第5話 予知能力
陽太は、左手の親指をかんで血を出した。
とりあえず、近くにあった紙にスラスラと血で文字を書いた。
“人間界にいる間は陽太の言うことを聞きます。陽太や他の者に危害を加えません。言うことを聞けない場合は地獄に帰ります。地獄に帰った後にも不平をもらさず、陽太や他の者に危害を加えません。その代わり、陽太は明日香ことアスタロトと人間界にいる間は一緒に暮らします。”
簡易な契約書だ。
だが、悪魔とこういうことをするのは大事なことだとの考えだった。
それを床に転がる明日香にヒラリと放り投げた。
「さぁ、これにサインしろ」
「え? 契約書? 紙の契約書?」
「そうだ。高貴な身分だ。まさか一方的に契約を破ることはしないだろうな?」
「う、うむ」
「早くサインしなければ呪文は止まらないぞ?」
陽太の計略がわかった遼太郎。
尚も呪文を唱え続ける。
「ええい! わかったわい!」
明日香も自分の指をかみ破りサインを書き記した。
陽太はようやくホッとして、汗をかきながら呪文を唱えている遼太郎に言った。
「遼太郎。もう止めてやれ。可愛そうだろ?」
「はぁ、はぁ、はぁ。もう、ダメ」
呪文が止まり、息も絶え絶えな明日香を見ながら遼太郎は声を張り上げた。
「可哀想って。オマエがやらせたんだろうが!」
「さ、アスカ。部屋を戻してくれ」
「ちょっと待って。ちょっと待って」
明日香は息を荒くしていたが、しかし相手は悪魔だ。追撃の手を緩めてはいかんとばかり、
「ちょっと待てだって? 呪文の方がいいのかな?」
明日香はビクっと体を震わせた。
「なんでよぉ。やめてよぉ」
「わかったら、ホラ早く」
「もう」
明日香がクルクルと指を回すと部屋があっというまに元通りに。
窓を開けて外を見ると不気味なアパートも普通に戻り、月もいつもの色に変わって行った。
あっという間の出来事だった。
「すげぇ。マジすげぇ」
「大悪魔だ。神だ。神!」
またもや明日香の魔力を見た遼太郎と結の両人は喜び出した。
それに気分をよくした明日香はいつもの調子でふんぞり返った。
「ふふん。余の力はこんなものではないぞ?」
と、鼻を鳴らしていばった。その根に持っていない様子に陽太はホッとした。
ものの本にも悪魔は単純だと言う。陽太はもう機嫌が直っている明日香に笑ってしまった。
さらに遼太郎は明日香を誉め称えた。
「閣下はこんな美人な女性だったのですね!」
「おいおい。余はいろんな姿を持っているだけだ。これはその一つ」
「すげぇ!」
「はっはっはっは!」
「配下はどのくらいいるんですかぁ?」
「軍団は40。直属の兵隊は50万だ」
「すごいっすぅ〜!」
「まぁな。はっはっは。足下たちはなかなか話せるではないか」
おだてにのって調子が上がって行く陽太はそれを横目で見ていた。自分も一緒になって明日香をおだてた。
「そうさ。アスカの叡智は神と一緒」
「うむ。足下も分かるか?」
「分かりますとも。でもお忍びで人間界で暮らすんだから、魔法なんか使わないよね?」
「ああ! もちろんだとも!」
「さすが! 偉大なる大公爵様」
「苦しゅうない。苦しゅうない。苦しゅうないぞ」
それから、3人と1悪魔にて夜まで雑談。
不思議な光景だ。
美しく気品がある顔立ち。
まるでミケランジェロの彫刻に色が着いたような。
それが、三人から褒められて健やかに無邪気に笑う。
しかし、こんなに可愛いのに明日香は悪魔なんだと。
それだけが陽太には残念に思えた。
だが、この美しい明日香と暮らせることになぜか男としての優越感もあった。
「はっはっは。愉快愉快。足下たちも、ヒナタの朋輩なら余の友人も同然だ」
「ありがとうございます!」
「地上のことはまだまだ知らん。いろいろ教えてくれ」
「はい。お任せください。閣下!」
「はっはっはっは! 気に入ったぞ。なかなか話せるヤツ達だ」
人間の2人が帰って行く。
明日香は面白がってこっそりとフクロウに姿を変えて二人のボディガードと称して後を付けて行った。
陽太は、一人で軽く食事しながら今日の出来事を思い出していた。強烈だが愉快な美しい同居人。これからの生活。布団はいらないのか? お金はないのだが。などと考えていた。
その後、服を脱いで軽くシャワーを浴びた。
頭を洗い、シャバシャバ泡を落として、後ろの泡も落とそうと半回転し背中にシャワーを浴びせていた。
そこに、
ガラリ
「ん? それはそういう道具だったんだな。暖かい水が出てくるのか」
「わぁー! なんだよ!」
突然、明日香に浴室の扉を開けられ、陽太は前を隠したのだが。
見られたのだ。男性の部分を。流石に女の子に見られるのは恥ずかしかった。
「なんだとはなんだ。足下は何をしている」
「風呂だよ! 風呂! 出て行けよ!」
「はっはっは! 狼狽! 無様。無様。たかだかハダカの姿を見られただけで人獣は狼狽するのか? ついぞ最近までハダカで戦争をしておったくせに」
「知らねーよ。早く閉めろ!」
「しかし、大貴族に対してなんなのかね? その口の聞き方は」
ゆっくりと扉をしめる明日香。目だけ最後までこちらを注視していた。
同居人のクセにとイラつきながら体を拭いて部屋に行くと、ドクロのついたイスによりかかって明日香はふくれていた。
「あ。そのイス」
「フン」
「また魔法使ったろ?」
「よいではないか。家具ぐらい」
明日香は豪華なイス。
陽太は軽装で立ったまま。
どっちがこの家の主人かわからない。
「もっと余を敬え。ハダカなぞよいではないか」
「だって、アスカ言ってたじゃん。友だちのように話せって」
「言った。しかし、そのぅ。身分の違いというものがあろうが」
だったら地獄に帰れ。願いだって叶えない。興味本位で自分の生活を邪魔されたくない。
「いいんだよ。それに、注意しなきゃならないのはそっちだろ。お忍びでもそんな話し方じゃ、すぐにアスタロトだってバレるよ?」
「そうか?」
「そうだよ」
明日香が空中で手のひらをクルリと回すと、空間に映像のようなものが流れだした。
そこには、明日香が大勢の人間達に追われて、必死に抵抗するものの農具のようなもので叩かれたり刺されたりする場面が映っていた。
それを見てブルブルと震えだす明日香。映像も徐々に薄くなって消えて行った。
「なにこれ?」
「足下の話しを元に未来を予知してみたのだ。なるほど、人獣とは恐ろしいもの。群れて余を殺そうとするやもしれん」
日本人は無関心だし、こんなに団結力ないけどなぁと、陽太は思ったが口には出さなかった。