第一話
学校に戻った時は、既に放課後だった。
不調を感じ、一旦学校を抜け出して病院へ行ってきたのだが、思いのほか時間が掛かってしまった。
もっと早く戻れると思っていたので、荷物は教室に置いたままにしていたのだ。
校門から校内の並木道を抜け、玄関まで辿り着く。
俺は、校舎を見上げた。今年から通うことになったこの学校。ようやく、追いつけたのだ。
彼女たちに。
もう暫くはリハビリを続ける必要はあったが、一応日常生活を送れるまでに回復できたのだ。存分に楽しまねば。
まだ体育の授業には参加できないし、休みがちではあったが、それでも自分の足で歩いて通えるのだ。それだけでも、気分が良かった。
だが、思わずため息を吐いてしまう。これまでの道のりを思い出して。
こうなってしまったこと自体には、一片の後悔もない。自分でそうあるべきだと判断し、当初の目的は達成できたのだから。
ただ、その結果、母にはすごく迷惑をかけてしまった。その一点だけは反省している。だが、自分の体がこうなったことには何も思うところは無かった。先のことは判らない。ただ目の前にあることを、その時やるべきだと判断したことをこなしていくだけだ。
もう一度ため息を吐いて、校舎に入ろうと階段に足をかけたところで、誰かが校舎から出てきた。
女子生徒だったが、何故か階段を降りる直前に背後を振り返って──階段を踏み外した。
「あぶない!」
誰かが校舎の中から叫ぶ。
咄嗟に、俺はその背中から倒れてくる女子生徒を受け止め──きれずに一緒に倒れてしまった。
女子生徒を支えたままだったので受身も取れず、ごち、と後頭部から鈍い音がした。
「うっ……」
思わずうめき声が漏れる。
だが、どうにかその女子生徒のことはうまく庇えただろう。
「だっ、大丈夫!?」
校舎の中から誰かが駆け下りてくるのが判った。先ほど注意喚起した人だろう。
俺は、頭を打ったせいかちょっと眩暈がして、直ぐには起き上がれずにいた。鼻の奥でなにやらきな臭い匂いがする。
「……あれっ??」
俺が抱えていた女子生徒がようやく落ち着いたのだろう。自分が置かれた状況を確認しようと、俺の上でキョロキョロと見回した後、上半身を起こした。──俺の腹の上で。
「うぐっ……」
思わず声が出る。小柄そうな女子生徒だったが、さすがに腹の上に座られると結構きつい。
「きゃあ!?」
ようやく状況を把握したのか、慌てて飛び起きた。
「大丈夫?」
駆けつけてきた方の人が俺に手を差し伸べてきた。その人も女子生徒だったこともあって、差し出された手は丁重に断り、自力で起き上がった。そして、そこで彼女らを見て、固まってしまった。
「私は二年の九重翠。今助けてもらった遙の姉です。あなたは?」
彼女は自己紹介を始めた。最早、俺のことなど覚えてはいないのか。
いや、翠さんなら、忘れていることは無いだろう。単に、俺が誰なのか判らないだけか。遙ちゃんの方は、あれ以来忘れてしまっているのであれば、それに越したことはない。俺が落胆することなど、何もないのだ。
「……一年の柊、といいます」
返事をすぐに返せなかったが、倒れたダメージによるものと思ってくれるだろう。
「妹を庇ってくれてありがとう」
彼女は一旦頭を下げ、
「でも、小柄な遙を受け止められないのはちょっとなさけないぞ?」
「あはは……」
思わず笑ってしまう。自分でもそう思うよ。
「病み上がりなもので、力が入らないんですよ」
気まずさをごまかそうと、つい言い訳をしてしまう。ただ、嘘は吐きたくなかった。
「む~」
翠さんは、俺の発言にちょっとイラついた様子。
「もう少し、鍛えた方がいいと思うわよ。でないと、好きな人も守れないかもしれないから」
核心を衝かれ、思わず動揺してしまう。確かに、今の俺では以前のようには出来ない。
思わずため息。
「……そうですね。俺もそう思います」
言い残して、俺は校舎の中に入った。
彼女を非難する心算は無い。だけど、彼女から非難されたくも無かった。
「あっ……」
遙ちゃんが声を掛けようとしたのが判り、後ろ髪を惹かれる思いもあったが、自分でも嫌なことを考えてしまいそうで、それを無視した。
遙ちゃんは、俺とは同じクラスだった。だが、学校が始まって一ヶ月、一度も話をしたことは無かった。今も、ひょっとしたら俺がクラスメイトであることすら気付かなかったかもしれない。