第2話 悪逆令嬢、憑りつかれる
×××
イザベラがアホな企みを計画してから、ほどなくして――。
部屋に控えめなノックオンが響いた。
続いて、そっと開かれる扉。
「失礼します」
小さな声と共に、メイドが一歩足を踏み入れる。
いつものイザベラは、ドアの音で目を覚ましてしまうと機嫌が悪くなる。
メイドの声によってもたらされる最高の目覚め以外は受け付けないのだ。
だから、メイドは息をひそめるようにドアを開ける。
そして、細心の注意を払いながらイザベラを起こすようにしている。
そんなメイドにとって、目に飛び込んできた光景は衝撃的なものだった。
なんと、あのイザベラが窓際で朝日を浴びているのだ。
メイドに起こされる前に。
「も、申し訳ありません!」
メイドは全力で頭を下げ、謝罪をした。
その態度に、イザベラは動揺する。
何か優しい言葉をかけて驚かせるつもりだったのだ。
それなのに、ただ窓際にいただけで、全力で謝罪をされてしまった。
「な、何ですの!? 一体、何を謝られているんですの!?」
「イザベラ様の起床に間に合わず、ご自身で起床をさせてしまいました! これは、職務怠慢に他なりません!」
「……ええと、つまり、私が自分で起きると、貴女の罪になるということですの?」
「はい! メイドとしての責務を果たせなかったこと、深く反省しております!」
「反省の方向性が斜め上ですわね!? そもそも私が起きているのですから、仕事をする必要がなくなっただけですわ。職務怠慢であるはずがありませんわ」
メイドは目を白黒させながら後ずさり、尻もちをついた。
その瞳は、化物でも見たかのように見開かれていた。
「一体、どうしましたの? なにか、おかしなことでも申しました?」
「いえ、そんなことはありません」
震えながら謝罪するメイド。
そんな彼女を見ていて、ようやく気付いた。
逆行前の彼女は、ほんの些細なことで使用人を罵倒していた。
解雇をちらつかせながら口汚く罵り、いびり倒していた。
悪逆令嬢と呼ばれるにふさわしい所業である。
だから、今回もそうなると思われていたのだろう。
(私、とんでもない性格をしていましたわね)
イザベラは過去の自分を思い出す。
そのあまりの滅茶苦茶ぶりを思い出すだけで、恥ずかしくなってしまう。
そして、これからはそんなことをしないよう深く反省した。
「とにかく、着替えをお願いしますわ」
「は、はい。畏まりました」
メイドは取り繕うように答えた。
ぎこちなく立ち上がり、震える手で衣装を用意し始める。
そして――。
この直後、事件は起きる。
×××
メイドは手際よくイザベラの着替えを進めていた。
ただ、恐怖と動揺の中での作業には、どうしてもミスが出る。
彼女は作業の途中で、震える足をもつれさせて転びそうになってしまった。
何とか踏ん張り、転ぶのは避けることが出来たのだが――。
その途中でイザベラの身体に軽くぶつかってしまった。
それは、普通なら気にも留めないような些細な出来事。
だが――。
悪逆令嬢イザベラは違った。
数秒前の反省が嘘のように、悪逆令嬢としての本能が燃え上がる。
安全圏に戻ったことで、傲慢な性格が不死鳥のごとく蘇ってしまった。
そして、当然のようにメイドを罵ろうとしたのだが――。
「この――あべしっ!?」
罵倒の第一声が口をついて出る寸前、彼女の頬に衝撃が走った。
そのあり得ない行動に、イザベラは目を白黒させた。
彼女の顔を叩いたのは、メイドではなかった。
メイドは、顔を青くして震えている。
果たして――。
イザベラの頬を叩いたのは『彼女自身の右腕』だった。
勿論、そんなことをしようだなんて考えてもいない。
右腕が意思に反し、勝手に動いたのだ。
「なんですの!? 私の右手に何が起きているんですの!?」
その瞬間、頭の中に声が響いた。
『今、貴女の心に直接語り掛けています』
その声の発信源は、自らの右手だった。
そこに宿った何かが、イザベラの脳に直接話しかけているのだ。
「ちょっと、どういうことですの!?」
「あの、どういうことと仰いますと……」
イザベラの言葉に、メイドが反応した。
部屋にいるのは、イザベラとメイドの二人だけなのだから当然だ。
だが、イザベラにはそれを気遣う余裕はなかった。
「あの――」
「メイド! ちょっと待っていてくださいまし!」
そう言われて、メイドは動きを止める。
この家では主人の命令は絶対だ。
待てと言われれば待つしかない。
例え、その主人が錯乱していたとしても。
「それで、貴方は何者ですの?」
「私は――」
「メイド、貴女ではありませんわ! いいから黙っていてくださいまし!」
「は、はい」
メイドは口をつぐみ、恐怖に震えた。
そして、錯乱したとしか思えないお嬢様をただ見ているしかなかった。
そんな彼女のことを視界に入れることもなく、イザベラは話を続ける。
『ボクが何なのかは、ボク自身にも分かりません。ただ、貴女の右手に宿っている存在だということだけは分かります』
「右手に宿るって」
『それよりも、貴女! 今、何をしようとしました?』
「何って……」
メイドに対して罵詈雑言の嵐をぶつけようとしていた。
だが、それを素直に認める悪逆令嬢ではない。
「……苦言を呈そうかと」
『固い言い方をしても駄目ですよ! 貴女、ブチギレそうになっていましたよね? ちょっと身体が当たったくらいで』
「私にはその権利があるのですわ! なぜなら、私は侯爵家の娘、イザ――」
『貴女の身分などどうでもいいのです』
「どうでもいい!? 公爵家ですのよ! しかも、ツインドリルつきですのよ!」
『……ツインドリルって、何ですか?』
「この髪型に決まっているでしょう!」
『決まっていません! それに、ドリルは高貴さに関係ないでしょう!?』
「ドリルの高貴さが分からないとは……さては、素人ですわね」
『玄人がいるなら連れてこい!』
「私ですわ!」
『話にならない!? それよりも、貴女はつい先ほど『人を動かす』を読みましたよね?』
「ええ、読破しましたわ!」
イザベラは胸を張って答えた。
全く身についていないにも関わらず、この態度。
流石の図々しさである。
『それで、どうして怒ろうとするんです? それとも、間違って『人を怒らす』でも読みましたか?』
「そ、そんなことはありませんわ」
『では、三歩歩くと全てを忘れるのですか?』
「ちゃんと、覚えていますわ!」
『では、理解力皆無のアホなのですね』
「失礼ですわね!?」
『このままだと、処刑コース一直線ですよ!』
「それは……確かにそうかもしれませんわね」
イザベラは声の調子を落としながら答えた。
流石の悪逆令嬢も、遠慮のない正論には耳を傾けざるを得ない。
『ですが、ご安心ください。貴女の状況は大雑把に理解しています』
「大雑把にですの?」
『詳細については、後で教えてもらうとして――このボクが、貴女を見事破滅の未来から救って差し上げましょう』
「貴方が? でも、どうやって……」
『貴女が何かやらかしそうになったら、ボクが鉄拳制裁で止めて差し上げます』
「その鉄拳、私の手ですわよね!?」
自らの右手にツッコミを入れるイザベラ。
そんな主人の奇行をメイドは恐怖に震えながら見ていた。
『そんなことよりも、いつまでこうしているおつもりですか? メイドさんが驚いてしまっていますよ? 今こそ『カーネギー式逆行悪役令嬢の振る舞い』を実践する時です!』
「わ、分かりましたわ」
イザベラは返事をしながら、メイドを見た。
それはさながら、獲物を見つめる肉食動物のようで――。
(さぁ、やってやりますわ!)
哀れなるメイドは、主人の謎の気迫に震えあがることになった。




