第159話 死ねない痛み
次の日。と言っても陽太には時間の感覚はない。
牢番がロウソクに火を灯したときが一日のはじまりなのだ。
牢番は岩から染み出る水を柄杓に取って、それを陽太に飲ませようとした。
この地獄で初めての優しさに陽太はつい涙する。
「あ、ありがとう……」
「慈悲があるからな。最低のサービスくらいはしてやるわい。ま、正直鬼の方々はやはり恐ろしいな。飴と鞭などない。鞭に鞭だ。罪人にも少しの哀れみがなくてはいかん。これでも私は職務には忠実だからな」
陽太は差し出された柄杓の水を飲んで咳き込んだ。
「これ、これ。慌てるでない」
「へへへ……」
「また鬼の方々が来られるからな。今のうちに休んでおくといい。私の分は鬼の方々がやってくれるからなァ」
その時、通路の方からガヤガヤと声が聞こえた。
来た。鬼たちだ。
牢番は陽太に水をやることを一時中断し、柄杓を引っ込めて道具入れに隠した。
「おはようございます」
「おはよう」
「おはようございます」
「おはよう」
「おはよう」
「おはようございます」
昨日は二匹だけだったが、ニヤついた鬼が六匹。朝の挨拶をしながらこの牢屋の中へ。
酒呑童子、茨木童子。
茨木童子の部下の、星熊童子の他に、熊童子、金熊童子、虎熊童子。仲間を連れてやって来たのだ。
しかし鬼たちは、礼儀正しく優し気な声で語りかけてきた。
手には金棒も持っていない。
それを見て、陽太は安心し安堵のため息をついた。
「ん~。ケガがすっかり治っていらっしゃる。やっぱり魔力がすごいですものなぁ」
「昨日はよく眠れましたかな?」
酒呑童子に茨木童子も互いにねぎらいの言葉をかけてくる。
陽太は、ああ、これはきっと大公国の使者が気付いてくれて、鬼たちに面会してそれを伝え、態度が変わったのかもしれないとわずかながらに思った。
酒呑童子は、陽太の口の周りが若干濡れていることに気付いた。
牢番から水を貰ったのだろうと気付いたのだ。
「おやおや、喉が渇いたのですか?」
「ええ……」
優しい言葉につい答えを返す。
すると酒呑童子は手を打って喜んだ。
「ちょうど良かった! 飲み物を持ってきましたぞ!」
酒呑童子が部下の方を向くと、通路に戻った星熊童子が持って来たのは真っ赤に焼けた金属の柄杓にドロドロとした液体が入っている。
「銅を溶かして持ってきました。さぁどうぞ。お飲みください。さぁさぁ遠慮なさらずに」
こんなもの飲んだら、さすがに死んでしまうかもしれない。
陽太は戦慄の表情を浮かべて口を閉じて抵抗した。
「あ! これ! 口をあけろ!」
「鼻をつまめ。鼻を!」
熱い。目の前には真っ赤に焼けた柄杓。
鼻はつままれ、息が出来なくなった陽太は口を開けてしまう。
そこに髪を摑まれ上を向けられると、星熊童子が銅を注ぎ込む。
「うぎゃぁぁぁあああーーーー!!!」
地獄に響き渡る絶叫。
陽太の下あごはドロドロに溶けて無くなってしまった。
激痛だ。死に勝る苦しみ。
鬼たちはそれを指差して下品にギャハハハと笑っている。
意識がもうろうとし、気絶しそうになる。
だがそこに鬼は水を浴びせ、正気を失わせない。
さらに、鬼の目の前で奇跡が起きるのだ。アスタロトの心臓が、陽太の体を自動修復して行く。溶けたあごは赤い肉の塊だが歯が生え始めている。胸も幾分ヤケドを負っていたが完全に元通りだ。だが陽太には苦痛だけは残っている。
痛くて抵抗もできない悲しみにより、陽太の目からボタボタと涙がこぼれた。
「おい。見たか。治って行くぞ」
「ならば、もう一度」
「うむ」
星熊童子が通路に戻ろうとすると、3メートルはあろう黒い甲冑を着た巨人に当たってその場に尻餅をついた。
その巨人は、腕にトゲ付きの金棒を持っている。
陽太はまた泣く。新手だ。
鬼の援軍。
地獄。これが地獄なのだと。




