第4話「汚されているのよ、わたしは」
カーテンを閉められるが、わずかに隙間を残した。 物音がし、誰かが家にあがってきた。
・・・教頭先生だった・・・。
「話してるようだったけど、誰かいたのか?」
教頭先生が言ってる。ナオコがもぞもぞなにか言ってるけどよく聞こえない。 なぜ先生が?
教頭先生は背広を脱ぎ、白のワイシャツ姿になってナオコに近づく。
ナオコは嫌がるともなんともないとも取れる表情をしている。
教頭先生がナオコの腕をつかみ、ナオコの顔が歪む。 リストカットの傷痕をつかまれたからだ。
それから教頭先生は優しくナオコを抱き、ナオコの胸元に顔を押し付ける。 ナオコの胸のボタンが外れ、衣服が乱れてる。
ナオコの顔は平静を装ってるの?
見たこともない表情だ。
目を瞑り、教頭先生の背中に手をまわし、母が息子を優しく抱き、受け入れているように・・・ ナオコは同級生で、中学生だ。
それが、少し禿げかかっている50歳はいってるだろう教頭先生を抱いている。
わからない。なにが起きているの?
教頭先生が顔をあげ、ナオコと視線を交じらせ、やがて二人は口づけをした。
始めは静かでただ口と口を合わせているだけの感じだったけど、だんだん教頭先生が激しく、押し付け、床に倒れそうになる。
結局倒れるところまではいかないが、悶える教頭に対し、ナオコは腕で抑止し口づけたまま維持する。
それがどのくらい続いてたかわからない 見るに耐えられず、頭に血が昇り、だけど見ようとがんばり、頭がふらつく感じで混乱している。
混乱で自分自身であれこれ思考を手繰らせてるのに必死だった。
本当は窓ガラスを割って中に入って教頭を殴ってやりたかった。
でもナオコはそれを許さないはず
次に目をやったときは、口づけは終わっていて、教頭はナオコの腕で膝ま付いていた。
おとなしい。
さっきまでの乱暴さはどこへいったのか。
ナオコが状態を起こしてやり、教頭の顔がみえた。
・・・! 泣いている・・・!?
泣く教頭に対しナオコは教頭の頬を手のひらで触れ、長い手が、指が、なんだか大人っていうか、妙な胸騒ぎがする。
細い目で教頭を見つめ、耳元に口を近づけ・・・なにか言っている。
教頭がさらに喚き、悲痛に泣き叫ぶ。
ナオコがまた耳元でささやき、次には教頭は放心していた
放心した教頭をただみてるナオコ。
優しい目つきとも見下してるともみえる。
よくわからない。
僕の怒りは消えていた。
疑問だけはしつこく頭をかき乱す。
そのあとで、身体が震えた。
初めての経験だ。
こんなこと。
こわい? なにこれ?
しゃがみ、小さくなって、震えるな、震えるなと言った
「・・・。もういいよ。・・・。どうしたの? 先生ならもう帰ったよ?」
声が聞こえ、それがナオコのだと気づくのにかなりの時間がかかったように思う。
「もしかして、泣いてるの?」 泣いてる? 僕が?
「とにかく中へ入って。風邪、引いちゃうよ」
ナオコが紅茶を入れてくれてる。
差し出し、飲むよう勧めてる。
温かい紅茶で少しだけ落ち着く。
ナオコが直視できた。
いつものナオコだ。
ただ、胸のボタンが外れてて、さっきまでやっぱり教頭先生がいたんだと思った。
「どう? 楽しめたかしら?」
ナオコがなにを言ってるかわからない。
なにか言おうとしたけど声が出せず、それを理解してか、ナオコが続ける。
「ここの家、教頭先生から借りてるの。お金を払う代わりにさっきみたいのやるの。かわいそうでしょ?」
かわいそう? さっきまでのが?
「もしかして、初めてみた? 君、童貞なんだね」
童貞? 言ってる意味がわからなかった。
「ふふ、かわいいね」
「学校に行けてるのも、ここに住めるのも、みんな教頭先生のおかげ。だから誰にも言わないでね。わたしも恥ずかしいし」
「・・・。ちがう・・・」
ん・・・? ナオコがからかうように言う。
「よくわからないけど・・・、朝倉さんが、手玉にとってるようにみえた」
ふふふふふ・・・。ナオコは続ける。
「わたしのこと、違うとか言ってたよね。他のクラスメイトとはなにかが違うと言ってたよね? 汚されているのよ、わたしは。あなたの知らない、いけないことをたくさん知った。その対処方も。だからあまり気にしないほうがいい」
ナオコがシャツを脱ぎ出す。
やめてと言おうとしたけど声が出ない。
必死で伸ばした手も払いのけられ、ナオコの白い肌があらわれる。
ブラジャーに形の整った胸。
そして、腕に刻まれたリストカット。
「わたしを大切とか言ってたけど、ホントは好きなんでしょ? わたしのこと」
「好きなら、助けてほしいな。苦しんでるってわかる? かわいそうだと思うなら・・・」
ナオコが近づき、背中に手がまわり、そして・・・
「やめてっ!!」
怒鳴ってた。泣いてた。僕は・・・。 ナオコは言う。
「ねぇ、よく聞いて・・・」
「わたしは汚れてるから、汚されてしまったから、だけど、君なら少しでも理解してくれると思ってる。よく聞いて。わたしは死んだ方がいい人間よ。わたしは、すぐにでも死にたい」
ナオコはかなしんでるだろうか? 表情からは、やっぱり読み取れない。 だけど・・・。
リストカットの跡を見せびらかし、ナオコは・・・
「仕方ないじゃない。人間なんだから」
ナオコの家を出た。
僕は結局、ナオコに対しなにも言い出せず逃げるようにして出て行ってしまった。
雨が降っていた。
雨で身体が冷え、震えが蘇り、ナオコと教頭先生のやり取りが思い出される。
吐き気を覚え、足が止まり、嗚咽していた。
雨は一層強くなってた。
次の日、なんとか学校には行った。
熱はあった。調子も良くないし気を許したらまた吐くのではないかと思った。
それでも、ナオコに申し訳ないからか、会わなくちゃとの一心で学校には行った。
ナオコは、学校に来なかった。
いつものサボりだろう。
サボってるとは思ったけど、それでも来ていたら嫌だし、僕は学校を休むわけにはいかなかった。
どこか、安堵していた。 ナオコに会ったところで、なにを話せばいいかわからないから・・・。
担任の先生が来て、朝の会が始まる。ナオコはやっぱり来ない。欠席だ。
でも・・・。
「朝倉さんは・・・来てないか。えっと・・・急な連絡になりますが・・・、朝倉さん、転校することになりました」