第10話 悪逆令嬢、リリアナに本気を出させる
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イザベラによる褒め殺しは一定の効果を上げていた。
リリアナには、以前のような卑屈さはなくなっていた。
目を伏せる頻度が減り、声のトーンも明るくなってきた。
誉め言葉により、自己重要感が高くなったのだ。
だが、神聖魔法を十全に使えるようになるためには不十分だった。
試してみたところ、出力は多少上がっているものの、それ以上の進歩はなかった。
暗殺を阻止するためには、いささか不安な状態である。
だが、イザベラはそれ以上しつこく改善を求めなかった。
リリアナに自信を取り戻させるのは、今日でなくても構わない。
なにせ、今日は友達が初めて訪ねて来てくれた記念日なのだ。
今日だけは、楽しい思い出だけで満たしたかった。
二人は読書に熱中した。
時に語り合い、時に笑い合い――。
名実ともに友人となっていた。
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楽しい時間はすぐに過ぎるもので――。
気が付けば、夕方。リリアナが教会に戻る時間となっていた。
名残惜しいが、外泊の手続きをしていない以上、リリアナは帰らなければならない。
二人は、リリアナを送り届けるための馬車が到着しているのを待っていた。
「リリアナ、また来てくださいまし」
イザベラはリリアナの手を取りながら言った。
その手のぬくもりが、友情の証のように思えた。
「よろしいのですか?」
「勿論ですわ。私達は友達になったのですから。いいですこと? 私たちは友達――いえ、それを通り越した『腹心の友』ですわ」
「は、はい」
「ですから! いつか、暗黒魔法で困ったことになったら、私のことを助けてくださいまし」
「ええ、勿論です。友人であり、恩人の婚約者ですから」
リリアナは朗らかに言った。
イザベラに向けられたその笑顔は、とても暖かなものだった。
だが、その直後――脳内にあの『もやもや』が突然再来した。
「ところで、リリアナ」
「はい、なんでしょう?」
「アレクセイとはどのような関係なのです?」
「アレクセイ様とですか?」
「ええ。同じ家で育ったのですわよね?」
「ええ、そうですね。小さなころに拾っていただき、使用人として働かせていただいていました。もしかしたら、あの方のことはイザベラ様よりも私の方がよく知っているかもしれませんね。よろしければ――」
――アレクセイのことを後日話したい。
リリアナはそう言おうとしていた。
だが、狂った嫉妬心を持つイザベラは言葉を最後まで聞かなかった。
アレクセイのことに関して、自分よりも知っている女がいる。
その事実に、イザベラは我を忘れていた。
「そうでしたわね」
イザベラの身体から暗黒魔法の魔力が漏れ出す。
そして、無意識のうちにそれがリリアナを襲おうとしていた。
はた迷惑な話である。
「イザベラ様! 魔力が漏れています!」
「わ、私にも止められませんわ! 何とかしてくださいまし!」
「何とかと言われましても――」
焦りながらも、リリアナは気づいた。
暗黒魔法の暴走を止められるのは、神聖魔法だけ。
つまり、イザベラを助けられるのはリリアナだけということになる。
ここで何もできなければ、イザベラを苦しませることになってしまう。
だから――。
「行きますよ、イザベラ様!」
「は、早めにお願いしますわ!」
「死なないでくださいね!」
「……へ?」
「【浄化】!」
リリアナは全力で神聖魔法を使用した。
イザベラの身体が光に包まれ、昼間のように辺りが白く照らされた。
その魔力量たるや、歴代聖女の比ではない。
魔力量だけは潤沢にあるイザベラを完封できるレベルだ。
これは彼女の計画のためには喜ぶべきことなのだが――。
「ふにゃぁぁぁぁぁ!?」
彼女の身体から出ていた暗黒魔法は完全に書き消えていた。
それどころか、体内の魔力も根こそぎ消し去られてしまった。
イザベラはその場に立ち尽くしていた。
魔力を失った魔法使いは、とたんに弱体化するのだ。
「イザベラ様、大丈夫ですか!?」
「大丈夫……ですわ」
残った体力で、かろうじて会話をするイザベラ。
声はかすれ、膝は震え、ツインドリルもしんなりしていた。
今の彼女は、わずかに残った気力だけで立っている。
そんな彼女に対し、リリアナは嬉しそうに話しかける。
「出来ました! 大規模な神聖魔法を使うことが出来ました!」
「そうですわね。よかったですわ」
「まさか、今のを試すために、わざと暗黒魔法が暴走したふりを?」
「そ、そうですわね」
疑う余地なく嘘である。
だが、イザベラは引き返せない。
ここで『本当に暴走した』と言ったら、干乾びるまで浄化されかねない。
そういう凄みが、ブレーキの壊れたリリアナにはあった。
「それが貴女の本来の実力ですわ。貴女の持つ能力は強力なものです。むしろ、強力過ぎると言っていいほどです。ですから、それを使う場合は、しっかりと制御して相手を必要以上に傷つけないようにする配慮が必要ですわ」
「はい」
リリアナは嬉しそうに答えた。
だが、これは自己保身のためのセリフである。
「くれぐれも! くれぐれも、よろしくお願いいたしますわ!」
自分に対してその力を使うことになった時は、是非手加減をしてもらいたい。
その気持ちが存分に籠った言葉だった。
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リリアナが教会に戻った後、イザベラはベッドの上に倒れ込んだ。
魔力を回復させるためには、体力を消費することになる。
そのため、今のイザベラは疲労困憊状態になっているのだ。
だが、苦労をした甲斐はあった。
紆余曲折はあったものの、リリアナと友達になることが出来た。
彼女の神聖魔法も問題なく使えるようになってもらえた。
「これで、準備はととのいましたわね」
王子の暗殺阻止の段取りが出来た。
後は、襲撃に備えるよう王子に伝えるだけだ。
問題は、その王子が素直に耳を傾けてくれるかということだ。
イザベラが言えたことではないが――あの王子は、性格に難がある。
忠告を素直に受け入れるようなタイプではない。
「かーくん、何かアドバイスはありますの?」
イザベラが尋ねる。
だが、返事はなかった。
「かーくん、どうしましたの?」
不思議に思いながら、右腕を見る。
いつもならすぐ帰ってくる皮肉交じりの声が、どこにもない。
右腕から感じる不思議な気配もなくなっていた。
その日、イザベラは何度もカーミギーに声をかけた。
だが、カーミギーが返事をすることはなかった。




