第五話
翌朝。
教室に入ると、気になる視線を向けられた。
千賀さんだった。
やはり、昨日のあれは千賀さんだったか。
俺としては、特に言い訳とかするのも変に思い、何も言わず、何事もなかったように無視した。
教室では、俺を見ている千賀さんを、日高さんが不思議そうに見ていた。そういや、千賀さんは日高さんと同じ部活で仲も良いみたいだ。だが、日高さんが不思議そうに見ているということは、千賀さんは昨日のことを誰にも言ってはいないのか。
俺は居心地の悪い中、大人しく授業を受けたのだった。
昼休み。
自分の席で大人しくしていると、突然俺の前の席に千賀さんが横座りした。そして、意味深に俺の顔を覗き込む。
どういう心算だろう。そして、俺はどうしようか。
昨日の件で、俺に何か言ってくる訳でもなく。ただ、俺を見てニヤニヤしていやがる。俺から何か言わせたいのだろうか。
「何してるんだよ」
暫く無言でにらめっこをしていると、横から日高さんが突っ込んできた。
「別に~」
千賀さんは思わせぶりに呟く。あくまで俺から言葉を引き出す心算か。
ここで席を立つと、千賀さんが何か言い出しかねないと思い、動けない。
そこへ。
遙ちゃんが俺の隣に来た。昨日の件だろうか、朝から俺の方を窺ってはいたのだ。だが、わざわざ声を掛けるのを躊躇っていたのだろう。俺が他の女子に囲まれている状況を見て、俺と話をする気にでもなったのか。
「柊君、昨日はありがとうね」
ペコリと頭を下げる遙ちゃんを見て、千賀さんは驚いた様子。遙ちゃんは昨日の件をどう思っているのか。恐らく、翠さんは彼女には何も説明してはいないだろう。
「何かあったの?」
遙ちゃんが俺のところに来て頭を下げているのを見て、小笠原さんまでやってきた。そういえば、彼女は遙ちゃんの様子を見守るように頼まれていたんだっけ。
次第に大事みたいになっていく中、俺はというと、何も出来ずに固まっていたのだった。
「昨日ね、具合が悪くなった姉さんを、柊君が介抱してくれたらしいの」
遙ちゃんは無邪気に説明する。
「へー」
千賀さんはワザとらしく驚いたような声を出す。いかにも嫌味っぽい。
「何?」
不思議そうに見ている遙ちゃんに代わり、小笠原さんが問うが、
「別に~?」
千賀さんはあくまでとぼけていて。
「おい」
千賀さんの態度に、日高さんが注意する。
「いやね。なんでそうなったのかなって思っただけだよ」
悪びれた様子も無く、話を誘導されてしまう。
皆の視線が俺に集まる。
そこへ。
「何をしているの?」
更に人が現れた。それは、救いの手という訳でもなかった。何故なら、翠さんだったから。
「あれ、姉さん……」
恐らく、また昨日の件で話をしに来たのだろう。教室で俺が詰問されているような状況を見て、勝手に入って来たのか。
「昨日、先輩たちは何してたのかな~って話をしていたところですよ」
千賀さんは先輩に対しても物怖じしないみたいだった。弱みを握っている、とでも思っているのか。
翠さんが俺の方を見る。俺はため息を吐いて見せた。
それで状況を察したのか、翠さんの目が据わった。覚悟を決めた様子。何に対する覚悟かは知らないが。
「昨日って。何について聞きたいの?」
翠さんは冷めた表情で千賀さんを見下ろす。
「あんなところで、何をしていたのかなって気になっただけですよ」
千賀さんはニヤリと笑う。
翠さんはため息を吐いた。
「……なるほどね。別に、あなたに説明を求められる謂れは無いけど、柊君に迷惑を掛けているみたいだから一応言っておくわ」
髪をかき上げ、千賀さんを睨む。
彼女は、何て説明する気だろう?
「私は、柊君のお母様と会っていたの」
思わず噴出しそうになった。そこは言わなくてもいいだろうと思っていたから。妙な誤解を与えてしまいそうだった。
唐突な話に、千賀さんすらポカンとしていた。
「そして、私が色々誤解していたこともあって、柊君を傷つけていたことを知って。それが自分でもショックで、具合を悪くしてしまって。それで更に柊君に迷惑を掛けてしまったのだけど、彼は私のことを心配して、保健室まで付き添ってくれたの。それだけのことよ……」
翠さんは俯いてしまった。昨日のことをまた思い出しているのだろうか。
表面上だけの説明だったが、それでもう十分とでもいう感じで、空気が重くなった。
日高さんが千賀さんの頭を小突く。
それで千賀さんもハッと思い直したのか、
「……好奇心で聞いてしまいました。すみません」
素直に謝罪した。多分、単純な色事だとでも想っていたのだろう。消沈した様子を見せる彼女だったが、これで彼女の好奇心を満足させたとは思えなかった。それでも、表面上は暫く静かにしてくれるだろう。
「そういう訳だから。ちょっと柊君を借りていくわね」
「どこまでも面倒を掛けてしまって、ごめんなさい」
もう何度目かの謝罪。既に彼女は涙目になっている。
「もう、謝らないでくださいよ、翠さん」
誰かに見られたらもっと面倒なことになりそうな状況。それは翠さんにとっても迷惑な話だろう。
「まだ、そう呼んでくれるのね。嬉しい……」
そう言われて、昔の呼び方をしてしまったことに気付いた。
「……呼んでも、いいんですか?」
思わず聞いてしまう。
「もちろんよ。──でも、遙の前では止めた方がいいかもしれないわね。あの子、あのことを忘れてしまっているの」
やはり、そうなのか。
「あのとき。あなたが、出来れば忘れてしまった方がいい、って言ってくれたから。私も遙にはあのことを思い出させないようにしてきたわ。だけど、あの子。事件のことだけでなく、あなたのことまで忘れてしまっているの」
「俺のことを思い出せば、どうしても事件と繋がってしまいますから、それは仕方が無いことでしょう」
ため息を吐かないように注意した。吐けば、多分彼女を責めているように受け取られそうだったから。
それでも、と彼女は俺にまた頭を下げる。
「よしてください。俺としては、翠さんにも、遙ちゃんにも、普通に接して貰いたいんです。あの事件の前みたいに。だから、もう昔のことは引き摺らないでください」
そう。新たな友人としてでもいいから、普通でありたいと思うのだ。
「そう……なら、私とも、あの事件の前のように仲良くしてくれる?」
彼女が俺を覗き込む。懇願しているかのようだ。
俺は、彼女に負い目を感じて欲しくは無い。
「もちろんですよ」
できるだけ優しく微笑んで見せた。
放課後。
帰ろうと立ち上がったところで、部活に飛び出していく千賀さんを日高さんが見送っているのが見えた。一緒には行かないのか。
そして、彼女はそのまま俺の前まで来た。
「少し、話をしてもいいかな?」
昼間の話だろうか。千賀さんとは違い、彼女は好奇心でそういう話を聞きたがるタイプだとは思えなかったのだが。
「いいよ」
教室は既に閑散としており、ここでいいかとそのまま自分の席に座る。
彼女も昼間の千賀さんの様に、前の席に横座りした。
「昼間は、すまなかったな」
「え?」
彼女には、謝られるようなことをされた覚えは無かったのだが。
俺が不思議そうにしていると、
「千賀のこと」
ああ。彼女は、千賀さんの代わりに謝っているのか。律儀なやつ。
「……まぁ、千賀さんには変なところを見られたからな。それで興味を持ったのか。彼女、好奇心旺盛な方だろう?」
俺の指摘に、日高さんは頷く。
そして、ため息を吐いた。
「好奇心旺盛で、昔は結構惚れっぽいやつだった」
彼女は独り言のように呟いた。千賀さんについての弁明なのだろうか。
「そのせいで、手痛い目に遭って。今では他人とは浅いかかわりしか持たなくなってしまった。それでも好奇心だけは今でも旺盛で。自分が嫌な目に遭ったからなのか、他人の恋愛事情に首を突っ込んで、掻き回すようになってしまったのさ」
なんだか、話だけ聞いていると弁明になってないな。
「だから何だと思うだろうけど。あれは台風みたいなものだと諦めてくれ」
おい。
「どうしようもないな」
呆れてため息しか出ない。
「それを、何故日高さんが謝る?」
「あいつの親友だからさ」
まぁそうなんだろうけど。
「私が、おそらく千賀の唯一の友達なんだ」
彼女もため息を吐いた。