第2話 契約したのかな?
その時! 陽太の鼻孔にとてつもない硫黄のような激臭が入り込んだ!
「うわ! くせぇ!」
陽太は服を鼻にあてがい、激臭を緩和した。
陽太の様子を見て、恐ろしげな生物は笑い出したのだ。
とても上品に。
「ふふふ。いく久しく地上に出ていなかったのう。こんな年端もいかぬものが魔術師とは恐れ入ったわい」
「あわわわわわ」
背筋がゾッとして戦慄が走った。
余りのことに激臭なぞ忘れてしまうほどだった。
なぜ自分の部屋の中にこんな訳の分からない巨大な生き物がいるのか? 本当に悪魔がでてきてしまったのか?
巨大な生物は笑いながら自己紹介をした。
「余はアスタロト大公爵である。見知ったか」
「あわわわわわ」
「ほう。それらしい魔法陣ではあるが、出鱈目ではないか。このまま八つ裂きにできるのう」
どうにかしなければ。そこで思い出した。
メモに契約の仕方がのっていたことを。
落ち着きを払い、毅然とした態度で。
メモには契約する際の姿勢すら記されていた。
それに従って、陽太はアスタロトに向けて自信を持って話し始めた。
「閣下におでましいただき、ありがたき幸せでございます。わたくしの願いを聞き届けてくだされば由。そうでなくてはこのソロモンの鍵の呪文で閣下を苦しませなくてはなりません」
うまくいった。少し唇は震えてはいたが、ちゃんと噛まずに話せた。
そういう態度が悪魔にとっては必要なのだと話しながら考えた。
だがアスタロトは苦笑する。
「ほう。ソロモンの鍵とな? これはやっかいな。まぁしかし一瞬で殺してしまえばよさそうであるな」
「あわわわわわ」
何を言ってもダメだ。
この恐ろしい生物に一瞬で殺されてしまう。
思わず脳裏に母の顔が思い浮かんだ。
「面白い」
「は、はぁ?」
「よくもまぁ、そんな出鱈目で余を喚び出せたものだ。余と足下は波長があうのやもしれんなァ」
「は、はぁ……」
「さぁ、契約をしようではないか。20年後に足下の魂を自由にしてもいいということで、どんな願いも叶えてやろう!」
なんと。陽太を魔術師として認めた。というかアスタロトが心を許したような感じだった。
陽太も幾分ホッとして
「そ、その前に」
「ふむ。人獣の子は契約に難癖をつけるというが、条件は譲れんぞ?」
「その恐ろしいお姿と、この臭いはどうにかなりませんか?」
アスタロトは一瞬だけ真顔になり、また大笑した。
「ん? この姿が恐ろしいと申すか? ははは! 覚悟があるのかないのかわからんやつじゃのう」
「は、はぁ」
「あいわかった。暫時まてい」
といってクルリと身をひるがえすと、恐ろしい竜も、巨大な姿も、激臭もなくなり、そこにはダルダルの黒いワンピースを着た同年代の女の子が立っていた。
濡れたような青い黒髪。
同じ日本人のようだがイタリアの彫像のような完全なる姿形。
そこら中が黄金比で出来ているような。
そんな妖艶な姿だった。
その姿に陽太の胸は高鳴った。
「お、女の子??」
「さよう。余はもともと女神だったからな。こっちのほうが原型に近いのだ」
「す、すごい」
「サービスで同年代くらいの姿になってやったぞ。この方が話しやすいであろう」
「は、はい」
「では、足下の話を聞こうではないか」
「じつは、これこれこういうわけで」
陽太は、貴根のことを話した。
彼女のそばにいたい。
仲良くなりたい。
人生をかけて幸せにしたいということを。
アスタロトはそれを女性らしい腕の組み方をしてうなずきながら聞いていた。
「ふうむ。ということは、余の力をもってして、その牝の人獣と番になりたいと申すのだな?」
「つ、つがい?」
「その方らの言葉で言えば、夫婦とか、未来を共にしたいという意味であろう?」
「は、はい。そうです」
アスタロトは「フッ」とひとつだけ笑うと、ギロリとこちらをにらんだ。
「くだらんッ! 実にくだらんッ!」
「わ! 口から火が!」
魔法陣の中に灼熱がのびて来る! 陽太はそれをすばやくかわした!
「なんで、余の力をもってして、そんなバカげた願いを叶えねばならんのだ! もっと、神のような叡智が欲しいとか、世界を統一したいとか、世界中の富を一身に集めたいとかそーゆーのではないのか?」
さすがの大悪魔にとってはつまらない願いなのかもしれない。
口から火が出るような激昂をされるとは思っていなかったので、陽太は魔法陣の中でシュンとなってしまった。
「は、はい。すいません」
「そうでなくては困る。戦争が勃きないではないか。戦争が」
「え??」
「足下が人獣の中で飛びぬけた存在となれば、必ず将来戦争が勃きて、たくさんの魂が余の手の中に入り、神や天使団は困り、大地は腐敗し、そして育った足下の魂まで、余が手に入れられる。そーゆー願いが欲しい。最高だ。最高の悪霊が手に入る」
とうっとりとした表情で語ったが、陽太は呆れてしまった。
「本音がでましたね」
「ヌム??」
「かわいくても、所詮は悪魔なんですねぇ」
アスタロトの目が妖しく青白く光った!
「口の聞き方に気を付けろ! 乳児!」
「わわわ! 目から稲妻が!」
そう吠えたアスタロトだったが、陽太が魔法陣の中で炎や稲妻をかわす仕草を見て大きく笑った。
「フフ。愉快愉快!」
「え?」
「気に入ったぞ。足下はなかなか敏捷性のあるやつだな。愉快痛快だ」
「は、はぁ」
「足下のくだらん願いともいえない願いなぞはどうでもいい。退屈しておったところだ。人獣の生体や生活に興味をもった。退屈しのぎに、しばらく足下と生活を共にしてみよう」
「え? え? え?」
「さっそく、明日から行動開始だ」
「え? 暮らす? 地獄は、大丈夫なんですか?」
「おいおい。なめるなよ? 人獣ごとき世界より秩序溢れる住みやすい世界だ」
「そ、そうですか」
「ふふ。明日から楽しみだわい」
と言いながら、早速辺りをキョロキョロしだした。
そう言われても困ってしまう。こんな可愛い子と一緒に暮らす準備などなにもない。
「ところで」
「は、はい」
「ここはなんという国だ?」
「は、はい。日本です」
「ほう。日本か!」
「知っているのですか?」
「多神教でずっと君主の血統が変わらぬ国であろう。世界で唯一の国だ」
「は、はぁ?」
陽太は日本の総理大臣は結構変わるし、血統とはなんの勘違いだろうと思った。
「もしもこの国であったら、余は女神のままだったのかも知れんなぁ」
「?????」
陽太には意味が分からなかった。
だが、アスタロトはこの日本が気に入ったらしい。
「それよりも、人と出会ったときに、余の名前では憚られる。お忍びであるから、何か別の名前はないか?」
お忍びと言われても誰も気付きはしないだろうと思ったものの、少し考えて
「日本人らしいですか? そうですね。では明日香というのはどうですか?」
「アスカか。余の名とちと似ておってよいのぉ。気に入った! ではそれにしよう」
「そういえば、言葉は大丈夫なんですね」
「ふふん。余の叡智は神並みであるぞ?余計な心配は無用だ」
「あ、そうか」
「では、余のことはアスカと呼べぃ。足下のことはなんと呼べばよいのだ?」
「は、はぁヒナタです」
「ヒナタか。わかった。それから、お忍びであるから、敬語は使うなよ? 朋輩と同じように呼ぶのだ」
「ほ、ほうばい??」
「友だち付き合いしているように話すのだ。と言えば分かるか?」
「は、はい」
「ハイではないわぁー!」
「わ! 口から二つに別れた舌がぁー!」
「ハイではなく、同輩と同じようにいうのだ」
「わ、わかった」
「そうそう。ふふん。楽しみじゃ」
「じゃ俺は寝ます。いや寝るね」
陽太は魔法陣から出て、それを片付けた。
いつもの定位置にテーブルを置いて大きなあくびを一つした。
「ふむ睡眠か」
「アスカはどうする?」
どうすると言うのだろう。ベッドは一つしかない。まさか一緒に寝るのか? しかし、そんな期待は空しい回答だった。
「余は別に眠らん。ちとこの辺の地上の様子でも見て朝方に戻ってこよう。ではな」
そういうと、窓の方にスタスタと歩き出した。
「あの。そこは窓でここは2階」
いうが早いか、明日香は窓も開けずに夜の外に飛び出した。
見ると、黒いフクロウが一羽飛んでいるだけだった。
「あ。なんにでも変われるんだ。ホントに悪魔なんだなぁ」