第1話 悪逆令嬢、名前を覚える①
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イザベラと謎の右手との間に、奇妙な協力関係が結ばれた。
これから、破滅の回避に向けて努力をしていくことになる。
そのはずなのだが――。
(もはや、恐れるものは何もありませんわ!)
この時点で、イザベラはすべてが解決したような気分になっていた。
実際には、何一つ解決していないのだけれど。
楽天的――というよりは、軽率な思考をしているのだ。
「ところで、貴方のことは何と呼べば?」
『私に名前はありません』
「それは不便ですわね」
『貴女が付けていただいて構いませんよ?』
「そう言われると難しいですわね」
イザベラは腕を組んで考え始める。
『何でもいいですよ? こだわりはないので』
「そうですわね……。では、右手だからミギーで」
『駄目です』
「何でもよかったのではありませんの!?」
『右手のミギーはよそに有名なのがいるのです。ボクも寄生している感じになっているので、色々とアウトです』
「よく分かりませんが、分かりましたわ。では『カーミギー』というのはいかがでしょう? カーネギー関係の何かが右手に乗り移ったわけですから」
『それでいきましょう』
「では、今後は『かーくん』と呼ばせていただきますわ」
『まぁ、うん。多分大丈夫です』
こうして、謎の右手には『カーミギー』という名前がついた。
その命名に、イザベラは満足げな笑みを浮かべる。
「さて、それでは話を進めますわよ! まず、メイドからの好感度は急上昇したとみて間違いありませんわね」
間違いである。
間違いだらけなのだが、悪逆令嬢は気づかない。
歪んだ自己肯定感が、自己認識をおかしくしているのだ。
「この調子で、使用人たちとの関係を改善しますわ! ですから、いい感じの方法を考えてくださいまし」
『任せてください。では、誰と友好関係を築きたいと思っているのですか?』
「ですから、使用人ですわ」
『使用人の誰とです?』
「それは……」
イザベラは言いよどんだ。
傲慢不遜な悪逆令嬢にしては、珍しい沈黙だった。
その様子で、カーミギーは大体の事情を察した。
『もしかして、名前を思い出せませんか?』
「そんなことは……ありませんわ」
『本当ですか?』
「名前なんて、最初から憶えていませんわ! 最初から憶えていないのですから、思い出せないのではないのです!」
『なんという暴論!?』
「それに、使用人は使用人ですわ! 名前なんて、覚える必要があるとは思えませんわ!」
『このおバカ!』
「あべしっ!?」
イザベラの頬に、鉄拳制裁が加えられる。
彼女は頬を撫でながら、涙目で抗議する。
「殴りましたわね! 二度も!」
『貴女のことを殴った手は、もっと痛いんですよ!』
「手も私のものですわ!」
『そんなことよりも、注意をされたらどうするんでしたっけ?』
「……ありがとうございます、ですわ!」
イザベラはヤケ気味に言った。
それでも、約束を守るあたり、少しだけ進歩している。
『よろしい。さて、カスベラ』
「誰がカスベラですか!?」
『失礼、活舌が悪いもので』
「舌とかありませんわよね!?」
『それでは、靴ベラ?』
「物になっていますわ!?」
『気にしないでください。貴女の名前なんてどうでもいいですから』
「なんという侮辱をするんですの!?」
イザベラは憤慨した。
だが、カーミギーの狙いはそこにあった。
『そう、それです。名前というのは、人にとって大切なものなのです。実際、貴女はイザベラという名前を馬鹿にされて怒りましたよね? では、貴女の名前を私が覚えていなかったとしたら、どう思います?』
「ぶっ殺して差し上げますわ」
即答である。
これぞ悪逆令嬢のなせる業である。
『ええ、そうです。軽んじられているように感じますよね? 逆に言えば、名前を覚えられているということは、それだけの価値を相手に認めているということになります。ですから、名前を覚えられているだけで、人々は嬉しくなってしまうものなのです』
「つまり、尊重されていると感じるわけですわね」
『その通り! カーネギーはこのことを原則の一つ『名前を覚える(2-3)』として掲げています。しかし、発想の根幹は貴女が言った通り『重要感を持たせる』にあると考えていいでしょう。素晴らしいですね!』
「私にかかれば造作もないことですわ!」
『その造作もない発想を貴女は出来ていなかったのです』
「はしごを外されましたわ!?」
『ですが今、貴女は名前を覚えることの重要性を知りました。さぁ、覚えるのです。覚えて覚えて覚えまくるのです!』
「分かりましたわ!」
こうして、イザベラは使用人たちの名前を覚えることになった。
だが、すぐに一つの問題に直面する。
「ところで、かーくん」
『何でしょう?』
「使用人の名前って、どうやって覚えればいいと思いますの? やってきた使用人にイチイチ名前を聞くのは、なんとなく気まずいのですが」
『それはそうでしょうね。では、全ての使用人を把握している人に協力してもらうことにしましょう』
「となると――執事長ですわね」




