第七話
今日は一旦自宅に戻った後、携帯を手に俺は繁華街に向かった。
翠さんと待ち合わせ。翠さんとは、時々学校の外で会うようになっていた。携帯のメールで、予定を示し合わせての逢瀬。
基本的に学校は携帯電話の持込みを禁止していたので番号もアドレスも交換する機会がなかったのだが、俺も所持しているであろうと彼女からアドレスを書いたメモを渡されたのだった。
前日のうちに、連絡を取り合って、待ち合わせの場所と時刻を決めて。当日家に戻ってから予定に変更が無いことも互いに確認した上での行動だった。
律儀に携帯を家に置いているから面倒だったが、彼女も同様に家に置いているから俺だけ持ち歩くことも憚られた。
本屋で立ち読みしながらの待ち合わせ。何とも色気の無い話だったが、仲良くさせては貰ってはいるものの、そもそもそういう関係でも無いから特に問題とも思わなかった。
二人が揃うと、ファストフード店や喫茶店で軽食しつつ、遙ちゃんの近況を話し合う。わざわざ外で会うのは、学校内だと二人で会うだけでも最近は目立ってしまい、からかう輩がいるからだった。翠さんがそのことを迷惑だとか言わないことは判っている。だが、良くは無いだろう。彼女は俺に迷惑がかかると思って、外で会うことにしたみたいだが。
近況を話した後は、遅くならない程度に一緒に遊んだ後、バス停で彼女を見送る。まぁ、デートかと問われれば、違うとも言い難い状況ではあった。
そんな状況でのこと。
「よっ。デート楽しかったか?」
翠さんを乗せたバスが出発したところで、背後から声を掛けられた。
この声は──。
振り返ると、千賀さんがニヤニヤ笑っていた。
「何してんの? ストーカー?」
こっちから攻撃してみる。
「ばっ、ち、ちげぇよ!」
意表を突かれたのか、慌ててやがる。
「じゃあ、何してんの?」
改めて問い直す。
彼女は胸を張って手を腰に当てて。
「そりゃ、決まってんじゃん。お前が面白いことやってるから見物してたんだよ」
「何時から?」
「本屋で『翠さん』って呼びかけたとこ?」
今日の、待ち合わせのシーン……。最初からじゃねぇか!
「完全にストーカーじゃねぇかよ!?」
そもそも、どうやって? 偶然でなければ本気でストーカーじみてるな。
「だからちげぇってば! ジャーナリズムだよ!」
千賀さんは拳に力を溜めて振り上げた。
仕事じゃねぇだろ。
「んで、お前ら付き合ってんの?」
コロッと話を変えやがるし。
「違うよ」
答えつつ、ため息を吐いた。
こいつの相手は疲れる。
「でも、デートなんだろ?」
「否定する要素はあまり無いが、付き合って無くてもデートくらいするだろ?」
何か話がかみ合わない。
「……それもそうか」
考え無しかよ。
「じゃあさ。あたしともデートとやらをやってみようぜ」
「なんでそうなる?」
こいつの意図がまるで見えない。ただからかっているだけなのか。
「やっぱ嫌か……」
わざとらしくため息を吐きやがった。
「そういう訳じゃないよ。お前はどこに行きたいんだ?」
などと殊勝に返しても、
「えっ、あたしをどうするつもり?」
両肩を抱えて身を捩りやがるし。
「俺はどうすりゃいいんだよ……」
「チャラ男は死ねばいいよ」
「チャラ男じゃねぇし!」
いかん。すっかりこいつのペースに呑まれている。俺の言葉遣いまで怪しくなってるし。
「まぁ、明日を楽しみにしてるんですな」
彼女は不吉なことを言い残して、去っていった。
翌日。朝から好奇の視線に晒されるものと覚悟していたのだが、微妙に想像とは違う状況だった。
千賀さんは、遙ちゃんにだけ、昨日のことを話しているみたいだった。俺の方を見ながら、何やら話し込んでいる様子。
遙ちゃんは、時折視線を向けるものの、別に好奇の目という訳でもなく、よく首を傾げる仕草をしていた。
「また、よからぬことを仕掛けられているみたいだな」
日高さんが俺の横で足を止め、千賀さんの方を見ながら呟く。
俺はただため息を吐くばかり。
「それにしても、柊は隙が多すぎるんじゃないか?」
千賀さんからの絡まれ具合を見てそう思ったのだろう。
「それはどうか判らんが、ストーカー相手じゃ防ぎきれねぇよ」
「おい、いくらなんでもストーカーは無いだろ」
窘められるが、
「昨日の放課後、待ち合わせから見送りまでの間、あいつずっと俺を付け回してたんだぜ?」
「……すまん」
謝られてしまった。
日高さんは、まだ遙ちゃんと話をしている千賀さんの前までつかつかと歩き、おもむろに拳骨を落とした。
千賀さんは涙目で俺を睨み、何か言っているみたいだが、聞こえないので無視した。
昼休み。
「柊君……」
遙ちゃんが俺の前に来た。恐らく昨日のことなんだろうが、千賀さんに何て言われたんだろうか。
左手を胸に当て、何やら考え込んでいる様子。
「どうした?」
努めて、冷静を装う。
「柊君って、お姉ちゃんと付き合ってるの?」
ストレートな物言いに思わず噴出してしまう。
別に、それを咎めている様子ではなかったが、微妙に腑に落ちない様子。
「そういう訳じゃないよ。仲良くさせては貰ってるけどさ」
「……でも、昨日もデートしてたんでしょう?」
昨日の千賀さんとの会話と似てきたな。
「付き合って無くても、仲がよければデートくらいしてもいいだろう?」
「うーん……、それはそうなんだけど……」
理由は判らないが、俺と翠さんが付き合っているか否かよりも、俺と翠さんがデートした事実の方が気になっているみたいだった。
「ごめんなさい、私が口出しする話じゃないって判ってはいるんだけど、姉さんのことだから気になってしまって」
遙ちゃんが言い澱む。
彼女が気にしている内容が判らないのでなんともいえないが、下手に考え込ませるのもまずい気がした。
「何か腑に落ちない?」
続きを促す。
「うん。疑問はいくつかあるんだけど、そもそも姉さんがデートをするってこと自体が変なのよ」
えっ?
「姉さんはいつも、異性とのお付き合いとか、デートとかについて、軽く考えちゃ駄目、って公言していて、誰かにデートに誘われても全然応じないみたいなの。そういうのは、ちゃんと親しくなった上で、お互いをよく知った間柄になってからやるべきだ、って」
どんだけ固いんだよ。まぁ、生真面目な翠さんらしいといえば、らしいのかもしれないが。
「いや、……九重先輩の方は、デートとは思ってないのかもしれないしさ」
どうにかソフトランディングを考えていたのだが。
「九重先輩、だって」
横から千賀さんが割り込む。この女は──
「昨日は『翠さん』って呼んでたくせに」
思わずまた噴出しそうになった。遙ちゃんの前で、それはまずい。どうしても、あの頃の俺たちを連想させてしまうから。
「それも、大きな疑問なのよ」
俺の思惑を他所に、遙ちゃんはそこにも突っ込んでくる。
「私が知る限り、姉さんが名前で呼ぶのを許している男性は、親族だけなの。それ以外の人から呼ばれるのは、頑なに拒否していたのよ」
そうだったのか。迂闊だった……。この前、翠さんは気軽にOKしてくれたから、全然気にもしていなかった。
「……それだけ親密な間柄になったというだけの話じゃないのか?」
反対側から、いつの間にかそこにいた日高さんが支援してくれた。いや、支援なのかは判らないが。とりあえずこの場を収める方向に持って行こうとしてくれていることは判る。
「この短期間で?」
遙ちゃんの階段落ちからまだ二ヶ月も経っていない。
「必ずしも時間が掛かるとは限らないだろう?」
日高さんは疑問に疑問を被せた。そういう場合だってあるだろう、と。
「本人に聞いてみれば~?」
意外なことに、騒動を嗾けた当人が、この場を収める発言をした。
千賀さんは、学校で翠さんに直接聞きに行くつもりで言ったのだろうが、遙ちゃんの場合、自宅で聞けばいいのだからと日高さんに諌められて、話は終わった。
まずい事態になったな。
昨日の時点で、千賀さんに見られたことはメールで伝えてはあったのだが。事態が予想より遙ちゃん寄りに進展していく。
帰宅し、今日の状況をメールで伝える。
翠さんからの返信は、『状況は判りました。直人君にはまた迷惑をかけてしまうと思いますが、なるべく簡潔な話になるように誘導してみます』だった。最近の、翠さんの思い切りの良さ加減に、少し心配になってしまう。
結果が判ったのは、夜中になってからだった。
着信したメールを見て、噴出してしまった。
『ごめんなさい。事情を話すと長くなるので簡潔に状況だけ伝えます。話の流れから、直人君とは、お付き合い寸前、ということになってしまいました』