第2話 エピローグ2
×××
暗殺未遂事件の日の夜。
リオンは執務室で仕事をしていた。
部屋の中には、ゲスマンの家から押収した書類が山積みになっている。
明日以降、会計の専門知識を持つ者を集めて、本格的な調査を行うことになっている。
その為に、それ以外の書類仕事を済ませておく必要があるのだ。
書類に目を通していると、部屋のドアがノックされた。
「入れ」
入室の許可を出すと、部屋にザイムスが入ってきた。
それを見て、王子は書類から目を離した。
「王子、お呼びでしょうか」
「ああ、よく来てくれた。イザベラの言っていた活版印刷についての意見を聞きたい。あれについてどう思う?」
「同じ文書を大量に作る装置ですか。詳細は分かりませんが、実用化できれば、世界に大きな影響を与えることは間違いないでしょう。誰もが簡単に情報を得ることが出来るようになります。これは、世界を変え得る技術かと思います」
「本人はそれに気づいていると思うか?」
「気づいていないと考える方が難しいでしょうね」
ザイムスはそう答えた。
その難しいほうを素でやってしまえるのが、イザベラなのだが。
それに二人が気づく気配はない。
「一度ノクスレイン領に使者を送る必要があるだろう。活版印刷というものが、どの程度のものなのかを確認する必要がある。場合によっては、俺の権限で国有事業にすることも考えるべきだ」
「畏まりました。すぐに手配いたします」
「うむ。それと、ゲスマンの不正調査のための人員はそろったのか?」
「つつがなく」
「分かった。では、下がってよい」
リオンはそう言って、再度書類に視線を落とした。
だが、ザイムスは部屋を出ようとしなかった。
「ところで、王子。確認させていただきたいことがあるのですが」
「下がってよい、と言ったはずだが」
「一つだけお聞かせください」
「断る」
リオンは分かっていた。
これから、ザイムスは重要な質問をしてくる。
それはこのルミナリオン王国の今後に大きく影響を与えうるものだ。
同時に、リオンの秘密に関わる非常に答えづらいものでもあった。
「今日の事件について、調査がまとまりつつあります。ゲスマンの不正の証拠がたくさん出てきました」
「うむ」
「王子に対する殺害未遂もありますから、二度と外に出ることは出来ないでしょう」
「妥当な判断だ」
「あのダンジョンの中でイザベラ嬢を守りながら戦われた王子は、ご立派でした」
これは誉め言葉のように聞こえる。
だが、これは核心を問うための前段でしかない。
この言葉の中には言外の意図があるのだ。
「何が言いたい?」
「王子は『覚醒』なされたのですよね?」
その言外の意図というのが、これだ。
覚醒をしていないのであれば、ダンジョン内で戦い抜くことは出来なかったはずだ。
そもそも、イザベラの【黒霧】の影響で錯乱していただろう。
覚醒は誰が見ても明らかだった。
だが――。
「……していないが」
リオンは頑なに覚醒の事実を認めようとしなかった。
「嘘です。覚醒したのでなければ、あれ程の量の魔物を倒すことは出来ません。体力も保有魔力も格段に上がっています」
「気のせいだ」
真っ赤になった顔を背けながら、リオンは否定した。
それには、プライバシーに関わるのっぴきならない理由があるのだ。
×××
数時間前――。
ゲスマンのダンジョンで、リオンは戦っていた。
どこからともなく沸いてくるゴブリンたちを、次々と剣で薙ぎ払っていく。
イザベラは魔力を使い果たし、気を失ってしまっている。
他の者たちも、既にゴブリンに敗れてしまっている。
つまり、自分以外に戦える人間はいなくなったというわけだ。
(全く、絶望的な状況だな)
ゴブリンは無限に湧き出てくるように見える。
どれだけ強かろうと、物量には敵わない。
人間である以上、体力には限界がある。
それが尽きたら、ここで命を落とすことになるだろう。
それに、このダンジョンには【黒霧】が漂っている。
イザベラが倒れてからも、その効果は続くものらしい。
この効果で錯乱してしまえば、ゴブリンに対して抵抗できなくなってしまう。
まさに絶体絶命。
(まったく、イザベラめ。余計なことを――)
そう思いつつも、王子は少しだけ楽しくなっていた。
先ほどのイザベラとの会話。
教養も何もない、ただの下らない言い合い。
あのような言い合いは、これまでザイムスとしかしたことがなかった。
王子という立場は、孤独なものだ。
だが――。
(イザベラ・ド・ノクスレイン。面白い女だ)
イザベラとだけは、友人になれるのではないかと思っていた。
それほどまでに、イザベラに対して心を許しつつあった。
もっとも、それはここから脱出できたらの話だ。
体力と気力が尽きるまで戦い抜くつもりだったのだが――。
(ん?)
リオンは違和感を持った。
これまで、倒したゴブリンの数は三十を超えている。
通常であれば、既に体力と気力が尽きていてもおかしくない状況だ。
だが、体力と気力が全く減る気配がないのだ。
それどころか、身体の奥底から力が湧いてくる感覚があった。
イザベラの暗黒魔法の効果もまったく受け付けていない。
「まさか、これは――」
覚醒。
王族は固有スキルを持っている。
それが【神聖】だ。
神聖魔法の能力を身にまとい、あらゆる能力が強化される。
その能力を使いこなすことが出来て、王族は初めて一人前と認められることになる。
この時、王子はその高みに至った。
至ったのだが――。
「認められるか、こんなもの!」
ゴブリンを次々と切り伏せながら、リオンは複雑な感情に戸惑っていた。
この固有スキルは、時が来たら勝手に覚醒するものではない。
覚醒させるためには、ある条件を満たすことが必要となるものなのだ。
その条件というのが『恋愛感情』を持つこと。
そして、この場にいる異性はイザベラだけ。
つまり――。
×××
「王子はイザベラ様に惚れてしまわれたのですね」
執務室で、ザイムスは容赦なく言った。
あのダンジョンの中、奮闘するイザベラの姿にリオンの恋心はトドメを刺されていた。
あれほど「イザベラを好きになることはない」と公言していたにもかかわらず。
つい、うっかりと、極限状態の中で惚れてしまったのだ。
「だから申し上げたのです。『面白い女』という評価をしたら、その後惚れることになると」
「だから、違うと言っているだろう!」
「極限状態で結ばれた男女は長続きしませんよ?」
「結ばれていないが!?」
「それと、イザベラ様には婚約者がいらっしゃいます」
「それは知っている」
「残念でしたね。しかし、王子はそれを知ったうえでイザベラ様に好意を持たれたということですね? だとすると、略奪愛を考えていらっしゃるのですか?」
「そんなわけがないだろう!」
「王族の権力をもってすれば、不可能ではないかと」
「絶対にやめろ! 少しでもそんなことをやる気配があれば、お前を殺すからな!」
「それは怖い。でも、私を殺すためには、覚醒は必要ですな。ふほほほほっ! 覚醒していないはずの王子に私が倒せますかな?」
「この――」
リオンは顔をさらに赤くした。
覚醒をしてしまった自覚はある。
その原因にも遺憾ながら心当たり――というか、確信がある。
だが、この事実をどう扱えばいいのか分からなかった。
「今後、そのようなふざけたことを言うようであれば、お前はクビだ」
「それはそれで面白いかもしれませんね」
「出ていけ!」
リオンがそう言うと、ザイムスはニヤニヤしながら部屋を出て行った。
残されたリオンは、大きなため息をつく。
生まれて初めての恋。
それは、自覚した瞬間に失恋となっていた。
しかも、それはザイムスに筒抜けになっていて――。
「どうすればいいのだ、これは」
こうして、リオンは人知れず――いや、割とたくさんの人に気づかれたまま。
初めての恋愛感情をひた隠すこととなった。




