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ハーモニア王女の歓迎舞踏会が開催されてからしばらく経ったある日のことである。
どんよりとした雲に空は覆われ、雪がいつ舞い始めてもおかしくない寒い日であった。
王女はすでに帰国しており、外の寒さなど全く関係なく暖かい部屋で、ルーデンスとロベルトはいつものように執務を行っていた。
そこへドアを開けるなり、レイヤードがバタバタと駆け込んできた。
「あー、もうクタクタだぁ」
「行儀が悪いぞ、レイヤード」
ロベルトの指摘に答えることも無く、レイヤードはドカッとソファに座り身体をくつろがせた。
「あの舞踏会以降、ダンスのレッスンの依頼が増えて、いくら僕でも身体が持たないよぅ」
「良いことだな」
ペンを動かしたまま、クスッと笑ってルーデンスは言った。
ハーモニア王女の歓迎舞踏会で披露されたロベルトとアーシャのダンスは、エフェルナンド皇国にいくつかの流行を作り出した。
一つはダンスそのもの。二人に刺激されて、難しいステップに挑戦しようとする者が多く現れた。中でもアーシャが妖精のようにフワリと回った振り付けは話題となったが、実際出来るものは殆どいない。いても脚力のあるアーシャほど軽やかではないのだ。ダンスの名手の一人がロベルトとは分かったものの、もう一人は現在も不明のままとなっている。ロベルトにダンスの指導を依頼するような強者は存在しなかった。そこで代わりにと皆が教えを請うたのがダンスの振り付けを考えたというレイヤードである。
もう一つはドレス。クルクル回り踊るのに合わせてふんわりと広がるスカート部分と、ステップを踏む足元が見える長さの裾は舞踏会において最先端のデザインとなった。靴が見えることで、靴のデザインも以前より多種になっている。今までとは違うデザインのドレスが流行っていることで、どこの仕立屋も大忙しである。
アーシャはダンスの名手となった報酬として、現金ではなく、モストダークに借りている建物に教師の派遣を依頼した。文字や簡単な計算を教える教師と裁縫の基礎を教える教師をである。さらに教師を護衛し、希望する女性に護身術を教える衛士の計3人であった。期間は2年。その間に教えられる人物を育成していくという計画をアーシャは立てた。
ルーデンスは快くアーシャに報酬を寄越してくれた。2人の教師は貧しい女性を見下すことの無い向上心に溢れる人物である。おかげでアーシャがモストダークに行けない時もそこに集う女性は勉強することが出来たのだった。
「アーシャ・オルグの作った学校もどきの女性保護施設は順調に機能しているのか?」
「ええ、『マグノリアの家』という名だそうですよ。住んでいる者が4名に通っている者が10名と報告が来ています」
ロベルトは手に持った書類を机に置いてルーデンスに目を遣った。
「ふぅん。思ったより人数がいるじゃないか。どの位の人数が使い物になるか楽しみだな。彼女の一生懸命な姿が目に浮かぶよ」
「クールデンと王都の行き来で休みが無くなっているようです。ディック・エイゴルンの秘書としての仕事はあまりしていないようですがね」
ルーデンスは人の悪い笑みを浮かべた。
「学校が出来ると、てきめんにその地域の治安が良くなるよね。彼女の報告書も久しぶりに読みたいし、国として少し予算を組めるか?」
「調整してみます」
ロベルトは再び視線を机へと落とし、執務を再開した。ルーデンスは何処とも無く窓の外へと視線を移す。その顔には先を楽しみにする笑みが浮かんでいた。
◇◇◇
舞踏会の日々は記憶の中で遠くなり、アーシャは再びクールデンとモストダークを行き来する日々を過ごしていた。
「アーシャさん、郵便です」
青い顔色で先輩事務官のマルチェが緊張した面持ちで白い封筒をアーシャに差し出した。
(ものすごく嫌な予感しかしないんだけど)
緊張しながらアーシャは封筒を受け取ると、直ぐさま裏返して印璽を確認した。
「うっ、うわぁ」
エフェルナンド皇国の印璽がそこにはあった。思わずガクッと首を落としたアーシャだった。使者に持たせて届けていないだけマシかもしれないが、この封筒からはいつものように厄介ごとの予感しか感じられない。
(今度こそ、私とあの方々とは縁が切れたのでは無かったの?)
ガックリと肩も落としながら、仕方ないとアーシャは封筒を開けて中を確認した。
『アーシャ・オルグ殿
貴殿をエフェルナンド皇国技術習得学校 モストダーク校の副校長に任命する
現在の職との兼任とする
ルーデンス・アルフレッド・ジョルイン・エーメレ・デュ・ポンド・エフェルナンド 』
任命書と共に入っていた書状には、モストダークにあるアーシャが借りている場所を国公認の学校にすることが書いてあった。それに伴い登城するようにとも。
半眼のアーシャが執務机で書状をヒラヒラさせながら机の上の任命書を見ていると、ディックがやって来た。アーシャの手から書状を抜き取って任命書にも目を通す。
「人気者は大変だな。でも国公認校になることは悪いことでは無いんじゃないか」
いつものようにディックはアーシャの頭をポンポンと叩く。
「運営資金が手に入るから、悪いことじゃないから困るんですよ。ディックさんは、私が秘書としてここに居る時間が減っても大丈夫ですか?」
「俺、優秀だから。それに兼任だろ。アーシャがここから居なくなる訳じゃ無い」
ニカッとディックは笑顔でアーシャの後押しをした。つられたアーシャもニカッと笑い返したのだった。
マグノリアが咲き始めた頃、アーシャは正式にモストダークの技術習得学校の副校長となった。
「行ってきます」
手を大きく振って、クールデン駐屯地から王都へと向かうアーシャの姿がそこにはあった。
fin
ブックマークに評価、ありがとうございます。
『貴族やめます庶民になります』の書籍の発売までいよいよ後一月あまりとなりました。
ロベルトとアーシャの関係に変化が起こるかと思いきや、変わりませんでしたね。ディックとアーシャは仲良しです。