第16話 誘♡惑
いつもの日常。授業も終わり放課後。
陽太は一人帰り道に稲荷神社の脇を通っていた。そこにスッと現れたのが前野だった。
「わ! ま、前野さん」
前野は辺りをキョロキョロと見渡してから
「アッちゃんいないんだね。あのさぁ。ちょっと。話しがあるの。お社まで来てくれる?」
と言われ、明日香の友人。断る理由はない。
「え? う、うん」
陽太と前野は長い石段を上ってお社にたどり着いた。
高い杉の木で囲まれて静かなところだ。
前野はお社の正面に立たないように陽太に言い、手を引いて神社の端の方に連れて行った。
手を引かれた陽太は少し嬉しそうだった。それもそうだ。前野は大人な色気の美女。一緒にいるだけで色気のしぶきを浴びるようだ。
前野は陽太の方を向いて
「ねぇ単刀直入に聞くけど。アッちゃんって何?」
ドキリとし、そういうことか。と思った。
「何って。ダメだよ。お忍びだから、そっち系には言えない」
「だって、教えてくれないんだもん。ウチのことは分かっちゃったでしょ? もう聞いた?」
「うん。九尾の狐」
「ずるーい!」
前野は大きくのけぞった。大きな胸がプルンと揺れる。
正体はキツネだ。だが可愛いし色っぽい。
なぜか胸がドキドキさせながら彼女を見ていた。
「やっぱり、すっごい魔力だもんね~。ウチだって頑張って修行したのにまだまだだなぁ~」
「ああ、褒めてたよ? すごいって」
「マジ?」
「うん。マジ。何千年も修行して不老不死になったなんてすごいってさ。そんなふうに神様に創造されたわけじゃないのにって」
「そーでしょー。そーでしょー。ここまでになるのに大変なんだから」
そう言いながら前野は威張って腕組みをした。
「うん。そっか~。やっぱアッちゃんには分かってたか~。どーしよ。ますます知りたくなってきた」
「そっかぁ~」
「教えて」
「ダメだって」
「でも、しゃべりたくなってきたでしょ?」
と、上目づかいで陽太を見る。
陽太の心臓がドキリ! と大きくなった。
その後も、前野の顔を見ると鼓動がなりっぱなしになる。
思わず彼女から目をそらした。
「んなわけないじゃん」
「でも、話したくなるよ」
「どうして?」
「だって今から誘惑するんだもーん」
誘惑。そう言われてみると、陽太の体はおかしくなっていた。
頭がフラフラする。ピンク色のチョコレートを頭からぶっかけられたような甘ったるい感じだ。
そんな陽太の様子を見て、前野はニヤニヤと笑った。
「や~っぱり普通なんだね~。大魔術師だったらどうしようって思ったけど」
「あ。あ。あ。あ」
「ウチのこと好きでしょ?」
「ウン」
「大好きでしょ?」
「ウン」
「じゃぁ、話してよ。アッちゃんがなんなのか」
陽太は前野の誘惑の術にかけられたのだ。
ものすごい魔法の力だ。陽太の口からハァハァと息が漏れる。
自分の体も心も制御できなくなってくる。
陽太は誘惑に完全に負ける前に大声で叫んだ。
「あ~! アスカぁ~! 助けてぇ~!」
そんな陽太の叫びを前野は勝ち誇ったように笑った。
「あは。無理無理。正一位稲荷大明神の神域だよ? ウチは眷属だから入れるけどぉ~。アッちゃんがどんなものでも入れっこない。鳥居をくぐった時から浅川君の負けは決まってたんだよ~」
そう。ここは稲荷神社だった。
狛犬の場所にお使いの狐の石像が二匹鎮座している。
陽太はもう限界だった。
「あ、アス……」
「うんうん」
「地獄のたいこ……」
「太鼓?」
その時だった。石段から一つの影が現れた。
「タマちゃん」
「げ! あ、アッちゃん。ど、どうして?」
明日香はゆっくりと陽太の方に歩み寄ってくる。
「やめてよ。ヒナタに手を出さないでって言ったでしょ?」
「うん、言った。ゴメンナサイ」
「もう」
明日香に手を合わせる前野の前でフラフラと揺れて倒れそうな陽太を抱えた。
陽太も明日香の胸に倒れ込んだ。
「たいこ……じごくのたいこ……アス……アス……」
明日香のことをブツブツと言おうとする陽太を自分の胸に優しく押し付ける。
そうすると、ものすごい誘惑の術も次第に和らいで行く。
陽太の口から満足気に「ハァ」という息がもれた。
前野は神社の入り口と明日香とを互いに見ながら
「でも、どうしてここが」
というと、明日香は平然と
「ヒナタの居場所を感じたんだよ。おー。よしよし。ヒナタ。早く目を覚まして~」
と答えた。明日香にペシペシと頬を叩かれ陽太はゆっくりと目を開けた。
前野は明日香の前に立ちなおも手を合わせる。
「ゴメン。ゴメンね?」
「分かったよ」
「ホッ」
「そんなに正体が知りたいの?」
「いや、別にいいかなぁ~。なんて思ってきた」
「せっかく同等の友だちだと思ったのに。言ったら同等じゃなくなっちゃうよ?」
明日香は、前野のことを尊敬している。
だが、自分の正体を言うと畏れ入ってしまうと思っていたのだろう。
だから、もっともっと仲良くなってからのタイミングを見計らっていたのだ。
「分かった。分かった! ゴメン。ゴメン!」
前野さんはずっと両手を合わせて謝っていた。
「私。悪魔だから」
「やっぱり! ウン。でもいいや。そのうちもっと仲良くなったら。ね?」
「うん。そうだね」
「じゃまたね。ここウチの家だから」
そう言って、お社の縁の下を指さした。
「そーなんだ」
「この神域に入れるなんてやっぱすごいわ」
「そう? ありがと。またパンケーキ食べに行こう!」
「それよりも、仙台市に油揚げ食べに行かない? こーんなに大きいの!」
「なにそれ? 油揚げ?」
油揚げはキツネの大好物だ。だがここから仙台市はかなり遠い。
しかし二人なら飛んでもいけるのかもしれない。と陽太は思った。
明日香は前野の言葉にニコリと笑って大きくうなずいた。
「どんなのかしらないけど行ってみようか」
「うん。行こう! 行こう!」
「あは、じゃーね! またね!」
「うん! じゃーね!」
前野に手を振って二人は別れた。そしてニコニコ顔の明日香。
二人は並んで神社の石段を降りていった。
陽太は自分の鼻の頭を掻きながら
「キツネか。イメージ通りだなぁ」
「どうしてだ?」
「昔話とかで、こう、ずる賢いイメージだから」
「ま、そうなのかもしれん。多少したたかでなくては何千年も生きれまい」
「そうだよね」
「でも、いいヤツだぞ?」
「そうなんだ」
二人は石段を下りきって部屋への道に体を向けた。




