あ、こんにちわ」
母もそれに対して、挨拶を返したようだった。
しかし、その覗き窓だと母の髪しか見えなかった。
「どうしました? 泣いてらっしゃるようですが?」
「いえ。なんでもないんです」
「そうですか。すいません。無用な詮索でした」
「では」
陽太は覗き窓に目を当てて、二人の様子を必死に角度をかえてみようとしていた。
竹丸だった。ポケットからカギを出してドアノブをつかんでるようだった。
「あの」
「え?」
「その部屋、ヒナタの」
「あ、ええ。え? ひょっとして、ヒナタさんのお母さん?」
「ええ」
「ヒナタさーん。お母さんですよ? ああ、そうか。鬼と間違えて」
「え? あなたは一体」
「ああ、ヒナタさんは生徒です。ワタクシ、教諭でしてね? 一緒に入りましょう。今、カギを開けますから」
「いえ。どうやら嫌われたみたいです」
「いえ、そんなことないです」
「すいません。では、よろしくお伝えください」
母親が階段に向きを変えた音が聞こえた。
陽太の胸が大きく鳴る。
母が行ってしまう。竹丸の様子では、あれは鬼ではない。きっと本物だ。
陽太は、居ても立ってもいられなくなった。
母に一言詫びたかったのだ。
どんな言葉を並べても信じてもらえないかもしれない。
だが母に、ゴメンっと詫びたかったのだ。
陽太はカギを外してドアを開けた。
「母さん!」
途端に、陽太の胸に突き刺さった母親の左手。
母の顔を見る。母の額に二本の角。
竹丸の顔を見る。こちらは教諭の星隈の額に二本の角だった。
やはり鬼だった。やはり鬼だった。
「……ふふ。……ふふふ。……はっはっはっはっはっは! ラストチャンスにまんまと乗ってくれてありがとう。三峰とキツネのババアが出て行って、さらに大きな魔力が消えたから今だと思ったのじゃ。さぁ、星熊童子。ワシの腕を探してくれ」
「うむ」
星熊童子は陽太に体をぶち当てて、部屋の中に入って乱雑に荒らしまわった。
ガサゴソと家具を引き倒し、ゴミを散乱させて茨木童子の腕を探し回っている。
陽太の体には茨木童子の腕が貫通して吊り下げられている形だった。
よりによって母さんの腕で殺されるイメージなんていやだなぁ。
ゴメン母さん。
親不孝を許してください。
オレは先に行きます。
どうか幸せになってください。
グラシャラボラス先生、前野さん。
いっぱい教えてくれたのに活用できなくてスイマセン。
竹丸さん。兄さんのような人。
ゴメン。オレが約束を守らなかった。
前野さんと仲良く長生きしてください。
アスカ。
ああアスカ。
今は、キミの顔しか思い浮かばないよ。
好きだ。
ゴメン、な。
「見つけた! これじゃろう」
「ふむ。どうれ」
茨木童子は陽太の胸から手を抜き受け取った。
手には心臓が握られている。
それを陽太の目の前でプシッと握りつぶした。
そして星熊童子が持ってきた腕を、受け取り欠損した部位に押し当てるとたちまちくっついて腕を二三度握って感覚を試していた。
「ふむ。元通りくっついたわ。やはりしっくりくる。はっはっはっは」
それが陽太の聞いた最後の言葉だった。




