12 終
なんとまあ、缶詰のラベルに描かれていたのは、カニではなかったのだ。
ククマリヤの文字の下にあるのは、大きな皿と、フライか何かのかたまり、そして、そのフライもどきに寄りかかるようにして並べてある四本のニンジンの絵だった。
遠目から見た色と形とで、私たちはすっかりだまされて、いや、勝手にカニだと思いこんでいたのだ。
手に持った缶が、急にずっしりと重くなった。
「エル」
「ん」
「よかったね、いい土産ができて、六個も」
「あらいやだ。アナタもがんばったじゃない、ぜひ持って行きなさいよ」
「一缶でいいです」
「しかし……ほら遠くで見てみて。これは何?」
「カニ」
「どう見ても……だよね」
疲れた顔を見合わせ、私たちは次の瞬間ぶっと吹き出した。
笑いに笑って、ついには出発に間に合わなくなるところだった。
後日、日本でこの『ククマリヤ』を開けてみた。
中身は、それこそカニとはほど遠かった。トマトソースで煮込んだニンジンやその他野菜の砕片の中に、やはり細かく刻まれた黒いものが混ざっている。
拾い上げてよく見ると、それはナマコだった。
味は、強いて褒め言葉を探すとすると、そう……『食べられる』の一言に尽きた。
ロシアの味は、最後の最後まで私の好奇心を裏切らなかった。
旅の終わり、一路新潟に向かう飛行機の中、私は広大なロシアの大陸を雲の間に間に見おろしていた。
この旅では、ついぞロシア究極のグルメに巡り合うことはなかった。
あまりにもシロウトで、あまりにも無防備、そしてあまりにも勉強不足な自分には、まだまだ学ぶことは多いようだった。
それでも、二十日以上の旅を終えて、食だけではない、ソ連とそこに住むロシア人について何かと感じることが多かったのは確かだ。
時には歯が立たず、または脂っぽく、時にはカスカス、時にはまったりと甘く、またジューシーかと思えば舌がしびれるほど辛かったり酸っぱかったり……広大なロシアの大地とそこに暮らす人たちとの日々は、噛めば噛むほど味わいの増す、これぞ究極の味覚と言えたのではないだろうか。
肩すかしをくわされたと見えながら、実はたっぷりと、私はロシアを味わいつくしてこられたと言えよう。
しかし実のところ、アエロフロートの丸い窓より雲海を見おろしながら、私は全然別のことを思っていた。
「まず空港についたら、そう、うどん。うどんだよねやっぱり。かつおだしのたっぷりきいた、しょうゆ味の……しょうゆ最高! そうだとりあえず食堂でしょうゆをなめるぞー!」
そう、私はやはり、グルメではない。
そしていつまでも、たぶん懲りないヤツなのであろう。
おしまい
他の方の日記により、ククマリヤが実はナマコではなくて、『キンコの仲間かも知れません』との情報を今さら知ることができました。ありがとうございます。




