恋の代償
沙織‥‥‥ねぇ、沙織。
私のお人形さん、ママの話を聞いてちょうだい。もし、貴女に好きな人が出来ても絶対に焦っちゃダメ。そっと近づいて、肩を寄せ合えば、いつか相手に伝わるものよ。
どんな廻り道をしてもね‥‥‥
その話をした時のママの目が、とても印象的だったの。だって、いつもママはサオリの女神様だけど、その時だけ魔女に見えたから。
‥‥‥古賀家に、近付いてくる人間は皆、大ッキライ。どうせ、お爺ちゃんの権力にあやかりたい人ばっかでしょ?
サオリに近付いてくる人間も、そんなのばっかりだもん。
皆ヘコヘコとご機嫌伺いしてくるの。バッカじゃないの?
お爺ちゃん?お爺ちゃんは大好きよ。
甘えれば手に入らない物なんてないし、お小遣いも沢山くれる。だけど、本当に欲しい物はそんなものじゃない。
本当はサオリは、焦がれるような恋がしたいの。
いつか大好きな人と、一緒に暮らしたい。
サオリの目の前に現れた涼介くんは、きっと神様が与えてくれた天使じゃないかしら?
彼を見た時に、まるで全身に電流が走ったかのようにビリビリしたの。
彼は、この世のモノじゃないかのように美しく、サオリは一瞬で恋に落ちたの。
だからサオリは、決めたわ。
絶対に、彼をサオリのモノにしてみせる。そうママが、パパを射止めたように‥‥‥
その日、古賀沙織は憤慨していた。
大好きな《涼介くん》が、沙織を空港に置き去りにして、とっとっと自分だけ帰ってしまったのだ。
その日は、待ちに待った彼とのグアム旅行で、沙織の母親もいたのだが、途中で撒くつもりでいた。
(せっかくの涼介くんとの旅行なのに、ママなんかに邪魔されたくない)
正直にいうと涼介と沙織は友達以上、恋人未満の関係で沙織としては、涼介に早く恋人として見てほしかった。
なのに、彼を捕まえようとすればする程、彼は逃げて行く。
もっと、サオリを見て欲しい。
どうすれば、サオリだけ見てくれるの?
沙織は、募る想いを抱えていた。
本当は、母親の誕生日パーティーの時に《木下涼介》を恋人として、祖父母と両親に紹介するつもりだったのだが、なぜか父親の恭介が異常反応するのだ。
多分、それは気のせいじゃない。
父親を見れば分かる。
(初めて彼を見た時、パパの顔がスゴく恐かった。何を聞いても大丈夫。の一点張りだし、涼介くんの様子も何だか変だった)
もし涼介くんが、悩んでる事があるならサオリに話してよ。
サオリが、涼介くんの力になってあげるから。
だから、涼介くん『距離を置こう』なんて言わないで‥‥‥
何があったの? サオリの何がいけないの? パパと何かあったのね?
そう‥‥パパが嫌いなのね。大丈夫、あんなヤツは本当の父親なんかじゃないんだから、サオリが追い出してあげるからね。
‥‥‥ねぇ、そっちに行ってもいい?
純真無垢なお姫様は、こうして悪い鬼のいる巣窟へと赴くのでした。
古賀恭介は、妻の麗華の肩を抱き寄せ、じっと電話の受話器を睨んでいた。
沙織が、忽然と姿を消して丸三日が経った。
最初は、気分が落着いたら帰ってくるだろう、とタカをくくっていたが、待てど暮らせど帰って来る気配がない。
心配になって、大学に電話すると大学を欠席しているという回答が。
それに加え《木下涼介》という存在も、大学に在籍していないという。
(一体、どういう意味なんだ?)
大学側から、思わぬ応えが返ってきた古賀恭介は、明らかに動揺していた。
流石に妻の麗華でさえ、心配そうに恭介を覗き込んでいる。
「アナタ。あの子の事だから、きっと大丈夫よ」
そうは言っても〝生きている〟という確証は、どこにもない。
なんせ、あの青年《木下涼介》が現れてからというもの、おかしい出来事が多過ぎる。
大体なぜ、20年以上前の留美子の事件を蒸し返す必要があるんだ?
しかも、麻薬の運び屋だって?
冗談じゃない!もし、そんな事を知っていたら最初から、そんな女なんかと付き合うか!
しかも、久保田という刑事なんかが係っているというし‥‥‥って、あれ?
ここで恭介は、ある違和感を覚える。
それは、留美子が亡くなる数日前の事だ。
恭介の部屋に、掛かってきた電話の事だ。
『この女は、諦めろ』という、野太い男の声の事だ。
声なんて、ボイスチェンジャーでいくらでも変えれるんじゃないか!
だとしたら、もしかして20年前に脅しの電話を掛けてきたのは、大家の坂木じゃなく‥‥‥久保田刑事!!?
ポッ、と出た可能性に恭介は思わず、以前に犬居刑事から貰った、彼の携帯番号が書かれた紙を取り出した。
そして、すぐさまプッシュボタンを押し、彼の携帯電話に繋がると、こう叫んだ。
「犬居さん、頼む。俺の家に来てくれ」
‥‥‥待つこと1時間後、古賀家に犬居は1人で来た。そして来た事を確認したら、すぐに応接間に通す。
「どうしたんだ、いきなり呼び出して」
犬居が、応接間に入るのを確認すると、恭介は鍵を掛けた。
「悪い、あまり他人に聞かれたくないんだ。ソファに座ってくれ」
促されるまま、犬居は座ると恭介は机の引き出しから、1つの鍵を差し出した。
「これは?」
恭介の差し出したのは、何のヘンテツもない鍵だった。
「これは、会社を経営してた時から借りていた、貸しロッカーの鍵だ。個人的に金払っているヤツだから、勝手に他人は触れない」
もし、謎解きがあるとしたら、これくらいのものか。
「20年昔のでも、通用するのか?」
「‥‥‥ああ、銀行の引き落としは今も継続されているから、利用はできてるみたいだ。ただ、結婚してバタバタと引っ越したりして、すっかり忘れていたがな」
以前に住んでいた場所も、すっかり様変わりしている筈だ。
「留美子にも同じ鍵を渡していた。俺は、あまり利用しなかったんだが、もし久保田が付け狙う何かがあるとしたら‥‥‥」
「多分、麻薬だろうな」
犬居は、そう呟いた。
2人が囲むテーブルの下には、赤く点滅する盗聴器があるとも知らず。
‥‥‥とある工業団地の廃工場にて。
もう誰にも使われていない所で、機材などはすでに全て引き払っており、残ってるのは殺伐とした工場の雰囲気だけだ。
その、廃工場の内部で数人の男たちが、たむろっていた。
「ん〜んふっふっふ、感度は良好」
男が、満足そうに無線で盗聴器の内容を、聴き取っている。犬居刑事の後輩だった久保田だ。
「流石、要だな。ピンポイントで聴こえる」
「だろ?念の為に、一階の全室に仕込んどいたからな」
それにしても‥‥‥と、久保田が隣の部屋のドアを見た。
「なんで、母親じゃなくて娘の方を拉致したんだ?これじゃあタダの誘拐で、契約違反になるぞ?」
不満を漏らす久保田に、栗栖はチッと舌打ちをした。
「仕方ないだろ。勝手にまとわり付いてきたんだから」
2人が話していた娘とは、恭介の娘《沙織》のことだ。
それは、計画を一旦とりやめて体制を整えようとした時である。
プリペイド携帯に、沙織から電話が掛かってきたのである。当然の事ながら、旅行をすっぽかされた沙織の怒りは心頭していた。
だから、栗栖は言ってやった。
『君とは、少し距離を置きたいんだ』と。
それから『君と僕とでは釣り合わない』とも言ってみる。
すると、相手の方はコロッと態度を変えてきた。
そうすれば、後はこっちのものである。
栗栖が困った様な声を出すと、沙織が最後にこう言った。
『ねぇ、そっちに行ってもいい?』
後はトントン拍子で話が進み、以前に使ったアンティークショップ『マーロン』で待ち合わせしたのだ。
そして暗闇の中で、栗栖の姿を探していた沙織を後ろから、クロロホルムを嗅がせて気絶をさせた。
(最後の仕上げは、証拠物件を残して、と)
沙織の指から、ピンクゴールドの指輪を抜いて床に落とす。
気絶をした沙織を背負い、栗栖は『マーロン』を後にした。
それが、犬居が『マーロン』に突撃する数時間前の話のことだ。
まさかこの指輪が、のちの誘拐事件に発展するとは、この時の犬居には知る由もない。
「今は?」
「目が覚めたから、今はガムテとロープで体を縛ってる。沙織のヤツ、今だに信じられないって顔してたけど」
久保田は、次の計画に入る前に栗栖に苦言を呈した。
「しかし、孫娘を脅しのタネに使うのは、俺は好かん。幾つもの前歴を持つ《麗華》を捕まえる方が妥当だ」
「何を今更!俺たちには、後が残されてないんだぜ。好きキライは言ってられないさ」
栗栖は、苦虫を噛み潰しながら喋る。
「まぁ、見ときなよ。ヤツらがどういう行動に移すか、見物だな」
栗栖はそう言うと、沙織の鞄からスマートフォンを取り出し、恭介の携帯番号に繋げた。
‥‥‥その時、古賀恭介は妻の麗華と、沙織から電話が掛かってくるのを待っていた。
ピリリリィ‥‥ピリリリリィィ‥‥‥!
‥‥‥暫くして静かだった応接間から、けたたましく恭介の携帯の着信音が鳴る。
「着信は、沙織からだ!」
恭介は、喜んで自分の携帯を手にするが、この喜びがヌカ喜びで終わることを知る。
『残念でした〜。沙織じゃ、ありません。さぁ、僕は一体だれでしょうか?』
それは《木下涼介》こと、栗栖要からだった。
「何を言ってるんだ、お前は栗栖要だろう。冗談は、休み休み言え!」
恭介は、大きな声で威嚇するが相手は怯む様子はなく、声質も何ら変わりなかった。
『‥‥‥古賀さん、仕事の話をしようか?』
眉をピクリと上げ、恭介は言った。
それは、なんのマネだ?と‥‥‥
すると、返ってきた答えは予想通りの返答であった。
『ウチの狙いは、古賀議員の失脚だ。その為には、手段は選ばない』
言葉の意味は分かるだろ?と話を続ける。
「ひどい遜色だ。娘を盾にするなんて」
電話の向こうでは、笑いを噛み殺す声が聞こえてきた。
『何とでも言えよ。負け犬の遠吠えにしか聞えないぜ』
最後に栗栖は、恭介にある言葉を投げかけた。
『早く、こっちに来いよ。携帯に付いてるGPSで沙織のケータイ探せるだろ?』