第16話 悪逆令嬢、託す
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再度訪れたピンチに、イザベラは悲鳴を上げた。
同時に、ゴブリンたちが一斉に襲い掛かってきた。
絶体絶命かと思われたが――。
リオンはイザベラの前に出て、寄ってくるゴブリンを切り伏せた。
その光景に、イザベラは目を見開く。
「王子、もしかして戦えますの!?」
「見て分からないか?」
「出来るのなら、最初からやってくださいまし!」
「助けてもらっている身で文句を言うな!」
どこからともなく、大量のゴブリンが沸いてくる。
イザベラたちに接近するたびに、リオンがそれを切り伏せた。
だが、ゴブリンの集団に怯む気配はなかった。
彼らは死を恐れない。
獲物をねじ伏せるまで、止まることはない。
だからこそ、人々はゴブリンを恐れるのだ。
王子は次々と襲い来るゴブリンを凌いでいるが、いつかは限界が来るだろう。
押し寄せるゴブリンの数は膨大で、一人でさばききれる量ではない。
こうしているうちに、ゲスマンの兵士の一人が倒れた。
鎧の上から、棍棒で袋叩きになっている。
ジョージも戦ってはいるが、苦戦している。
元々健康状態も良くないようだから、長くはもたないだろう。
ゲスマンは隅で小さくなっていたが、ゴブリンに囲まれていた。
「イザベラ、何か策はないのか?」
「へ? 私ですの!?」
「そうだ」
策は――ないこともなかった。
だが、その策はあまりにリスクが大きい。
下手をすれば、即座に全滅しかねないものだ。
「失敗しても怒らないでくださいまし!」
「失敗したら死ぬから怒れないだろう!」
「あら、それもそうですわね」
イザベラは両手を胸の前で合わせた。
そして――。
「【黒霧】」
呪文を詠唱すると、彼女の身体から黒い粒子が発せられた。
それは霧のように空間を満たしていき――一瞬で視界を覆った。
「何をしている! これでは、戦えないではないか!」
「これは錯乱させる魔法なのですわ!」
「錯乱?」
「魔物たちを錯乱させることで、助けが来るまでこの場を凌ぐんですのよ!」
「そうか。それはいい作戦だ!」
「ですが、一つ問題が……」
「何だ?」
「この魔法、普通に人間にも効きますの」
「人間にも?」
「当然、王子も錯乱することになりますわ」
「なんだと!?」
「ですが、ご安心ください! 王子がどのような無様を晒そうと、私はそれを口外したりしませんわ!」
イザベラは堂々と宣言した。
問題はそこではないのに――。
「このアホが!」
「まぁ、レディーに向かってなんてことを言うんですの!?」
「アホはレディーに含めない!」
「アホではありませんわ! これには、しっかりとした理由があるんですのよ!」
「本当だろうな!?」
「えっと……」
「やはり無策ではないか!」
「無策ではありませんわ! これから考え――おっと失礼」
「今、これから考えると言いかけなかったか!?」
「そんなことはありませんわ」
王子から目をそらしつつ、イザベラは考える。
錯乱魔法を使ってしまったことの追加の大義名分が必要だ。
暗黒魔法の有効な使い道――そう考えたとたん、リリアナの顔が思い浮かんだ。
「これですわ!」
「なんだ?」
「これは、救援を呼んでいるのですわ! ここがどこなのかは知りませんが、王城から然程離れていない場所ということです。ですから、私が全力で暗黒魔法を使えば『暗黒魔法絶対殺すガール』が気づいてくれるはずですわ」
暗黒魔法絶対殺すガール――即ち、リリアナに頼るのだ。
彼女は暗黒魔法が関わってくると、思い切りのいい判断をする。
しかも、暗黒魔法の探知能力もピカイチだ。
きっと、このダンジョンにザイムスを連れてきてくれるだろう。
「確かに、それはいい計画だ」
「後は、どちらが正気を保ち続けることが出来るかの問題ですわ。ゴブリンと人間の勝負ですわ!」
「だが、ゴブリンは大して何も考えずに襲ってきているのではないか? 錯乱したところで、危険度は変わらないのでは?」
「……しまりましたわ!」
「やはりアホで正解だったではないか!」
「こんなはずでは……」
イザベラの予定では、イザベラ以外全員が錯乱するはずだった。
その中で、王子を連れて比較的安全な場所を探そうと思っていたのだ。
ついでに、錯乱した王子の姿をしっかりと観察しておこうとも思っていた。
この期に及んで、まだ余裕がったのだが――。
「完全に計算違いでしたわ!」
その余裕はなくなってしまっていた。
「お前、既に錯乱しているのではないか?」
「いいえ、私の錯乱はこの程度ではありませんわ!」
「得意げに言うな!」
ゴブリンの数はどんどん増えていった。
状況は悪くなっている――そのはずだった。
だが、ゴブリンたちの猛攻は一時的にストップした。
これまでイザベラたちを狙っていたゴブリンたちは、互いを攻撃し始めた。
「効いていますわ! 私の魔法、しっかりと効いていますわ!」
「そのようだな」
「これなら、何とかなりそうですわね。王子も、安心して錯乱していただいて構いませんわよ」
「誰が錯乱などするか!」
「遠慮をすることはありませんわ」
「お前、呼び出した理由を根に持っていないか!?」
「気のせいですわ」
「生きて帰れたら、お前も国家反逆罪に問うことにしよう」
「申し訳ありません! 調子に乗りました! どうか処刑だけは勘弁をしてくださいまし! この通りですわ!」
「いや、冗談だが」
「冗談と言いつつ、実は?」
「冗談だ! というか、何故そこだけ本気で嫌がるんだ!?」
そう言って、王子は笑った。
気が付けば、二人は忌憚なしに会話をしていた。
このままなら、生きて外に出ることが出来そうだ。
そう考えたのだが――。
「……あれ?」
イザベラの身体から力が抜けた。
その感覚には覚えがあった。
リリアナの神聖魔法を受けた時と同じだ。
(これ、魔力切れですわ)
黒霧は、大量の魔力を消費する魔法だ。
膨大な魔力保有量を持つイザベラでも、長時間の維持は難しい。
しかも、今回はダンジョンの外に状況を知らせる為、全力で使っている。
だから、これほどまでに早く限界が訪れたのだ。
「イザベラ、どうした!?」
「申し訳ありませんが、そのうちこの魔法を使えなくなります」
「何だと!?」
「私の魔力はもうカラカラですわ。今は体力を魔力に変換して何とか持たせていますが、そう長くはもちませんわ」
「分かった! 出来るだけ長く耐えてくれ」
「了解しましたわ」
イザベラは身体の芯まで絞って、魔力をひねり出した。
彼女に出来ることは、時間稼ぎだけだ。
ゴブリンを錯乱させ続け、同士討ちを続けさせる。
(そう言えば、王子は錯乱しませんわね)
通常であれば、リオンも少なからず錯乱するはずだった。
だが、彼に異常は見られない。
少し気になったが、その原因を考える余裕はなかった。
イザベラの視界が徐々に黒く染まっていく。
身体から力が抜け、その場にくずおれてしまった。
「イザベラ!」
呼びかけるリオンの声。
だが、それに応えることは出来ない。
魔力も体力も底をつき、身体を動かせなくなってしまった。
(もう、駄目ですわ……)
イザベラは目を閉じた。
そして、意識を手放した。
残るは、リオン王子のみ。
イザベラの運命は今、彼の手に委ねられた。




