旅立ち
とある、一室での出来事。
今日の朝食は、目玉焼きにウインナーとブロッコリー付き。今日はママ特製のクラムチャウダーに舌鼓を打ちながら、子供たちが聞く。
ママ。今日はどんな、お話をしてくれるの?
すると、ママは子供たちを宥めすかすと、ゆっくりと口を動かす。
『今日のお話は〝魔女の鉤爪〟ね』
そう言うと、ママは子供たちに絵本を読み聞かす様に、語り始めた。
「なんだって、〝魔女の鉤爪〟?」
栗栖要は、クラムチャウダーにパンを浸して、口に運ぶ。
以前、誘拐した《古賀沙織》に背中を刺された栗栖要は、悪運強く助かった。
刺しどころがよかったのか、それとも生命力が強かったのか奇跡的に思ったより軽傷で済み、闇医者の治療をしてもらった後、普通の生活に戻れた。
〝母親役〟のアンティークショップ『マーロン』の《マスター》が、甲斐甲斐しく皆の食事の世話をする。
ここは、彼ら『マーロン』一味の隠れ家(引越し必須)で、暮らす人間は8人。
母親役の《マスター》に、父親役の《ダディ》に、長男役の《烈》、次男役の《海》は双子、三男役の《千夏司》は、どうみても要よりも年下。しかも四男の《蒼》と五男《紅》はまだ、赤ん坊‥‥‥
という事は、栗栖要(弱冠20歳)は末っ子という設定である。
『マーロン』に迎えられ、初めて来た〝隠れ家〟には大勢の義兄弟がいて、栗栖は驚いた。
て、言うか。俺は末っ子なのか‥‥‥ここは芸人養成所ですか? トホホ。
しかも、今は引っ越し準備の途中。
『マーロン』のアジトはバレてしまったし、貸し倉庫も件の事で、引き払ってしまった。
中身の〝商品〟は移動済みで、あとは『マーロン』御一行さんを運ぶのみ。
もちろん、運ぶ業者は彼らの身内だ。
「ああ。当時は、別の名前だったんだが、廃人になる薬だって事で、後ででこの名前が付いたんだ」
《ダディ》が赤ん坊らを綾しながら、寝かし付ける。
ほら、海はブロッコリーを残すな。チカは黄身だけじゃなく、栄養高いから白身も食べろ。
まるで《マスター》が本当の、母親みたいに見えてきた‥‥‥見た目はナイスミドルのおっさんなのに。
《マスター》は、淹れたてのコーヒーを皆のカップに注ぐと、自分のカップを手に話を続ける。
「あれは〝存在してはいけない〟薬だと言ったな?『マーロン』の研究者が一同に介して造りあげた代物なんだが、実は知り合いに薬の成分の調査を依頼したんだ」
今いる場所でさえ、闇組織だか秘密結社などの団体様なのだから。
研究者といえど、おおよそ真っ当な考えの持ち主ではないことは、見当がつく。
「それって、商品が出回った後の話か?」
いいや、出荷前の話だな。あれは元々、戦場の兵士や傭兵たちの鎮痛剤として改良された麻薬だったんだ。
だが、それは表向き。アレを打つと、人間の眠っていた能力が覚醒される。
つまりは、ドーピングと同じ考え方の代物で、その人間の力は未知数と言われていた。
ところが、ここで思わぬ事態が起きた。
ウチの運び屋の1人が、意地汚く薬に手を出して発狂してしまったんだよ。
それを聞いた私たちは、血の気が凍る思いだったよ。早く、本人とブツを回収しないと大変な事になるってね。
あんなモン、普通の人間が打ったら、道行く人間を殺しかねないだろ?
ところが、違った。麻薬を打った人間は、発狂になるどころか廃人と化し、我々が見つける頃には肉体が腐敗し始める頃だった。
でも、事実が分かったその時には、留美子は死んで彼女に渡したブツは、行方知らず。
俺の考えが、間違ってなければ、久保田はこの〝魔女の鉤爪〟の内情を知らないかもしれないな。
「じゃあ、質問。なんでアイツから見張りを離させたんだ? せっかく、後もう少しで麻薬の在り処が分ったのに」
ああ‥‥‥もう必要ないよ。もしも大事な家族に何かあったら、困るだろ?
後の処理はプロに任せているしね。
‥‥‥一方、その頃。
久保田は、お目当てのロッカーの鍵穴に彼が隠し持っていた鍵を差し込んだ。
(今まで勝手に解約しなくて、ありがとよ)
もちろん、鍵はピッタリ。そのまま鍵を廻し、ガチャッとロッカーの戸を開けると、そこには夢まで見た、末端価格・1億円の商品が入ったアタッシュケースを見つけるが、しかし‥‥
(なんだ? これは南京錠か!)
ケースの取っ手には、南京錠が取り付けられており、ご丁寧に4連のダイヤル式にしている。
(クソッ! たかだか麻薬如きに面倒臭い事しやがって)
久保田は、少し焦っていた。実は先程、商談相手に連絡を入れた所なのだ。
向こうからの返答は『例のブツを、約束の場所へ持って来い』との簡潔なものだった。
そしたら、相手方はもう取り引き場所に着いる頃かもしれない。
仕方がない。このアタッシュケースは、このまま持っていこう。
「もう、必要ないって。どういうことだ?」
栗栖要は、素っ頓狂な表情で《マスター》の顔を覗き込む。
そのままの意味だよ。
あの〝魔女の鉤爪〟と久保田の件は、我が『マーロン』から完全に離れた。
殆んど、こじつけ程度だった古賀親子の件も、ここで手が離れた。
「なのに、お前たちは何で身代金を、要求したんだよ! 足が付くから駄目だって言っただろ?」
いつもは、子供たちを叱らない《ダディ》が珍しく苦言を呈した。
それは、《古賀沙織》を誘拐した時の話だ。証拠が残りそうな事は、絶対するなって言い聞かせたのに‥‥
しかも、衆議院議員の孫娘が二千万だなんて、さすがに安く見積り過ぎだ。
「議員なんて、世間体を気にする生き物だし、二千万なんて奴らにとって安いモンだろ? 絶対、探させないと思うから、大丈夫だよ。それに引っ越し費用を稼がないといけないしね」
烈と海は、悪びれる風もなく、千夏司の皿からウインナーを攫っていく。
「こらっ、烈・海!! 勝手に弟のオカズを食べるんじゃない!」
〝ママ〟の怒鳴り声が響くが、双子は嵐のように食卓を去って行ってしまった。
「カナ、お前の首に掛かっているのは何だ?」
は?これの事? 栗栖は《ダディ》の問いに、自分の首に掛かっているの四つ葉のクローバーを持ち上げた。
「ああ、本物の《本田涼介》から取り上げたヤツだろ?」
その裏側を、ひっくり返して見ろ。
栗栖が、なんとなくクローバーの裏側を見ると、そこにはS・Kの文字と0526の数字が小さく彫られていた。
‥‥‥これが、何か?
「1つは《古賀恭介》の旧姓。そして、もう1つの数字は《本田涼介》の生まれた日付けだ」
18:00〜、フェリー乗り場近くの工場跡地にて。
『お待たせして、申し訳ありません』
久保田は、鍵の解錠できないまま、交渉相手の待つフェリー乗り場まで足を運んだ。
『久保田はん、はよしてや。フェリーに乗り遅れるよって。あんさんが、話ある言うたんやろ? 時間は守らな』
商談相手は、武器や麻薬を戦場に売り捌く密売人の沢田氏。もちろん、偽名だ。
今もフェリーに乗り込み、密売の仲介人に会いに行く所らしい。
『ええ、ですが以前お話したアタッシュケースを見つけました。解錠が、まだ出来てないので多分、違いはないと思いますが』
それを見た、沢田の巨体は、驚愕に震えた。
『なんやて? あんさん、見つけたんかいな? あの幻と言われた〝魔女の鉤爪〟を! もう存在せん思うとった』
興奮気味に喋りまくる沢田に、久保田は焦らす様に差し出した。
「あのブツの入ったケースには、金属製の南京錠を施している。そのネックレスに刻まれている数字は、南京錠の解錠番号だ。留美子が息子にやる最初で最後のプレゼントだったんだ」
つまりは、もし取り引きが成功するなら、報酬の権利は全て《涼介》に渡すつもりだった。
その時、後見人として彼女は俺を指名してきた。
『噂では、聞いとったんや。えらい別嬪さんが、とんでもないモン運んではる言うて大騒ぎやったんやで。なんでも、コレ打ったら廃人になるとか、狂人になるゆうて』
沢田は、アタッシュケースに付いている南京錠を外そうと、躍起になっている。
本当なら、息子と幸せに暮らしたかった筈だよ。
だけど留美子は、裏の世界にどっぷり浸かり過ぎた。考えてもみろよ、腹を痛めて産んだ子供を本気でいらないと思うか?
もう誰に狙われても、おかしくない状態だった彼女は、泣く泣く息子を手放す事にした。
自分といるよりも、安全な家で育てて貰いたかったんだろうよ。しかし、留美子もそうだが、息子の方もとんだ災難だ。
赤ん坊の頃に、殺されそうになったり、お前に半殺しの目に合わされたり。俺だったら、勘弁だな。
ところで、アンタらは何を仕掛けたんだ?
それは、ブツの入ったアタッシュケースに、ニトログリセリンの小瓶を、南京錠に仕込んだんだ。
うまくいけば、ひと財産を稼いで息子に渡せる。もし、うまくいかなくとも爆弾でドカン! で終わり。今頃、アイツらは木っ端微塵になってるんじゃないか?フフフ‥‥‥
ところで、お前。知ってるか?
‥‥‥なんの事だ?
食事の後片付けは、末っ子の仕事だってこと!
はぁ!? なんでだよ? 引っ越し準備もあるっていうのに! こ‥‥この大量の皿を洗うのか?
家庭の中で、いつも貧乏クジを引くのは末っ子である。
‥‥‥後日、フェリー乗り場近くの公園
の茂みに、2つの変死体が見つかった。
元の原型が判らない程、変わり果てた遺体は後日、鑑定結果で行方不明となっていた久保田刑事と関東系の暴力団員と判明した。
だが不思議なことに、あれだけ酷い死に方をしているのに、その原因となる物が何一つ、見つからなかったという点だ。