剣道
「1本っ!」
体育館に響き渡る音が気持ちいい。
春奈はこれで通算87勝目だった。
剣道部、というとカッコ良いイメージが強く毎年入部希望者は多いが
その大半がむさくるしく暑苦しい、あと臭いなどで辞めていく悲しい部活である。
酒井春奈は、お爺ちゃんが剣道の師範で教室も開くような人なので
幼少から剣術のいろはを叩きこまれており強く、またそんな奴らに呆れた。
2ヶ月そこらで剣道の魅力が分かってたまるか、と。
でも、もっと呆れるべき奴がいる・・。
「楓太、これで私の87勝目よ!?男なら勝ってみなさい!」
河原楓太は、春奈のお爺ちゃんの教室の生徒の1人で
彼もまた幼少の頃から剣道をやっていたのがこれがすごく弱かった。
春奈がいくら強いといっても高校2年生、男の癖に春奈に1回も勝ったことがない。
確かに骨太な春奈とは違い、華奢で細く色の白い楓太は女のような奴で
また、性格も女々しいというか・・。春奈に負けてもへらへらとしてる。
「春ちゃん強いもん。そんなん俺、勝てっこないから」
そういって体育館の隅にへたばってしまう。
楓太は負けず嫌いの春奈の逆をいく男で、しかも、そんな楓太を周りは
「可愛い、楓太くんは負けてるくらいがいい」だの
「春奈相手に勝つならゴリラしか無理」だの甘やかす。
性格も女のようであれば顔も女みたいなのだ、こいつは。
「あのね、楓太が弱かったら、お爺ちゃんが恥かくのよっ!
全く私と龍之介はめちゃくちゃ強いってのに」
「あはは、龍ちゃんは強いよねぇ」
「笑ってんじゃないわよ!もう1回やるわよ」
そういって楓太の胸ぐらを掴む。
すると後ろから肩を叩く奴がいた。龍之介だ。
「ほら春奈、楓太で物足りないなら俺がやったるから勘弁したれ」
「もう、龍之介も楓太には甘いっ」
谷口龍之介もまたお爺ちゃんの教室の生徒で中学1年生と遅くに入ってきたが
その腕は強くめきめきと才能を発揮していった。
また、剣道部の女子部員が多いのは龍之介目当ての奴が多いからだ。
楓太に関しては顔があまりにも可愛いらしいため女子にはマスコットのような扱いで
「河原楓太くんを愛でる会」という会が作られみんなに溺愛されていた。
そんなのにも春奈は腹が立った。男の癖に可愛いとか言われて喜んでんじゃねぇ、と。
イライラするのを鎮めるために「外周行ってくる」と楓太に背を向ける。
「俺も付いていくわ」と龍之介も言ってくれ外に行こうとすると練習着の裾を楓太に引っ張られる。
「ごめん春ちゃん、怒った?」
その目は大きくキラキラと輝いていて・・。
お爺ちゃんの飼ってるポメラニアンを擬人化したら楓太だろうな、と昔から思ってた。
だからというべきか、それをないがしろにするのは躊躇われ、
犬に接するように頭をポンポンと撫でてやる。
「怒ってない。・・あんたも外周来る?」
「行くっ!」
楓太に尻尾があるなら振ってるだろう。
そんな返事に呆れつつも楓太を立たせてやると3人で運動場に向かった。
午後7時、部活も終わり完全下校の時間となる。
楓太と龍之介は地元が同じなので自然と帰るのも同じになるのだが
今日はちょっと違った。
「あの、春奈ちゃん」
その呼びかけに振りかえるとうちの部活内で最も可愛いと称される
生駒絵梨だった。
そんな可愛らしくモジモジされると女の春奈でもどうにかしてしまいそうだ。
「なに、どした?」
「最近、帰り道怖くて・・。
多分なんだけどストーカーされてる」
「嘘っ、何それ。許せない!」
「悪いんだけどさぁ、一緒に帰ってくれない?」
「もちろん」
許せない。こんな可愛い子をどうにかしようなんざ。
自分のことは棚に上げて春奈は本気で腹が立った。
絵梨の家は春奈の方角とは少し違うが構わない。
「春ちゃん、帰らないの~?」
ずっと待ってたのか楓太が呼びに来る。龍之介もいた。
後ろにいる絵梨のことを説明しようと思ったが、
ストーカーされてるとか多分言われたくないはずだ。
だから、女の春奈を頼ってきたのだろう。
「今日は絵梨と帰るから。楓太と龍之介は帰っていいよ」
「えー、生駒ちゃんて方角全然違うけど」
「いいのっ、あっちに用事あんの」
ほら、帰りな。と楓太の背中を押す。
龍之介はまだ用心棒になるかもしれないけど楓太は危険だ。
高校2年生になっても女と間違われ痴漢に遭う。
でもまぁ、ストーカーごときなら私で余裕だろう、と思った。
それほど春奈は自分の強さを信じていたから。
「行こうか、絵梨」
「うん、ありがと」
閉まった竹刀をいつでも出せるように準備した。
電車に乗り絵梨の最寄り駅で下車する。
特に今のところ問題はナシ。でも油断は禁物だ。
警戒するように絵梨の少し後ろを歩く。
街灯が少なく辺りは真っ暗だ。
もともと住んでるところが田舎だが絵梨の地元はコンビニも見当たらない。
これじゃあ心細いよなぁ、と思う。その時だ。
「・・・っ!絵梨」
「うん」
明らかに後ろから視線を感じ振り向きたい衝動を抑える。
相手はこちらと同じ方角を歩いてくる。つけられてる、と感じた。
準備してある竹刀ならいつでも抜ける。
そして周り道をするように細い路地を何回も曲がり振り払おうとするが
しつこくつけてきた。もしかしてバレてないつもりか?
でも、これだけつけてくるのはストーカーと断言していいだろう。
春奈は次の曲がり角を曲がったところで止まった。
「春奈ちゃん?」
「絵梨、下がってな。やっつける」
そう言うと竹刀を抜く。そして構えた。いつでも来やがれ。
すると曲がり角から人が現れた。歳は中年くらいの男で
背は低く太っていた。相手は明らかに動揺している。
「めーーんっ!」
そう言い放つと竹刀を相手の頭に向かって叩きつける。
「ぐぉ」と低い唸り声を上げ相手が倒れた。
「今度ストーカーとかキモいことやってみろ!
こんなもんじゃすまないからなっ!!」
春奈の怒号に慌てたように相手は立ち上げり逃げて行った。
「ありがとう、春奈ちゃん」
「いいよ、これでやらないでしょ。でも、またやられたら言いな」
「うん!」
こうして絵梨を無事家に送り届けると、春奈も家に帰った。
家の門の前に行くと見知った顔がいた。
「綾香さんっ!」
「あら、春奈ちゃん」
一昨年、大学を卒業して東京に上京した谷口綾香は龍之介の姉で
周りに女の性が少ない春奈にとってもお姉ちゃんのような存在だった。
綾香は綺麗に化粧していてスーツを着こなしカッコ良かった。
「珍しいですね、どうしたんですか?」
「あぁ、龍の大会見ようと思って。有給取れたから。
家に帰ったら誰もいなくて。春奈ちゃんの家かなぁ、て」
どうぞ、と綾香が家の扉を開け綾香が会釈して入る。
龍之介と楓太の家とは近所のためよくお互いに家を行き来していて、
家族ぐるみの付き合いだった。晩ご飯を一緒に食べるのもしょっちゅうだ。
大会というのは年に1度ある剣道の全国大会だ。
家に上げると案の定、今日は龍之介の家の人達が勢ぞろいしてた。
「お母さん、今日帰るってのに家にいないんだもん」
龍之介の母と目を合わせるなり綾香がぶうたれる。
しかし、当の母はもうお酒でベロベロに酔っていてまともな受け答えを出来ない。
それに呆れて綾香の機嫌はますます悪くなる。
「姉ちゃん、大会見に来てくれんの?」
しかし、綾香の機嫌の悪いのもそこまでだった。
龍之介の弾むように言う質問に気を良くしたのか綾香に笑顔が戻る。
昔っから歳が離れてるのもあるせいか、ここの姉弟は仲が良い。
「そうよー、楽しみで」
「サンキュー、今年こそ優勝狙うわ」
「春奈ちゃんも出るんでしょ?去年、優勝したんだもんねぇ。
高校1年生だったのに大したモンだわ」
綾香の感心したような言葉に龍之介は相槌を打つ。
先程までお酒を飲んでいたお爺ちゃんも聞いていたのか口を挟む。
「春奈の体格は剣道するために産まれてきたような体だからなぁ。
腕力も強いしスピードも速くて・・うん、爺ちゃんも楽しみだ」
「何よそれ、嫌味っ!?」
その軽快なやりとりに周囲が爆笑する。
春奈としては不本意だが認めざるを得ない。その通りだし。
「そういえば、楓太くんは?」
「あいつは出ないですよ、今年も」
毎年楓太は狙ったように大会前日に体調が悪くなり大会に出たことがない。
緊張が体調に現れやすいタイプのようで去年は熱が出たらしい。
「楓太くんて剣道向いてないのかな?」
「まぁ、性格上で言うと全然向いてないですかね」
今日の情けない姿を回想しながら綾香の質問を返す。
負けず嫌いはどのスポーツにおいても致命的だ。
「お爺ちゃんどう思う?楓太」
幼い頃から楓太を見てきたお爺ちゃんに質問する。
「まぁ、楓太は楓太だから。別にいいだろう」
「お爺ちゃんも楓太には甘いよね。みんな甘いよ。
私が剣道で怒られること沢山あっても楓太は怒られたことないし。
私、楓太に87勝もしてんだからね」
「春奈ちゃんに勝つにはゴリラくらいしか無理だわ」
「それ部活の女子にも言われます」
と拗ねてみせると綾香は楽しそうに笑った。
確かに全国大会優勝した春奈にとって女子の中では敵ナシだ。
そこらの男子にも勝てる自信はある。その中に楓太もいる。
「楓太くん可愛いからなぁ。あ、私いま雑誌の編集者やってんだけど。
モデルとかやる気ないかしら?楓太くんなら良いとこいくと思うわぁ」
「まぁ、剣道よりかモデルの方が向いてるかもですね」
情けないな、あの男は。と思いながら適当に返した。