第11話 悪逆令嬢、噂される④
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ノクスレイン家を出た後――。
リリアナはマクベス家に顔を出していた。
イザベラには内緒だったが、今日の出来事はマクベス家に報告することになっていた。
マクベス家としては、第三者から見たノクスレイン家の内情を知りたかったのだ。
「お疲れさまでした、リリアナ。嫌な役を押し付けてしまい、申し訳ありません」
客間に通されると、まずカーチャが謝罪した。
確かに、リリアナがしていることは、スパイ活動に近い。
だが、リリアナには気負いも罪悪感もなかった。
何故なら――。
「とんでもありません。楽しい時間を過ごさせてもらいました」
リリアナの中で、イザベラは人格者ということになっている。
これから話すのは、その前提に基づいた話。
そして、イザベラのアレクセイに対する好意の大きさである。
いわば、布教活動のようなものであり、イザベラに一切の不利益はない。
「お屋敷の様子はどうでした?」
「とでもいい雰囲気でした。使用人の方とも仲良くされているようです」
「そうですか。無理強いされている様子はありませんでしたか?」
「ありません。もしも無理強いされているようであれば、見れば分かります」
これまで、リリアナは沢山の人々と話をして来た。
だから、それなりに人間観察には長けているのだ。
もっとも、肝心なイザベラに対してはポンコツになってしまっているようだが。
「そうですか。ありがとうございます」
「……え? 終わりですか?」
「はい。貴女を見ていれば、嘘を言っていないことは分かります。私はもう、聞きたいことは聞けました。それに、この家には彼女のことをもっと知りたがっている者が他にいますから」
そう言って、カーチャはアレクセイに視線を向けた。
そして、夫を連れて応接間を出て行った。
それでリリアナは色々と察した。
(マクベス家としては、既に認めているようですね)
今回のスパイ依頼も、念のためだったのだろう。
あるいは、アレクセイの為だったのかもしれない。
「リリアナ。イザベラ様は、あの……」
煮え切らない言葉だった。
リリアナは少しだけニヤけながら、アレクセイに告げる。
「あの方は、アレクセイ様のことをとても好いておられましたよ?」
「本当?」
「はい。私がイザベラ様よりもアレクセイ様のことをよく知っているかもしれないと言ったら、暗黒魔法が暴走しそうになっていました」
「そうなの!?」
アレクセイは、驚きながらも嬉しそうな表情を見せていた。
頬がわずかに赤く染まり、口元が緩んでいる。
「ただ、その件については演技でしたが」
「どういうこと?」
「私に神聖魔法を使わせるために、暗黒魔法が暴走したふりをされたのです。それに気づかず、私は全力で魔法を使ってしまいました。それで、神聖魔法の実力が上がっていることに気づけたのです」
誤解である。
あの時のイザベラは、本当に暗黒魔法を暴走させていた。
それほどまでに、あの悪逆令嬢の嫉妬心は凄まじいものだったのだ。
「私はあの方の『腹心の友』となることが出来て、幸せです」
「それはよかった」
アレクセイは嬉しそうに言った。
そして、その直後に注意するような口調になり――。
「でも、イザベラ様が僕の婚約者であることに変わりはないから」
こんなことを言った。
リリアナはその言葉に違和感を持った。
イザベラはアレクセイの婚約者であり、そのことに疑いはない。
そして、リリアナはイザベラを褒めただけだ。
だけど、自分が婚約者であると敢えて言った。
つまり――。
(私がイザベラ様と仲良くしていることに嫉妬している?)
リリアナの頬が更に緩む。
「それにしても、あの方は素晴らしい方ですね」
「そうだね。ぼくはイザベラ様のおかげで絵を描くことを許された。それは生きる上で、とても大切なことだったんだ。多分、人生で一番大切だった。それを捨てずに済んだ」
「私も、生きる希望をもらいました」
「あの人は、そういう人なんだよ」
誤解である。
保身のためである。
だが、二人は気づかない。
芸術家タイプの二人は、思い込みが激しかった。
そして、彼女たちはその妄想をさらに膨らませることになる。
×××
ところ変わって、ルミナリオン王城の一室。
一人の少年が、大量の書類に囲まれていた。
奇麗な金髪に碧玉の瞳。あまり外に出ないのか、肌も白い。
年齢はイザベラと同じはずだったが、そうとは思えないほどの威厳があった。
着ている衣装には、王族にのみ許された鷲の紋章が飾られている。
彼こそがリオン・ド・ルミナリオン。
王国の第一王子であり、逆行前に暗殺されかけた人物だ。
彼はうんざりした表情を浮かべながら、机に両肘をついていた。
眉間にはしわが寄り、目元には疲労の色が浮かんでいた。
視線だけは机の上の書類に向けながら、側に控える男性に声をかける。
「なぁ、この事務量はどうにかならないか?」
「無理ですな」
愉快そうに答えたのは、宰相補佐ザイムスだ。
壮年の身でありながら、筋骨隆々の肉体は衰えを知らない。
リオンの護衛を兼ねており、彼とは長年の付き合いとなっている。
そのため、気軽な会話をすることが出来るのだ。
「こういうのは、下のものが何とかしておいてくれるものだろう」
「信用できないから、重要なものは全て自分まで報告を上げるよう命じられたのは王子ですぞ」
「それはそうだが」
リオンは大きく腕を伸ばす。
実際、彼が目を通すことで不正の目を見つけたものもある。
だから止められないのだ。
否、止めることは出来るが、不正を放置することが許せなかった。
それは、王子としての義務であると同時に、彼自身の性分だった。
不正を見逃すくらいなら、疲労で倒れる方がマシ。
それが彼の矜持なのだが――疲れるものは疲れるのだ。
「何かいい息抜きはないか?」
「ございません」
ザイムスにきっぱりと言われ、リオンは書類から目を離した。
両手を上げて座りながら体を伸ばしながら、何かいい娯楽はないかと考えた。
彼は、ストレスを解消できるような愉快なイベントを求めていた。
そして、一つの心当たりにたどり着いた。
「そう言えば、ノクスレイン家のイザベラはどうなった?」
「イザベラ・ド・ノクスレイン様ですか?」
「そうだ」
リオンは、一度だけイザベラに会ったことがあった。
あれ程礼儀を知らずに好き勝手振舞う人間を、彼は見たことがなかった。
リオンにとって、イザベラは突如として現れた珍種だった。
もっとも、それでイザベラに好意を持つというわけではない。
むしろ、嫌悪感を抱いていた。
だからこそ、久しぶりに見てみたくなったのだ。
あの珍種がどうなったのか。
どれほど酷い人間になっているのかを見てみたかった。
「あれはどうしている? 久々に会ってみたいのだが」
「何のためにでしょう?」
「面白いではないか。あそこまで勘違いした女は見ているだけで面白い。いずれ没落するだろうから、その時のことを想像しながら話をするのは気分がいいぞ」
「王子も性格がカスになられましたな」
「カスと言ったか!?」
「そう聞こえましたか?」
「……とにかく、イザベラを呼べ」
「畏まりました。しかし、彼女に関しては気になる情報が入っています」
「何だ? 事件でも起こしたか?」
「いえ。改心したと」
「何だと?」
リオンはうろたえた。
イザベラに会いたかったのは、自分以下のクズを見たかったためだ。
改心した悪逆令嬢など見ても、面白くとも何ともない。
「それは、確かなのか?」
「信頼できる筋からの情報です」
「そうか。つまらん。ならば不要だ」
こうして、イザベラの呼び出しは回避された。
――かのように思われた。




