胸の中の想い人
「彼女はまだ俺の胸の中で生きている」
先月、事故で彼女を亡くした友人が言った。彼が事故を乗り越えたのだと思った。
「その通りだよ。みんなだってそうさ。思い出はいつまでもここ(心)にある」
私は友人を元気付ける為に、ずっと励まし続けてきた。もちろん私も長い付き合いの友人を失ったのは悲しい。だが、狂信的なまでに彼女を愛していた彼の方が、ずっと失ったモノは大きいだろうから。私には想像も出来ないほどの激痛を伴う悲しみがあったのだろう。ようやく乗り越えたのだ。そういった安堵があった。これでようやく前へ踏み出せるのだと、そう思っていた。
彼は何を言っているんだという目で私を見ると、着ているシャツのボタンを外した。
「ほら、ここに、彼女が生きてる。」
はだけた胸に、彼の彼女ーー私も良く知る古い友人ーーの顔があった。
「助けて。殺して。お願い。」
彼女の顔がそう言っていた。同時に凄まじい吐き気がおそってきた。
「どうしたいんだい?怖いのかい?大丈夫だよ。僕が付いてるから。」
彼は、優しげに、しかし明らかな狂気を以て、彼女の顔に話しかけている。自分の顔が歪んでいくのを感じた。
「おい、お前何を…」
彼の顔が怒りに赤く染まる。
「そうか!お前が悪いんだな!」
そのまま胸に腕を叩きつけた。彼が怒ると良くやる癖だった。そんな彼を見て、ゴリラなどと言ってからかっていた日々を思い出した。
彼女の顔に血が滲む。
「ああ、ああ!なんてことを!お前!俺の彼女にぃ!」
自分でやったのだろうとは言えなかった。彼は怒ると手を付けられないことで有名だった。特に、彼女を傷つけられると、相手を殺してしまいかねないほどであった。私は彼女想いの良い奴だとしか見ていなかった。
「許さない!許さないぞお前!殺してやる!」
彼が襲いかかってきた。私は付き合いが長いのでそれを簡単に避け、全速力で逃げ出した。彼が追ってきているのはわかった。だが、もうすぐ警察署がある。逃げ込んで、今回のことを話そう。明らかに異常なことだが、彼もいずれ辿り着くだろう。本人を見れば一目瞭然である。そんなわけで警察署に着いた。
「刑事さん!大変なんです!」
だが私はすぐに異常に気づいた。
警察官は皆一様に胸をはだけ、胸の中にいる想い人を自慢しあっていた。
「そんな、どうして…」
警察官のひとりが私に気づき、その問いに答える。
「ああこれ?流行ってるんだよ。みんなやってる。」
胸や穴の姉妹作品。今回はジャンル詐欺なんてしてないもんね!