第二話
翌日の昼休み。
教室で、図書委員の小笠原さんが遙ちゃんを呼び、遙ちゃんが廊下に出て行った。それをつい目で追ってしまう。
誰かに気付かれてしまわない内に止めなければと、机に突っ伏たのだが。
「あの、柊君」
戻ってきた遙ちゃんから声を掛けられた。さすがに、昨日の相手がクラスメイトだったことくらいは認識していたのか。
これまで彼女の様子を注視していたが、よく知らない相手に自分から声を掛けることは殆ど無かったので、珍しい事象だった。昔の彼女は、全然人見知りせず、誰とでも気軽に話が出来る子だった。今でも、知り合ってさえしまえば誰とでも気軽に話せるみたいだが、若干人見知りする様になっていた。──あの事件の影響なのかは判らない。
「何?」
努めて冷静に返事をしたつもりだったのだが、緊張したせいか、少し語気が強くなってしまう。
そのせいで、クラスメイトたちから注目されてしまった。
遙ちゃんも、少し驚いた様子。
彼女は一旦咳払いをして、思い直したように話を続けた。
「昨日のことで、ね。姉がお詫びをさせて欲しいと言っているの」
お詫び? お礼ではなく?
「何の?」
混乱したため、ちょっと冷たい言い方になってしまう。彼女はビクッとまるで叱られたかのような反応を見せた。
「どうした、喧嘩か?」
俺が遙ちゃんを苛めているように見えたのだろう、背の高い女子──日高さんだったか、遙ちゃんに加勢すべく、隣に立った。
他にも何人か集まりだして、ちょっと妙な空気になる。
「ち、違うの。昨日、柊君に助けて貰って。そのお礼とお詫びをしたいと、姉が来ているの」
遙ちゃんが廊下を見る。他の連中も、釣られて翠さんの方を見た。
「ごめん、行こうか」
お礼など別によかったのだが、ちょっと目立ちすぎだと感じて、仕方なく受けることにしたのだ。
「おまたせ」
遙ちゃんと一緒に廊下に出る。
翠さんは、俺たちの方を見て、怪訝そうに目を細めた。正確には、俺たちの背後を見ていたのだが。そちらを見ると、好奇心でも刺激されたか、クラスの連中がこっちを覗いていた。
不本意な状況に頭を掻く。
「ちょっと、図書室までいいかな?」
ここでこの状態での会話に躊躇したのだろう。翠さんは場所を替えることにしたらしい。
俺も頷いて同意を示し、翠さんに従った。遙ちゃんもそれに倣う。
図書室に入ると、生徒は疎らにしか居なかった。
少し奥まで歩き、翠さんは振り返って、
「昨日はごめんなさい」
と、何故か俺に謝った。
「……えっ?」
さっき、遙ちゃんがお詫びと言っていたのは間違いじゃなかったのか。
もしかして昔の話でもするのかと内心どきどきしたが、
「昨日、遙のことを助けてくれたのに、私、小言みたいなことばっかり言ってしまって。それで、昨日のお礼とお詫びを兼ねて──」
彼女は手に持ったバッグから、何かの包みを差し出した。
「……はぁ」
昨日のことか。思わず安堵の声が漏れてしまう。
「これを受け取って欲しいの。ただのクッキーだけど、味は妹が保障してくれるわよ」
茶巾結びの袋。
躊躇っていると、
「姉さんって、お菓子作りが得意なの。昨日、私もご相伴させてもらったけど、とっても美味しかったよ」
横から遙ちゃんに手を掴まれ、袋を受け取らされてしまう。
「……別にそんなことで、こんな物を頂かなくても」
気が引けてしまう。別にお礼とかいいのに。寧ろ、また彼女を助けることができた事実が、俺には嬉しかったのに。
逆に、彼女を助けることが当たり前ではないと突き付けられた様に感じてしまう。まぁ、実際そうなんだろうけど。
頂き物をしたのに、彼女らに目を合わせることが出来なくて。
「──昨日のことを謝っておいてなんだけど。出来れば、目を見て話してほしいな」
突っ込まれてしまった。
「もう、姉さんったら。今日くらいは、それ止めて欲しいんだけど」
遙ちゃんの様子から察するに、翠さんはそういう癖があるのだろう。以前は、そういうことは無かったと思うのだが。
「ごめんなさい。私、どうかしてるわね」
また謝られてしまった。
「いえ。正論なので、謝る必要は無いです」
そう返すのが精一杯だった。
クッキーの袋は上着のポケットに入れて。
教室に戻ると、好奇の目に晒された。だが、これまでクラスでもずっと大人しくしていて、まともに話をしたやつなどいなかったから囲まれて質問攻めにされるようなことは無かった。
唯一話し掛けてきたのは、日高さんだった。
「さっきは、勘違いしたみたいで、ごめん」
遙ちゃんを守る形で喧嘩腰だったのを詫びているのだろう。律儀な人だ。
「いや、大丈夫だよ。日高さんって、いい人だな」
素直に感想を言うと、
「──バカ」
照れたように、自分の席に戻っていった。
放課後になって。
「柊君。少し、いいかしら」
帰ろうとしたところで、小笠原さんに呼び止められた。
「うん?」
彼女からの用件に当てがなく、思わず目を細めてしまう。
案の定、彼女は少し萎縮した様子を見せる。だが、それでも彼女は話を続けた。
「少しだけ、お話したいことがあるの。一緒に来てくれないかな?」
「いいけど」
彼女に従うと、図書室まで連れて行かれた。本日二度目の図書室。
せっつくのもまた威圧しているように思われそうなので、彼女から話を切り出されるのを待つ。
「九重さんのことなんだけど」
おや?
唐突な内容に、また眼つきが険しくなってしまう。
だが、彼女は怯んだ様子も無く、
「昨日、彼女を助けたって話、私にも聞かせて欲しいの」
「……え?」
何故、彼女がそれを知りたがるのか。元々彼女のことは殆ど知らないので、話が見えない。
「どうして、って顔してるわね。当たり前か。実は私、遙とは親友なの。そして、遙のお姉さんに、遙のことを頼まれているの」
小笠原さんは、手を胸に当て、呼吸を整える仕草を見せる。俺に話す内容を整理しているのか。
翠さんから頼まれているのなら彼女に聴けばいいのにと一瞬思ったが、先に当事者からも聴いておこうと思ったのかもしれないと思い直す。
「詳しくは言えないけど、遙って、──病弱なところがあるらしいのよ」
病弱なところ、か。微妙な表現だな。
「私は、遙とは中学以来の付き合いだったのだけど、それを知ったのは最近のことだったわ。偶然だったのだけれど、彼女のお姉さんが先生に相談しているところに居合わせてしまって。それでお姉さんは、知ってしまった私に遙の様子を見守って欲しいと頼んだのよ。だから、彼女が助けを必要としたってことを把握しておきたいの」
先生に相談するような内容。さっきの微妙な表現。それは、恐らく心の問題なのだろう。俺に思い当たるのは、──あの事件しかない。だとすれば。彼女は未だにあれを引き摺っているのか。体の傷は、全部俺が引き受けたのに。そのことで、彼女の心に傷をつけてしまったのか。
思わず歯を食いしばってしまう。その様子に、小笠原さんがビクッと反応した。
「ああ、ごめん」
彼女に勘違いをさせてしまいそうだ。
「大した話じゃないんだ。九重さんが、階段から踏み外してしまって。それを俺が下で受け止めただけなんだ。まぁ、実際には、受け止めきれずに一緒に転んでしまったんだけどね」
場の空気を軽くしようと、おどけてウィンクして見せた。あまり効果はなかったみたいだが。
「それだけの話さ。俺が下敷きになったから、九重さんは全然ケガとかしなかったから、大丈夫だよ。俺はちょっとこぶが出来て、実はまだ少し痛むけどさ」
後頭部を擦って見せる。まだ触ると少し痛い。
「そう……。それなら、いいんだけど。ごめんなさいね、わざわざこんなところに呼び出してしまって」
彼女はペコリと一礼すると、図書室のカウンターに入っていった。そういや図書委員だったな。