ある犯罪者の心理 中編
恋は盲目とは、このことをいうのだろう。
今の彼女を見れば分かる。
最初は警戒心が強く、少し近づいただけでも逃げていたが、男性経験が多分浅いだけだろう。
時間が経つにつれ、打ち解けると自然に自分から体を寄せるようになった。
いつかの日に、2人で街を歩いている時に沙織が露天商で売っているアクセサリー・ショップを見つけた。
彼女が、あまりにも食い入るように見るので、栗栖は苦笑しながらも店員に言ってピンクゴールドのリングを見繕ってもらう。
この店は、直接リングの裏側にイニシャルを掘ってくれるので、木下涼介K・Rと古賀沙織K・Sのイニシャルを掘ってもらう。
そして、その1つを沙織にあげた。
え?って、顔をする彼女に来栖は自分用のリングを薬指に嵌め、こう言う。『お揃いだね』と。
すると、彼女も同じように左手の薬指にリングを嵌めて見せ、ニッコリと笑う。
こちらを見る時は、いつも目をトロンとさせ、笑うと陽だまりに咲く一輪の花のよう。
そこに唇を落とすと、途端に頬を紅く染めて可愛いよ。
素直な沙織はもっと大好きだ、愛してる。
‥‥‥騙されているとも知らずに!!
《木下涼介》こと、栗栖要は古賀沙織にある話をした。
「そういえば、沙織のママの誕生日は今月じゃなかった?」
そういうと、彼女はウンザリした顔で持っていたイチゴジュースの紙パックを潰した。
「あ~あ、ママの誕生日なんてツマンナイ。だって、ママの仕事関係の人たちが来てケーキ食べて仕事の話して、それだったら涼介くんといた方が、100万倍いいよ」
そういうと、沙織はギュッと栗栖の腕を掴んだ。
「そうだ、涼介くん。ママの誕生日に沙織と一緒に来てよ」
おねだりするように、栗栖を誘う沙織に困った顔をする。
「駄目だよ、沙織。ママの誕生日に俺なんかが行ったら」
大丈夫だよ。ママが彼氏が出来たらウチに連れてらっしゃい、って言ってたし。
沙織は顔を綻ばせ、嬉しそうに話した。
多分、彼女はあまり人を疑う事がないのだろう、急にポッと出た栗栖が少し優しくしただけなのに、何の疑いも掛けず接してくれる。
そして彼女は、古賀家の祖父のこと、家族の関係性など、頼んでもないのにペラペラと喋ってくれるのだ。
だから、栗栖はニッコリ笑って沙織のグチを聞くだけで、彼女が古賀家の内情をダダ漏れにしてくれる。
栗栖は今回の件に、闇組織『マーロン』の力を借りることにした。
元々、アンティークショップ『マーロン』は、実際に店として機能している。
そこに来るのは、アンティーク好きの女子大生や主婦層。それから客を装った運び屋である。
店内は、中世ヨーロッパ風のゴシック調に改装していて、売り物はアンティークショップならではの家具や調度品、小物やアクセサリーなどの女性受けする物を揃えている。
一目見ただけでは、闇組織のアジトだとは気付かれないだろう。
だが裏の稼業では、麻薬の密輸。人身売買。誘拐。殺し。その他、要望があれば何でもやる。
運び屋は、一般客を装っているので客が混んでいる時間に入り込むと、ちょっとやそっとじゃバレない。
ちなみに《本田留美子》も度々、ここに顔を出していたらしい。
刑事である久保田のここでの役目は、万が一『マーロン』のことが警察にバレそうになっても、すぐに情報を流し組織自体を雲隠れさせるのだ。
しかし、表面では友好的に見える『マーロン』と久保田だが、いつ何時に裏切られか分かったもんじゃない。
‥‥‥どっちがだって? どっちもだ!!
狐と狸が、今日も化かし合いをしている。
今日は、西へ。明日は、東へ。
警察が、どんなに探しても、組織の所へ行こうとしても無駄である。
彼ら、密輸組織『マーロン』は、《マスター》と呼ばれる組織の支配人をはじめ、数人の〝従業員〟の仲間に〝顧客〟を装った運び屋が城を守る。
時にはカメレオンの様に姿を変え、棲家を変え、警察から隠れるように逃げ切っている。
今日は新入りが、新しい顧客を連れて来た。
どうやら見た感じ、表商売の方の客のようだが、新入りが一緒にいることで一変する。
『マスター、彼女のお母さんの誕生日プレゼント探してるんだけど、何か良い物ないかな』と‥‥‥
〝従業員〟が連れてきた客の名前は、古賀恭介とその娘。
栗栖が言っているのは、以前から出回っていた情報にあった《古賀議員》の娘の誕生会で渡す、プレゼントのことだろう。
事前に栗栖と調べて、この日に合わせて孫娘の沙織との仲を深めさせてきたのである。失敗は許されない。
依頼者の希望は、古賀議員の政治生命を潰すことである。
幾度となく、同じような依頼をこなしてきたが、はっきり言えば殺しの方が生かして潰すよりも何倍も楽である。
だが、顧客の依頼は絶対であり、行動も迅速に行わなければならない。
『マーロン』が今回、目を付けた《古賀麗華》は、今でこそ不動産業で成功しているものの、昔は援交、麻薬、暴行などを繰り返してきた古賀家きっての問題児であった。
何かがある度に古賀議員の力で、事件になる前に揉み消してきた。
そこで、彼ら『マーロン』は考えた。
もし、麗華を誘拐して脅しの道具に使われたら、どうなるだろう?と。
痛くない腹を掻き回されるのだ。否が応でも、こちらの要求を呑まざるを得ないだろう。
支配人は、奥に隠していた〝特注品〟を持ってきた。
ステンドグラスの嵌った、クロロホルム入りのオイルランプである。
このランプは、内側にピンを仕掛けていて、抜くと簡易クロロホルム爆弾の完成である。
これは、ランプとは別に遠隔操作用のリモコンを用意する。
そのリモコンはボタンを押すと、ランプの内部に入れ込んである発火装置が作動し、点滅をし始める。
そこに人間の微妙な体温を感知すると爆発する仕掛けになっている。
その時の計画では、古賀議員の愛娘《古賀麗華》を誘拐する手筈になっていた。
ランプが爆発して、中に入っていたクロロホルムを嗅がせ、気を失った所へ連れ去る計画である。
だが、思わぬ誤算も出てきた。
それは、約束通りに栗栖が古賀親子を店に連れてきた時である。
あろうことか、『マーロン』の運び屋の一人である《本田留美子》の恋人だった男《曽根恭介》が麗華の旦那であったことだ。
留美子は昔に死んだが、その時に〝運ぶ〟予定だった麻薬も行方知れずだった。
もし恭介がその麻薬の〝在り処〟を握ってたとしたら大変なことになる。
それは、出処がバレることが大きいからだ。
はっきり言って、行方が分からないブツの損失はかなりの痛手だが、下手に見つかって出処がバレるよりは遥かにマシである。
ただし、それ相応の対策は建てているのだが。
しかも、今はウチのターゲットにしている人物の関係者。
ウチの新入りは、とんでもない者を連れてきちまった。ただでさえ、久保田という荷物まで抱えちまっているのに。
そうは思っても、あとの祭りである。
表面上は穏やかに。裏では、栗栖に見張りを立てることにした。
久保田の行動といい、奴に引き入れられた栗栖というガキといい、行動が怪しいのである。
2人は何を企んでいるのやら‥‥‥
‥‥‥とあるカプセルホテルの一室。
一人がやっと、寝れるくらいのベッドで《木下涼介》こと栗栖要は、ニヤけた顔が戻らなかった。
それは、古賀恭介のあの幽霊を見るような目で、栗栖を見つめる表情は何とも言えない程に傑作であった。
もっとも、自分の死んだ恋人に似せて顔を変えているなんて想像もつくまい。
しかも、四つ葉のクローバーのネックレスと《涼介》という名前付きだ。
多分、生きた心地はしないだろう。
可哀想に、結婚直前までいってた美人が裏の世界にどっぷり浸かってたなんて残念だよね。絶望するよね?
でも、仕方がないよ。
君は知らなかったんだもん。まさか、包帯を持った白衣の天使が、本当は大きな鎌を背負った死神だったなんてね。
もし、ストーカーに殺されなくても、彼女はあの世界にいる限り、いつ誰に生命を狙われるかもしれなかったんだよ‥‥‥でもね。
‥‥‥もっと、絶望させてやるよ。
古賀恭介。アンタが、もがき苦しむ様を俺に見せてくれよ。
栗栖は満足していた。まさか、古賀恭介があんな怯えた顔を見せるなんて、想像以上であった。
彼は、人が恐怖で怯える姿を見ないと興奮しない性質だった。
あれは、いつの日のことだろう。近所の女の子が飼っていた犬が病気で死んだのだ。
その時、栗栖は泣きじゃくる彼女を、懸命に慰めた。
だが、それとは別の違和感を彼は覚えた。
それは、何とも言えない感覚だった。それまではアイドルの水着姿を見ても、AVを見ても何ともなかったのに、彼女の苦しいような、悲しいような顔を見ていると、なぜだか反応して興奮し、得も言えない恍惚感を覚えた。
それ以降、彼は次から次へと誰彼構わずに人を傷付けるようになり、少年院と鑑別所を行ったり来たりを繰り返した。
久保田に誘われて組織に入ったが、どうやらヤツは栗栖を隠れ蓑にし、行方知れずの本田留美子の麻薬を探し出すつもりだ。
久保田の考えでは、麻薬の隠し場所は支配人と運び屋当人の2人しか知らない筈だから、万が一もし恭介に預けるとしても、何かに隠して渡す可能性があるらしい。
まあ、俺には関係のない話だが‥‥‥
栗栖は、どこにあるのか、もしくは無い可能性もあるのだ、大体そんな危なっかしい橋を渡って得ようとする大金よりも、今は目の前にある快楽を栗栖は選びたい。
その後、形成外科医の多田聡の出現により計画変更を余儀なくされるとは知らずに。