第1話 エピローグ1
×××
イザベラが目を覚ますと、そこはベッドの上だった。
自宅のものほどではないが、柔らかく温かい。
ただ、身体が妙に重く、心身ともに疲れ切っている感覚があった。
(疲れが全く取れていませんわ。寝不足ですわね)
そんなことを考えながら、イザベラは目を開ける。
そして――。
「知らない天井ですわ」
そう呟いた。
そもそも、自宅のベッドには天蓋がついている。
天井が見える時点で、ここは自宅ではないということになる。
(何が起きましたの?)
寝ぼけ眼のまま、イザベラは状況を把握しようとした。
すると、リリアナがイザベラの顔を覗き込んできた。
「リリアナ?」
「はい。よかった、目を覚ましてくれた……」
リリアナは泣きそうな顔をしていた。
見れば、その両手でイザベラの手を握っている。
「ここは……」
「王城の医務室です」
リリアナは端的に答えた。
それを聞いたイザベラは、自身の置かれた状況を思い出した。
イザベラはダンジョンの最奥に転移させられてしまった。
そこで、リオンと合流した後、暗殺者の一味に対峙することとなった。
更に、現れたゲスマンに人質にされ、その状況を何とか抜け出した。
そして、なんやかんやでゴブリンの集団に襲われたのだが――。
「私、生きていますの?」
「はい」
「王子も無事ですの?」
「はい」
どうやら、命を落とさずに済んだらしい。
リオンも無事だという。
「イザベラ様だけ、中々目を覚まさなくて……。本当によかったです」
「そうですの。ところで、ずっと手を握ってくれていましたの?」
「はい。私にはそれくらいしか出来ませんから」
「そうですの」
イザベラはリリアナに感謝した。
だが、その直後にある事実に気が付いた。
イザベラの暗黒魔力は、神聖魔力によって打ち消される。
その回復には、体力を要するわけで――。
(私が目を覚まさなかった原因って、リリアナに手を握られていたからなのでは?)
そう考えたが、言葉にはしなかった。
流石のイザベラも、そこは空気を読んだ。
「それにしても、あの状況から生還できるとは。運がよかったですわ」
「いいえ、イザベラ様のおかげです」
「私の?」
「はい」
リリアナは肯定した。
「今回の事件、首謀者はゲスマンという貴族である可能性が高いと宰相補佐さんが仰っていました。ですから、イザベラ様が消えた後、すぐにゲスマンの家に向かったのです。ですが、追い返されそうになりました」
「証拠がなければ、何も出来ませんわね」
「はい。ですが、丁度私たちが到着した後に、証拠が現れたのです」
「なんですの?」
「ゲスマンの屋敷から、暗黒魔法の魔力が漏れ出ていたのです。それで、強制監査という名目でゲスマンの屋敷を調べ、敷地内にダンジョンの入口があるのを発見しました」
「……それはよかったですわ」
「後は、緊急事態ということで、手続きなしで宰相補佐さんと私がダンジョン内に入り、魔物を討伐しました。イザベラ様はそれを狙われたのですよね?」
実際のところ、魔法を使ったタイミングではそこまで考えていなかった。
リオンに対する適当な言い訳として考えたりはしたが――。
(まさか実現するとは思いませんでしたわ)
だが、リリアナは尊敬のまなざしをイザベラに向けている。
それに耐えることが出来なかったイザベラは――。
「……そうですわね! まさしく、その通りですわ!」
乗っておくことにした。
「さすがです、イザベラ様!」
「まぁ、私にかかればこんなものですわ。それにしても、よく間に合いましたわね」
「実は、それほど絶望的な状況ではなかったのです」
「そうなんですの?」
状況は絶望的なものだったはずだ。
イザベラの記憶では、戦い続けていたのはリオンのみ。
それ以外は、全員ゴブリンにやられてしまっていたはずなのだが――。
「私たちが到着した際、ダンジョンではリオン王子が戦い続けていました」
「王子が? 本当ですの?」
「はい」
ということは、王族のスキルが使われたのだろう。
使用者の運動能力・魔力量を格段に上昇させるスキル。
だとしたら、イザベラが手を尽くす必要はなかったのだろうか。
いや、そもそも、それなら強制転移も逆行前の暗殺未遂も防げたはずだ。
(よく分からないことだらけですわ)
だが、イザベラは小さなことは気にしない。
こうして、無事に生きている。
そして、破滅もしていない。
このことが重要なのだ。
「なんだかよく分かりませんが、これで万事解決ですわね」
×××
少しすると、部屋にリオンが入ってきた。
急いできたのか、少し息が切れている。
「イザベラ。大丈夫なのか?」
「ええ、このとおり元気ですわ。王子もご無事なようで何よりですわ」
イザベラはリオンに微笑みかけた。
すると、彼は顔を横にそむけた。
「あら、どうされました」
「別に何でもない」
「本当に大丈夫ですの? 無理をされていませんか?」
「していない」
リオンの顔は真っ赤になっていた。
それに気づいたイザベラは、嫌な想像をしてしまった。
黒霧のせいで、何らかの後遺症が残ってしまったのではないか。
だとしたら――。
(その責任を取らされるかもしれませんわ! 破滅がまたやってきますわ!)
そう考えたら、大人しくベッドの上にいるなど出来なかった。
イザベラは上体を起こすと、ずずいとリオンに近づく。
そして、右手で彼の頬に触れた。
すると、彼はさらに顔を赤くしてイザベラから離れた。
「俺は大丈夫だ! 何の問題もない!」
「でも――」
「問題ない! そんなことよりも、お前には何らかの褒賞を用意する! 欲しいものがあったら言うがよい! 権利でも金でも、ある程度は考えてやろう!」
「あら、お気遣いありがとうございますわ」
言われたものの、なにも思いつかなかった。
権力を持ったところで、それを使うのは面倒くさい。
金にもそれほど興味がわかない。
我儘令嬢は、お金で買えないものが欲しいのだ。
だから――。
己の欲望に身を任せることにした。
「王立図書館に無制限で立ち入ることを許可していただきたいですわ。それに、一人になれる読書室も欲しいですわ」
「……そんなものでいいのか?」
「出来ることなら、リリアナの分もお願いしたいですわ」
「分かった。手配しよう」
図書館のロマンス小説には、過激な描写のあるものもあるという。
そういうものを読むときは、誰にも邪魔されず、自由でなければならないのだ。
独りで静かで豊かで。
その読書体験が、今後の救いになるのだ。
「ところで、何故そんなものを欲するのだ?」
「それは……」
ちょっぴり過激なロマンス小説をこっそりと読んでみたい。
そんなことを言えるはずがなかった。
だが、イザベラは誤魔化すことにかけては百戦錬磨。
適当な言葉が口からペラペラと出てきた。
「私には夢がありますの」
それは、最近ふと思いついた夢だ。
「私が小説を書いて、アレクセイが挿絵を描くのです。そして、リリアナが編集を行う。そういう本を作りたいと思います。ですが、私の野望はこれだけでは終わりませんの」
「どういうことだ?」
「実は、そうして、作り上げた小説を多くの人に読んでもらいたいと思うようになりましたわ。そして、実は領内で『活版印刷』という技術が生まれつつあることが分かりましたの。これは、同じ文書を大量に生産する技術ですわ。これを使えば、小説を多くの人に贈ることが出来ますわ。私はそういう商売をしてみたいと考えております」
「それは……凄いな」
王子は感嘆しているようだった。
適当に言ったが、受け入れてもらえたらしい。
それに――。
(今の、いいですわね)
適当に言ったのだが、それは素敵なことのように思えた。
皆で仲良く本を作る。ついでに、技術を世界に伝える。
それを実現してみたくなった。
もっとも――この発言については、後々後悔することになるのだが。




