思惑
‥‥‥そういえば、思い出したよ。沙織が君のお腹にいる時の話を。
『アナタは、この子の父親になるけど、私にとってアナタは大きな子供よね、フフッ。皆、私が守ってあげるからね』
それからかな、微妙ながらも俺たちの距離が縮みだしたのは。
次に、古賀恭介が目を覚ましたのは、またもや病院のベッドであった。
どうやら、娘の沙織を助けに行った時に、木刀でボコボコに叩かれて気を失ってしまったのだろう。
だが実際、あの時に何が起こったのか分からなかった。確か、白い煙に巻かれたまでは分かったのだが‥‥‥
そこに、見知った顔のか犬居刑事が現れた。
「気分はどうだ?」
犬居は病室に入ると、スツールに腰掛けた。
「あぁ、今は大分良いみたいだ。それよりも、どうして助けに来てくれたんだ? 誰にも言わなかったのに?」
ああ‥‥善良な市民からの通報があってな。と話を続ける。
「〝港近くの廃工場に、人が倒れてるから助けに行ってやれ〟って不可思議な電話があったんだ。イタズラかも知れないと思って逆探知したら、東京湾の近くにある自動車部品の廃工場付近の公衆電話でな」
行ってみたら、お前ら親子2人が倒れてたって訳なんだ。
‥‥‥恭介は、驚いた。なぜ、栗栖要に呼び出されて隣の〝貸し倉庫〟にいたのに、どうして見つかったのが、最初にいた廃工場なのだろうか? と。
「娘は? 娘の沙織は、どうなったんだ? それに栗栖は‥‥?」
真剣な目で聞く恭介に対して、犬居の目には少し戸惑いがあった。
「沙織さんは‥‥‥無事だ。今は、自宅療養している。ただ‥‥」
恭介は、聞いてしまった。娘の現在の状況
を、そして自宅療養の意味を。
「そんな‥‥‥そんな、沙織が‥‥」
沙織の現状を聞いた、恭介の頭の中は真っ白になった。
「一時的な、ストレス性のものだとは思うんだが‥‥‥それより今は、自分の体を一番に直す事を考えるんだ」
それだけを伝えると、犬居は病室を出て行った。
‥‥‥信じられなかった、あの気丈な娘が、動悸や胸部不快感による心臓神経症になったなんて。
多分、世間の目を気にする義父が、自宅で養生させる事にしたのだろう。
それにしても栗栖は、どこに行ったんだ? まさか、あのまま死んだんじゃあ‥‥‥恭介が、そんな事を考えてる時に〝コン、コン〟と病室の戸を叩く音が聞こえ、そこからグレーのスーツを身に包み、黒縁メガネを掛けた見た事もない男性が立っていた。
「どちら様ですか?」
全く見覚えのない男性だったので、ごく普通に問いかけると、男性はスーツの胸ポケットから1枚の名刺を取り出した。
「申し遅れました。私は、古賀麗香さんの代理人としてきました弁護士の日向です」
‥‥‥古賀沙織はその時、自分の部屋にいた。
彼女は、自分のベッドから夕陽がゆっくりと沈んでいく様子を小窓から眺めていた。
なぜ、自分はずっとベッドの上にいなければならないのか。
なぜ、自分の部屋に古賀家の専属医だと言う医者や看護婦が出入りするのか、全く分からなかった。
母親は『大丈夫よ』と言う割には、廊下で祖父と言い争う声が聞こえるし、もう一度寝入ってしまえば前の状況に戻るのだろうか?
‥‥‥ある日の朝、いつもの様に医者が来て、診察を受けた。
それが終わると沙織は思い切って母親に、聞きたかった事をぶつけて見た。
『パパは、どこに行ったの?』と‥‥‥
一瞬、彼女は驚いた顔をし、その後は大粒の涙を浮かべ、部屋を出てしまった。
‥‥‥? 何が起きたのだろう? その後に見舞いに来てくれた祖母にも、話を聞こうとしたが、言葉を濁して帰ってしまった。
誰も沙織の話を、聞いてくれない。誰も沙織の目を合わせてくれない。現状が訴えてくる。
もう私の存在なんか、いらないんじゃないのか?
そんな事、考えたくもなかったが。
意外な人物が、答えに導いてくれた。父親、恭介の知り合いだと言う、刑事の犬居である。
彼は、言う。『君のお父さんは、今は病院にいるんだ』と‥‥‥
だったら父親も一緒に専属医の元で、治療して貰えばいいのに。と‥‥‥
すると、やっぱり彼も皆と同じ困った顔をする。
『それは出来ないんだよ。お父さんは怪我の状態が酷いのでね』
‥‥‥一体、何の事を言ってるのだろう。
私が、ベッドから出られないのと、何か関係してるのだろうか?
思い切って、彼に自分たちに何が起きているのか、尋ねてみることにした。
すると彼の瞳は大きく開かれ、息を呑み込んだ。そして、本当に何も覚えてないのか? と聞き返してくる。
彼は、恐い顔をしていた。そして、スーツの内ポケットから2枚の写真を取り出し、1枚だけを先に出して、こう言った。
『この男に、見覚えは?』
写真に写っているのは、とても綺麗な男性で沙織好みだった。
『じゃあ、こっちは?』
もう1枚は、目の鋭い男性で2枚とも知らない人間だったので、首を横に振ると、彼は沙織に聞こえるか分からない声で呟いた。
『知りたくない事だけ忘れるなんて、自分に都合のいい記憶喪失だな』と。
彼の言う意味が分からなかった。
それもその筈、彼女は好いていた《木下涼介》こと栗栖要に誘拐されて、ショックのあまり彼に出会ってからの記憶がスッポリと無くしてしまったのだから。
だから沙織は、犬居の話は全て他人事のように聞いていた。
彼が帰った後に引き籠っていた筈の弟が、姉の部屋を訪れ、教えてくれた。
沙織の手にある写真の男についてだ。
『姉ちゃんが連れてきたソイツが、ウチの家庭をメチャクチャにしていったんだ。知らないなんて言わせないぞ』
それは、綺麗な顔の男の写真だった。
弟が、恨みがましく訴えてくる。
『何で父さんが、帰って来ないか知ってるのか』
なぜか胸が、ズキンと痛み出した。
『姉ちゃんが、1人で勝手にアイツに付いて行って捕まった』
ここ数日間、誰にも教えてくれなかった真実を。
『父さんは、姉ちゃんを助けに行ったのに、爺ちゃんは誘拐された事に腹を立てた。責任を全て父さんに覆い被せて、追い出すつもりなんだ!』
弟の浩紀が、暴いてしまった‥‥‥
浩紀は、興奮気味に姉に訴えると、そのまま部屋を出て行った。
ズキズキ痛む胸を抑えながら、沙織は思った。
‥‥‥やっぱり、これは夢なんだ。私が男なんかの為に、人生を狂わされるなんて有り得ない話だと思う。
もう一度、寝よう。沙織は、ゆっくりと目を瞑ると、まどろみの世界へと戻って行った。
一方、栗栖要の方は‥‥‥と言うと。
「カナ‥‥よくもやってくれたな」
秘密組織、アンティークショップ『マーロン』の《マスター》の声で目が覚める。
傷は浅くはなかったが、命に別状はなかった。
栗栖要が、沙織お嬢を誘拐失敗から早、3日が経とうとしていた。
目が覚めた場所は、アンティークショップ『マーロン』の在庫管理室だった。
取り扱う商品は、一脚がン百万もするイタリア製の椅子だったり、職人技が光るドイツ製の家具だってりが、所狭しと並べられている。
アンティークショップ『マーロン』は、家族経営という設定の元、ママ役の《マスター》に、部下は皆〝息子〟であり〝義兄弟〟である。だから皆の絆は深い。
「まぁ〜ったく、これで家財道具持って、また夜逃げだよ」
せっかく、コーヒーショップのカワイコちゃんと仲良くなれたのに。
「でも、俺の発明した《煙タイノヨ人生ハ》で助かったから良かったじゃん」
栗栖に恨み節を吐く双子の兄・烈に、自分の発明を自慢気に言う双子の弟・海。
それは貸し倉庫での話だ。栗栖が、無抵抗の恭介に木刀を振っていた時の事。
思い余った沙織に、栗栖は刃物で刺されてしまったのだ。
そこで、貸し倉庫の外で待機していた烈と海は窓ガラスを割り、お手製の催眠ガスを放り投げたのだ。
そして2人手分けして、眠ってしまった古賀親子を、最初の取り引き場所である隣の廃工場に運び、出血多量で倒れた栗栖を回収した。
ちなみに恭介に持ってこさせた身代金は、『マーロン』の義兄弟で有り難く頂戴することにした。
「ママが心配してたぞ。まさか、キレた沙織お嬢に刺されたなんて思いもよらなかった」
それを言うのは《マスター》の恋人である《ダンディ》の言葉だ。
ちなみに男同士で、どちらかと言うと《マスター》の方がダンディズムだ。
(ママじゃなくて、パパの間違いだろ?)
「何はともあれ、栗栖要。合格だ! 皆、拍手・拍手!」
《マスター》が皆に拍手を促すと、全員でパチパチと手を叩き始めた。
やっと《栗栖要》は、自分の居場所を見つけた。
だが‥‥‥栗栖には、まだ気になる事が。
「そう言えば、久保田のおっさんは?」
久保田はその時、とある貸しロッカー屋の前に立っていた。
彼の手には、なぜか鍵が握られている。
実は、彼は《本田留美子》が死んだ直後すぐに、捜査員が入る前より先に、彼女のアパートの家捜しをしていたのだ。
お目当ては、もちろん。留美子の顧客リストである。
当時は、まだ携帯電話やPHSみたいな連絡機器は出回っておらず、当時はもっぱらポケベルであった。
彼としては、強請りの道具として顧客の個人情報が欲しかったのだが、彼女の遺体や衣服からは、それらしき物は見つからなかった。
ならば、と部屋に来たが何も見つからず、代わりに何らかしらの鍵を見つけたのだが、何の変哲もない鍵だったので検討もつかず、困り果てていた。
だが、捨てなくて良かった。それは、古賀家に盗聴器を仕掛けた時の話だ。
古賀恭介と先輩刑事の犬居が、話していた内容に〝貸しロッカー〟の話が出てきて、有り難いことに場所と、ロッカーのナンバーまで話していたのだ。そうとなれば、誰よりも早く〝商品〟を取りに行かなければ‥‥‥