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クールデンを陽の高いうちに発って、馬車は夕刻に王都に到着した。陽はだいぶ短くなり、すっかり辺りは暗くなっていたが、さすが王都、街灯やランプの明かりがあちこちで輝いている。
ランセルが同行しているのですんなりと王宮へ入り、現在アーシャとディックは王宮の入口にやや近い実用性重視という感じの応接室に居た。ランセルは近衛騎士隊の方へ顔出しに行ってしまって、ここには居ない。明日、ルーデンス殿下に謁見するのかと思っていたが、早いほうが良いと連れて来られた。
お客であるはずのアーシャとディックが応接室の下座に並んで位置するという、上位貴族と平民が同席する席順である。
アーシャは金茶の髪を襟元で一つにまとめてシンプルな黒と深緑色の警備隊事務官服、ディックはいつもの黒い警備隊服に深緑色のマント付きである。制服なのでどんな身分の人を前にしても問題は無い。とは言っても緊張はぬぐえない。
「アーシャ嬢、君、華が無くなったね。」
(……)
「ああ、確かに田舎者っぽくなったな。平民になったせいか、それともクールデンにいるせいか。」
(……)
その言葉が発せられたのは、アーシャとディックがルーデンス殿下達を前にして、一平民文官として挨拶をした直後のことだった。
思わずアーシャの全身が一瞬固まった。
(口をポカンと開けなかった私って、えらい。)
久しぶりにお会いしたルーデンス殿下は私を上から下までサッと見た後、こうのたまわったのだ。
ロベルト様なんてチラリと私を見ただけで言ったのだ。
「うわ、うわぁ。殿下にロベルトも、レディに失礼なこと言っちゃだめでしょ。褒めて愛でるがレディに対する基本だよ。」
慌てたレイヤード様が私から二人を隠すようにして、二人を諫めた。
「ふっ。平民相手ならこの位問題ない。むしろ、正直に胸の内をさらけ出している私を褒めてほしいね。アーシャ嬢を対等の者として認めての言葉だって分かって欲しいな。」
「私も気を遣わず、思ったことを言ったまでだ。平民だからと見下して言ったのでは無い。」
(腹立つぅ。久しぶりに会った知り合いにこんなこと言うのね。クールデンの警備隊士より二人とも遙かに美形だけど、口は遙かに汚いわ。確かに私はもう令嬢では無いけど、紳士として振る舞うってことが出来ない訳では無いでしょうに…)
平民となったアーシャは眼から何か出そうな眼力でもって、ルーデンスとロベルトに向き直った。お腹が空いているから、不機嫌だとは思いたくない。
ルーデンスとロベルトは普段向けられることの無いようなアーシャの眼差しを「何だ?」とばかりに見るだけである。
隣りに立つディックに至っては三人から面白い物を見せてもらっているとばかりの、他人事状態だ。平然とすまし顔をしているつもりだが、口角がニヤッと上がってしまっている。
「こんなやりとりをするために私達をクールデンからわざわざ呼んだ訳ではないと思うのですが…本題にはいって頂けますか?」
「ロベルトから書状が行っただろ? 改めてお願いしたい。貴方にダンスの名手となり、ロベルトをパートナーとしてハーモニア王女の歓迎舞踏会で踊って欲しい。そしてディック・エイゴルンには会場警備指揮をお願いする。後で警備責任者のランセルと話を詰めてくれ。」
ルーデンスの言葉が終わるとロベルトは同意とばかりに、私達に軽く頭を下げた。真面目な表情でいるロベルトの琥珀色のアーモンドアイは少々怖い。久しぶりに会ったアーシャはロベルトの眼差しに内心ビクビクしていた。けれどもそれを見せるのは癪なので、無表情をつくろうとしていた。
(はあっ。キラキラ王子さまスマイルと共にルーデンス殿下に正式に依頼されてしまったわ。ロベルト様の正式な署名入り書状を受け取った時点ですでに断れなかったけどね。)
「先ほどからルーデンス殿下は私のことを『ダンスの名手』と呼んでおりますが、自分ではそれほど踊れるとは思っていません。それに踊れたとしてもすでに一年以上踊っていませんし、ヒールの高い令嬢が履くような靴も同じく一年以上履いておりません。この状態でトアルクスの王女様に喜んでいただけるレベルのものを披露出来るとは思えないのですが。」
「それならきっと大丈夫って、僕が保証するよ。以前、舞踏会で君と踊った時の技術レベルは充分高かった。今、舞踏会には参加してなくても、地図作りで歩き回った健脚はあるし、警備隊に所属していれば事務官だって体力づくりは普段してるでしょ。そこいらの令嬢より、よっぽどタフな身体を持ってるって。ロベルトのリードは定評あるし、練習さえすれば君は充分踊れると思うよ。」
「レイヤードの言うとおりだ。難点はアーシャに華と品が無いことだな。その点はロベルトが何とかするだろう。国賓を迎えるんだよ。だから、ちゃんと名手になってもらうからね。」
(あー、ルーデンス殿下がライオンになって吠えてるわ。ロベルト様が何とかするって悪いイメージしか浮かばないんですけど。)
「色気は求めて無いから安心しろ。」
(…)
ディックがブッと吹いた。息を呑み震える両手を握りしめるアーシャ。アチャーとばかりに手で顔を覆うレイヤード。のんきに笑って見ているルーデンス殿下。淡々と述べたロベルトへの反応は三者三様であった。
(普段意見が合わないのに、ディックさん、こんな時だけロベルト様に同意しないでくださいよ。)
「それからアーシャ嬢はエデンバッハ邸にて舞踏会まで住み込みとする。ディック、不本意だが王都に居る間エデンバッハ邸に一緒に泊まらせてやっても良いぞ。」
「住み込みって、舞踏会までまだ一月以上あるじゃないですか。」
アーシャは声にならない悲鳴のような声を飲み込んだ。こめかみに青筋が立ち、ピクピクしている。貴族でいる時は表情無く居られたのに、庶民となり豊かな表情を取り戻したのは喜ぶべきなのか…
「あー、俺はめんどり亭に「一緒に泊まりますよね。」、、、」
ディックの鍛えられた腕をアーシャがガシッと掴んで、言葉を遮った。
アーシャのウルウルとした金茶色の瞳がディックの葡萄色の瞳をジッと見つめる。キリッとつった目が心細げに揺れている。
(こいつでもこんな目をするんだな。しょうがねーな。俺、上司だし。)
「ロベルト様、あー、悪いが俺も泊めてくれ。ただ、貴族のマナーなんてのは知らないからそこは考慮してくれな。」
ディックの横でホッと小さく息を吐くアーシャであった。
それから今後の予定を簡単に伝えられ共有して解散となった。
ロベルト、ディック、アーシャの三人は王宮からエデンバッハ邸へと馬車で一緒に向かったのである。
大きく豪奢なエデンバッハ邸をみたディックは「これはアーシャが一人を嫌がっても仕方が無い」と思いつつ、「遅くなったが、かなり美味い夕飯がうまい酒付きで食べられそうだぞ」と内心喜んだ。