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ちなみに、韓国、北朝鮮の人々もまた、話が大好きだ。だいたいにおいて、語り合うのが嫌いな国民なんてあるのだろうか?
日本人だっておしゃべりは好きな人は多いだろう。
だが世界に出た時、発言が下手なのは、語学力より何より、話し合いのコツをつかんでいる人が少ないからではないだろうか、と感じる。
私なども、以前は英語で話しかけられるとやたらにあがってしまい、解らなかった言葉を失礼かと思って問い直しもせず、中途半端な受け答えをしたり、相手の言葉にやたらうなずいてみたり、逆に難しい単語を使いながらその実『会話』とは程遠いことをしていた覚えがある。
今度の旅では、まだまだ『対話』には行きついていないが、それでもいろんな国の人を相手に日本人として、また一人の人間として自分を表現することができたように感じていた。とりあえずはそれが大きな収穫の一つだっただろう。
いやいや、まだ『究極の食』をあきらめたわけじゃないよ。私はシンさんたちの話を輪を横目に、ひそかにキムチの物色を始めた。
日本に持って帰れるのだろうか? 傷んでしまうか、もしや検疫で引っかかるかも。とすると今夜の夕飯で味わうしかないか……。
財布を出そうとした途端、目の前のおばちゃんが私の袖を引っ張った。
「アンタに、あげるよ。持ってきなこれ」
そう言うと、おばちゃんはニンジンのキムチ漬けが入った小さなプラ袋を差し出した。
「えっ、でもこれいくらなの」
「いいからいいから、持ってきな」
そう言って、手元にある古びたロシア語の本を一ページ破り、器用に袋を包み始めた。
「ほら、包む紙もこんなにあるから。一つじゃなくて、これも持ってくかい? 包んであげるよ、こっちのも食べる?」
私はどうしてか、急に目の奥がじんと熱くなってきた。あわてておばちゃんに言う。
「そんなにタダであげたら、おばさん、儲からなくなっちゃうよ」
「そうかね」
「そうだよ。一つで十分足りるよ、ありがとう。今夜レストランでみんなでいっしょに食べるね」
私は大事に包みを抱え込んだ。おばちゃんは下を向いて、少し考えてからおずおずとこう言った。
「あのね、アンタ、ガム持ってるかね」
「え、ガムって、あの食べるの?」
「うん。孫がね、喜ぶもんだから……あったらでいいけど」
その日の朝、私は最後の一包みを開けたばかりだった。
ソ連国内では、チップやちょっとした小銭代わりにガムやボールペン、百円ライターなどがどこでも重宝したものだ。だが、旅も終りに近づいたため、私も口さびしさについガムに手をつけ出したのだった。
「おばさん、封がもう開いているけど……二枚くらい減っているけど、いい?」
「いいよ、いいよ、ありがとう」
くしゃくしゃになったガムの包みを、おばちゃんは宝物のようにおしいただくと、大喜びで胸のポケットにおさめた。
せめて封の切ってないやつを持っていればよかったな、ぼんやりそう思っていた私に、おばちゃんはにこにこしながら話しかける。
「うちの娘ね今、日本からお客さんが来てて、ガイドにって言って一緒にウラジオストックまで行ってるのよ、仕事でさ」
ようやく話の途切れたシンさんに、そっと聞いてみる。
「ここの人たち、強制的に連れて来られたの?」
「うん、帰りは置いて行かれてしまったんだって」
不思議なことに、見聞きしたそれらの事実に何らショックは受けなかった。あまりにもおばちゃんたちが淡々としていて、私たちが日本人だと分かると親しく声をかけてくれる、そういった様子が当たり前だったので、ごくおだやかな気もちのままで、彼女らと別れのあいさつを交わし、にこにことその場を去っていったくらいだ。
しかし、いまだにその日常的な市場の風景は頭から離れない。




