ある犯罪者の心理 後編
‥‥‥僕は、昔から皆に変わっていると、言われ続けていた。小さい頃から人と同じ事をするのが大嫌いで、いつも1人でいた。
だから両親が離婚しても、親が再婚しても一度も泣きはしなかったよ。
ただ、ママが飼ってたペットのインコがどこに行ったのかなんて、僕は知らないよ。
パーティー会場となる『古賀不動産』に着くと、流石の《木下涼介》こと栗栖要も、緊張してきた。
それは、誘拐予定である《古賀麗華》本人に今日、会うからだ。
沙織の腕には、抱えきれない程の黄色い薔薇を、そして栗栖の腕にはラッピングが施された例のランプを抱えていた。
噂では、かなりの美人で昔、少しの間だけ芸能界にいたらしいが、あの世界は競争率が高すぎて、麗華はあまり馴染めなかったらしい。しかも、その時に大物司会者との不倫スキャンダル。
麗華は、彼の子供を妊娠したあげく、彼の新妻でモデルの《紅林アズサ》に離婚を迫ったのである。
[ちなみに、その時にお腹に入っていたのが、沙織である]
これには、流石の大手プロダクションもお手上げ状態だった。
その大物司会者は、アズサとの泥沼不倫の末に、30年連れ添った前妻との離婚が正式に決まってからの結婚だったので事務所は大慌てだ。
なんせ、逆計算していくと大物司会者と麗華が関係を持っていたのは、前妻との離婚調停中ということであるから、つまりは二股不倫である。
どちらと先に付き合い始めたのか定かではないが、麗華としては格下に思っていたアズサにパトロンを取られて大いにプライドを傷付けられたに違いない。
だから、普段の嫉妬深い沙織を見ても分かるように、血は争えないものだと思う。
包丁を持った麗華は、アズサの左腕を刺し、全治三ヶ月の大怪我を負わせたのである。
当初、古賀グループが事件の揉み消しに掛かり、雑誌はどうにでもなった。
ただテレビ局で起こした事件だったので、流石に古賀もそこまでは手が回せず、ニュースにはそのまま不祥事が流れてしまった。
その後、麗華は傷害事件として一度は警察に連行されるが、すぐに金を積んで釈放され、相手方とは金で示談に持ち込んだ。
一方のアズサは最初の頃は、悲劇のヒロインとして、もてはやされたものの、それが過ぎると段々とボロが出始め、旬が過ぎるとモデルの仕事も激減した。
‥‥‥その後、2人は性格の不一致で半年でスピード離婚することになった。
麗華は、相手が離婚をしたからといって、お腹の子を認知してもらえるわけでもなく、だからといって身重の女と一緒になってくれる奇特な人間がいるわけでもなかった。
だが、代わりに麗華の父親が連れてきた人物は、日頃から古賀グループを敵対視していた曽根百貨店の一人息子だった。
最初の頃は、気が合わないと思った事もあったらしいが、結局は2人とも、どこぞかしこぞ似たところがあるらしい。
よく何かにつけ、一緒に行動しているらしいし、きっとウマが合うのだろう。
傍目から見たら、気の強い麗華を妻に持つ恭介は、優男の恐妻家にしか見えない。
だが、沙織曰く両親は、理想のカップルらしい。
確かに、2人で並んでいても自然と肩を寄せ合って、とても政略結婚で無理矢理結ばされた仲には見えなかった。
そうでなければ恭介の子どもは産まないかもしれない。
(それにしても、スゴい美人だ。2人も子ども産んだなんて信じられない)
もう40歳は過ぎたであろう、麗華の美貌は衰えることを知らず、肌にはハリと艶がありシミの1つも見当たらなかった。
体型も中年とは思えない程、絞られており地味目のグレーのスーツでも、彼女が着ると野暮ったく見えなかった。
初めて、対象人物を目の当たりにした栗栖が、あまりの美しさに感嘆してしまい、沙織に足を踏まれてしまった。
ここで、栗栖はある事に気が付く。
「そういえば、弟くんの姿が見えないね」
すると、沙織は自分以外の話題になった途端、ムッとするような顔をした。
「弟は、こんなところに来る筈なんかないよ。だって、弟は学校にも行かずにウチの屋根裏部屋に引き籠ってるんだもん」
まったく情けないったら!
(どうやら、2人はあまり仲良くなさそうだな)
家に忍び込むには、まず家族の情報収集が基本である。
手足を使い苦労をして集める情報の方が信憑性はあるが、時間と体力が足りない。
その点、『マーロン』の情報網は迅速かつ的確であり、それと沙織の漏らす情報とで、古賀家の内情が筒抜けとなるのだ。
沙織の話を簡単に、まとめると古賀家の家族構成は、父親の恭介に母親の麗華と娘の沙織に、弟の浩紀。あとは、ペットの犬に住み込みの初老のお手伝いさん。
こんな簡単な仕事、すぐに終わりそうだな。美人を傷付けるなんて趣味ないけど、楽しみが一つ増えたから良しとしよう。
沙織は、テキパキと自分主催の誕生日パーティーの支度をしている麗華のところへ駆け寄ると、沙織は抱えていた黄色い薔薇を母親に渡した。
「ママ、誕生日おめでとう。これママの好きな黄色い薔薇」
そう言って薔薇を手渡すと、麗華は満面の笑みを零した。
「ありがとう、ママの好きな薔薇だわ」
麗華は嬉しそうに受け取ると、次に沙織の
隣にいる青年に目を見やった。
「もしかして沙織のボーイフレンド?素敵ね」
麗華の目は、前の美青年に興味津々だった。
すると嫉妬深い沙織が、2人の間に割って入り、プリプリと怒り始めた。
「ごめん、ごめん沙織」
怒る沙織を宥めすかしてるところで、遠くの方で誰かの声が聞こえてきた。
あまりにも、声が大きかったので思わず後ろを振り向くと、そこには40歳をとうに過ぎたような中年男が立っていた。
「恭介?曽根恭介じゃないか!」
その声に反応してか、古賀恭介が振り向いた。
「聡、多田聡じゃないか?久し振りだな」
どうやら、《古賀恭介》の友人らしい男は親しげに、恭介の背中をバンバン叩く。
「あの人、お爺ちゃんが行く病院のお医者様なんだよ」
隣で沙織が、ソッと涼介に耳打ちしてくれる。
(病気なのか?一体アイツは何科の医者なんだ)
少し気になって、多田聡の方を覗いていると、なぜか向こうも栗栖をみつめていた。
だが、その瞬間。気を取られている隙に、多田の指が栗栖の顔に迫る。
そして、彼は言う。こんな綺麗な男は見たことがない、と‥‥‥
だが、彼は気付いたのかもしれない。
偽物の仮面で顔を変えていることに。
(ヤバい、バレたかもしれない)
栗栖の心中は、穏やかなものではなかった。
なぜなら、彼の指は確実に手術後の痕跡を探していた。
もし、それで嘘がバレてしまったら、タダではすまない。
下手したら計画がバレずとも、微かの異変を多田が恭介に伝えるだろう。
そうなったら自分は『マーロン』の手先によって、消されるかもしれない。
そうなる前に、早く他の手を打たなくては‥‥‥
誕生日パーティーも中盤に入り、和やかなムードが漂う中、誰かが「古賀先生がお越しになられたぞ」と叫んだ。
すると、穏やかな雰囲気がいきなりガラリと変わり、それぞれが慌ただしく動き始める。
そうこうしている内に、大勢の人間が表玄関に集まり、お出迎え体制になった。
玄関の所には、70過ぎの恰幅のよい白髪まじりの男性が、付き添いの女性と入って来る所であった。
付き添いの女性は、麗華の母親であり、沙織の祖母だろう。目尻の小ジワが気になるが多分、昔は相当な美人だったのだろう。
そこら辺の女よりは、よっぽど色香ある。彼女は孫娘の姿を見つけると、嬉しそうに近寄り喋り始めた。
栗栖は、そんな2人を見つめながら、彼の心中は決して穏やかなものではなかった。
なんせ、部外者で自分に疑いの目を向ける人物が現れたのだ。
内心は、ヒヤヒヤものである。
そこで栗栖は、古賀麗華を誘拐するよりも先に、古賀恭介を脅すことを思いついた。
先程、沙織からグアム旅行のお誘いがあったからだ。
『ママとグアム島に行くことになったの、それで涼介くんも誘ってみたら?って、言われたから一緒に行かない?』と言われたのだ。
なんで、俺が小便臭いガキと旅行をしなければならないんだ?
最初は、嫌悪感を覚えたが‥‥‥考え方によっては使える。
決行は後日、そのチャンスを逃したら本当に後がない!
その日は、天候がよく絶好のフライト日和りであった。
朝から浮かれ気味の沙織は、麗華と共にフライト時間ぎりぎりで、母親の麗華と現れた。
「涼介くん、ごめんね。待った?」
多分、念入りに化粧を施したのだろう。いつもよりも沙織の美人度が上がっている。
だが、残念なことに旅行気分は、ここまでだ。
飛行機に乗り込む前に、待っていたロビーで、思い出したように「ごめん。ちょっと忘れ物」と言って、席を立つ。
「早く戻ってきてよ」
後ろから、突き刺さるな視線で栗栖の背中を見つめる沙織に、居心地が悪かったが仕方無い。
なんせ、古賀家に仕掛けた罠が今日、作動するように設定したからだ。
せっかくの仕掛け、無駄には出来ない。
「さて、仕事に取り掛かりますか」
栗栖は、そういって飛行場を後にした。
栗栖が仕掛けた罠とは、遡ること一週間程前になる。
目的は、麗華にプレゼントした、オイルランプの底に仕掛けられたピンを外す事だ。
もちろん、最初の予定でいけば古賀麗華に使う予定でランプを仕掛けに行ったのだ。
だが、予定変更があったりなどして理不尽だが変えざるを得なかった。
途中、沙織の弟に邪魔をされたりしたが、計画に支障が出なければ、何ら問題もない。
あとは、楽しい時間だ。思う存分、恭介をいたぶってるやる。
彼は、気付いてしまったのだろう。俺の正体が《涼介》では、ないことを。
そして、俺の興味が恭介に向いている事を。
‥‥‥待っていろ。
栗栖の興奮は、絶頂に達っしていた。
まるで、目の前が薔薇で咲き誇っているかのような錯覚に陥る。
死なないくらいには、切り刻んでやる。
栗栖は、考えただけで興奮していたが、思わね恭介の伏兵によって、手痛くやられてしまう。
それが、古賀家のペットであるジャイアント・シュナイザーのメルであった。
(前忍び込んだら、いなかったのに‥‥)
栗栖は、恐れていた。犬の嗅覚を、犬の聴覚を、犬の俊敏性を。
どれをとっても、人間の栗栖は犬の能力には敵わないのだ。
最初は、意気揚々と麗華の書斎に忍び込んだものの、気が付けばドアの向こうの通路側には、犬の気配と息づかいが聞こえてきた。
しかも、その気配はこの部屋の前で停まった。
(クソッ!気づかれたか)
クロロホルム入りのオイルランプの発火準備はできたのに、身動きが出来ないなんて。
固唾を飲んでいるところへ、玄関の扉が開く音がした。
誰だ?急に栗栖は、自分の体が強ばってくのが分かった。
こんな昼の日中に、帰ってくる人間なんて誰がいるんだ?お手伝いさんが帰ってくるには、まだ早かった。
部屋の隅で警戒していると、扉の向こうでは、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「帰ってきたぞ。浩紀、いるのか?」
それは、待ちに待った恭介の声だった。
ペタペタと、歩く足音は段々と近づいてき、それは犬が陣取っているこの部屋で止まった。
(入ってくるのか?)
ドクンッドクン、と高鳴る心臓が破裂しそうだ。これは緊張なのか、それとも歓喜なのか?
‥‥‥ドアノブが、ガチャリと音がすると同時に、栗栖はリモコンでオイルランプのスイッチを操作した。
ランプのスイッチを押したことで、オイルランプの内部の電球が点滅し始める。
入って来たのは、思ったとおり《古賀恭介》だった。
すると、栗栖の心臓は跳ね上がり、興奮した状態で栗栖を脅した。
『本当は、知ってるんだろ?』と言って、サバイバルナイフを突きつけ。
『いいか今度、邪魔をしたら生命は、ないものと思え』と言って、右手を斬りつけた。
その時の、恭介の顔といったら‥‥‥助演男優賞モンだな!
クククッと、笑いを噛み殺しているところへ、残念なお知らせが、プリペイド携帯の呼び出し音と共に訪れる。
その内容は〝古賀家は、何事もなかったかのように、生活をしている〟と。
‥‥‥それを聞いた途端、栗栖の顔は急に青褪め、その後は怒りに任せて持っていたプリペイド携帯を壁に叩き付けた。
(‥‥‥ふざけやがって、次の手だ!!)