第1話 プロローグ 「トレース不能な戦争」
世界が戦争をしている、という実感は、モニターのログからやってくる。
俺の仕事は「オイルの出自を眺めること」だ。
省庁のひとつ、経済産業省の地下深くに埋まっている部署──通称〈起源省〉。
正式名称はもっと長いけれど、名刺に印刷された肩書きを全部読むだけで一分はかかるので、誰も言いたがらない。
薄暗いフロアに、ラックマウントサーバーと巨大スクリーン。
そこに、世界中のオリジン・オイルの流れが、無数の線となって描かれている。
オリジン・オイル。
それは五十年前、旧世界の石油に代わって使われはじめた、魔法のような燃料だ。
一滴ごとに「原産コード」が封じ込められている。
どの国の油田から出たか、どの港を経由したか、どのタンクで混ざったか。
それを、俺たちは「起源トレーサー」と呼ばれるシステムで追跡している。
本気を出せば、だ。
「……湊くん、また変な山できてるわよ」
背後から声がした。高城理子、大臣閣下である。
経産相──のはずなのに、この地下フロアに顔を出す頻度は、うちの課長より多い。
スーツの上着を脱いで、袖をまくって、モニター越しに俺の後ろからグラフを覗き込む姿は、どう見てもただの現場の人だ。
「またツァールですか」
「そう。“ツァール産じゃないことになってる”オイルの山」
俺はスクリーンに指を走らせ、特定の線をハイライトする。
北方の大国〈ツァール連邦〉。
その国名は、ここ最近のニュースで、嫌というほど耳にする。
半年前、ツァール軍が隣国〈ノルドリア〉に侵攻した。
戦車、ミサイル、ドローン。
教科書の中にしかなかったはずの「全面戦争」という単語が、トレンドワードとしてネットを駆けまわった日だ。
七つの海をまたぐ自由主義陣営──〈七海同盟〉は、すぐさま制裁を発表した。
ツァール産オリジン・オイルの輸入禁止。
ツァールの起源港から出るタンカーへの保険提供禁止。
ツァール国営オイル企業への金融制限。
起源トレーサーも、そのルールに合わせて設定が変わった。
──ツァールの油田から、ツァールの港から出たオイルは危険マーク。
──そこから先は、見ないことにする。
そう、「見ないことにした」のだ。
「バルト沿岸の小国、〈エストリア〉向けの輸送量、どうなってる?」
高城大臣が聞いてくる。
俺はデータベースにクエリを投げる。
線が一本、グラフ上で浮かび上がった。
ノルドリアの南隣、エストリア。人口わずか百万の小国。
七海同盟への加盟を巡って、ツァールと何年も綱引きをしている国でもある。
「……おかしいですね。ツァール産はゼロのまま、ですね」
「でも、実際には電気もガスも止まってない」
大臣が、別のタブレットをちらつかせる。
そこにはエストリアの電力需給データが映っていた。平常運転。
停電も配給制もなく、むしろ冬場のピークを少し下回っている。
「つまりどういうことか、説明してちょうだい、湊くん」
「……ツァール以外からの供給が、増えてます」
俺は、線を増やす。
中継都市国家〈バーレイン港湾連合〉から伸びる線。
南の巨大新興国〈インディラ共和国〉からの線。
どれも「ツァール産ではない」と分類されたオイルだ。
でも、その原産コードを、ほんの少し深く掘ると。
「バーレインでの混合比率、ツァール由来分、七八パーセント」
「インディラの沿岸精製所の入力ログ、ツァールからのタンカー、増加中」
モニターに映る数字を読み上げながら、俺はため息をつく。
「制裁対象の『起点』では止めてるけど、その先で混ざった分については、トレースしてません。ルール上」
「そう。“ルール上は”ね」
高城大臣は、椅子に腰掛けて脚を組んだ。
「ツァールの油は、『ツァール産じゃないことになって』世界を回り続けてる。
それでいて、うちの閣議資料にはこう書いてあるわ。
──“ツァール産オイルの輸入はゼロ。制裁は着実に効いている”」
スクリーンの赤い線は、まるで俺たちを嘲笑うかのように増え続けていた。
◆
昼休み、地下フロアの隅にある狭い休憩スペースで、俺はいつもの紙パックコーヒーをすすっていた。
そこにふらりと現れる人影がひとつ。
白衣にカーディガンを羽織った初老の男、坂東先生だ。
肩書きは〈戦争史料館・特任研究員〉。
でも実態は、起源省の地下に居着いている、喫茶店の常連客みたいな人だ。
「顔色が悪いな、篠宮くん」
「先生、いつものことですよ」
「いつものことが悪化しておるんじゃよ」
坂東先生は、俺の向かいに腰を下ろすと、一冊の薄い冊子をテーブルに置いた。
古びた紙。
表紙のタイトルは、読みにくい旧字体でこう書いてある。
『西方小国の滅亡──複葉機と宥和の時代』
「……また、昔話ですか」
「昔話という名の、未来予報じゃよ」
先生は、片目だけでウインクした。
「この小国はな、陸軍の戦車は一両も踏み込んでこないうちに、実質的に負けてしまった。
空から飛んでくる複葉機が、発電所と鉄道と防空施設だけを、じわじわ潰していったせいでな」
ページをめくると、白黒の写真がいくつも並んでいる。
煙を上げる変電所。
火の手が上がる港。
国境の線はまだ動いていないのに、国全体が「機能不全」に陥っていく様子が、淡々と記録されていた。
「同盟国は、助けに来なかったんですか」
「来ようとはした。だが『まだ本格的な侵攻とは言えない』『戦争だと認めたくない』と議会が揉めている間に、時間切れじゃ」
坂東先生は、コーヒーを一口飲む。
「複葉機がドローンに変わっただけで、構図は同じじゃよ、篠宮くん」
「……ドローンだけがバルト沿岸に飛んできて、国境の線はそのまま。
でも、港と防空だけ死んでいく」
「君のモニターには、もうその予兆が出ておるのだろう?」
図星だった。
エストリアの上空に、身元不明の偵察ドローンが増えはじめている、という報告が来ている。
攻撃はまだ、ない。
でも、防空網の反応ログには、今までなかった「ノイズ」が乗り始めている。
ここで、本気で止めるのか。
それとも、「まだ戦争とは言えない」と言い訳しながら、四十年前と同じ道を歩むのか。
俺は、紙パックを握りしめた。
「先生。止める方法は、ありますか」
「“技術的には”な」
坂東先生は、わざとそこだけ強調した。
「オイルのトレーサビリティを本気でやる。
ツァールの油がどの中継港で混ぜられたか、どこまで薄められても“ツァール由来”として世界に見せる。
その上で、ランドリー国家とランドリー商会に、金融と保険と関税で圧力をかける」
それはつまり──。
「世界中の燃料代が上がります。うちの国も含めて」
「そうじゃ。痛みなしに終わる戦争などない」
先生は、淡々と言った。
「問題は『その痛みを、誰が説明して引き受けるのか』じゃよ。
君たち若い官僚が、いま逃げるなら、歴史はまた同じ本を増刷することになる」
◆
その夜。
起源省の会議室で、俺は高城大臣と、数人の幹部官僚の前に立っていた。
スクリーンには、一本の新しいシステム概要図。
タイトルは、こうだ。
『オリジン・トレーサー拡張案:ランドリー経由オイルの可視化および制限措置について』
資料の一枚目には、大きく赤字で但し書きを入れた。
──本案は、国内外に重大な負担と政治的リスクを伴います。
しかし、「起点のみ制裁」の現行方針では、〈ツァール連邦〉の戦争遂行能力を決定的に削ぐことはできません。
書きながら、指が震えた文章だ。
でも、書かなければならなかった。
高城大臣が、俺を見る。
「湊くん。質問はひとつだけよ」
「はい」
「これをやらなかった場合、私たちは歴史に、なんと評価されると思う?」
俺は、昼間に見た古い写真を思い出した。
複葉機に空から刻まれた、市街地の傷痕。
誰も決断しなかったまま滅びた、小国の名前。
「……『わかっていて、やらなかった』と、書かれると思います」
「そうね」
大臣は、薄く笑った。
「じゃあ、やるしかないじゃない」
その笑顔は、政治家のそれというより、
現場のエンジニアが「バグの原因を見つけてしまった」ときの顔に近かった。
──世界はまだ、戦車を出していない。
──ドローンだけが、静かに空を漂っている。
でも、四十年前と違うのはひとつだけある。
オイルの一滴一滴には、原産コードが埋め込まれている。
その起源を、俺たちは知っている。
知らないふりをするのを、やめることができる。
あとは、やるか、やらないかだ。
俺は、深く息を吸い込んだ。
ここから先は、もう「技術的には」という逃げ道はない。
トレースできない戦争を終わらせるための物語が、ようやく第一話を迎えようとしていた。
──オリジン・トレーサー計画、起動。
(続く)
第2話:ランドリー商会側の視点(中継港ビジネスの論理)
第3話:バルト沿岸エストリアの現場視点(ドローンに削られる国)




