第8話 悪逆令嬢、実感する
×××
イザベラはご満悦だった。
リリアナと友達になることが出来た。
心の奥には、柔らかく温かい感情が満ちていた。
もっとも、やることはこれまでと変わらない。
ただ、黙々と読書を続けるだけだ。
それが二人の友情の形だった。
同じ空間で物語に没入する――それだけで十分だった。
十分だったのだけれど――カーミギーが声をかけてきた。
『(ところで、イザベラ。貴女は目先のことに捕らわれて、目的を忘れる傾向にあるのでないですか?)』
「(なんのことですの?)」
『(リリアナをここに招いた理由は何でした?)』
「(理由?)」
イザベラは首をかしげる。
今日は友達を家に招く日だ。
そのことをとても楽しみにしていた。
だが――。
『(破滅の回避はどうなったのですか?)』
「(……忘れていませんわ)」
『(忘れていましたね? 完全に忘れていましたね?)』
「(そ、そんなことはありませんわ。これからやろうとしていたところですわ)」
『(はいはい)』
「(ですが、読書の邪魔をするというのは私の信念に反するものですわ。よって、リリアナが読み終わるのを待っているところですね)」
『(はいはい)』
「(信じていませんわね!?)」
破滅回避について忘れていたかどうかはともかく、声をかけにくいのは事実だ。
最初は遠慮がちだったリリアナも、すっかり物語の世界に入り込んでいた。
そのせいで、中々声をかけるタイミングを掴むことが出来なかった。
(どう声をかけたものか……)
イザベラが悩んでいると、そこに救世主が現れた。
誰かがドアをノックする音が響いたのだ。
「お嬢様。おやつをお持ちしました」
「おお、エミリー! 心の従者よ!」
「何ですか、それ?」
「気にしないでくださいまし。心の声が漏れただけですわ。それよりも、今日のおやつは何ですの?」
「今日はマカロンですよ。一口サイズで、手を汚さずに食べられます」
「あら、お気遣いに感謝しますわ」
エミリーは紅茶とマカロンのセッティングを始める。
その手際は見事なもので、すぐに完成してしまいそうだった。
「リリアナ。おやつの時間ですわ。軽食をいただきながら、少しお話でもしません?」
「よろしいのですか?」
「勿論ですわ。私達は『親友』ですから」
ちゃっかり『友達』から『親友』にランクアップさせているイザベラである。
二人は本を脇に置くと、テーブルに着いた。
その時には、エミリーは紅茶とマカロンのセットを終えていた。
待遇改善以降、彼女は余計な緊張をすることなく仕事に取り組めるようになった。
その結果、彼女が本来もつ実力を存分に発揮できるようになっていた。
「本日の紅茶は『サン・マーロン』です。すっきりとした味わいで、イザベラ様が好まれるかと思います」
「あら、ありがとう、エミリー」
「いえ。それでは、イザベラ様、リリアナ様、失礼いたします」
エミリーが部屋を出た後、二人はお菓子を食べ始めた。
そして、小説について語り合った。
好きな小説や好きなシーン。
未だ完結していない小説のこの後の展開予想。
二人は、このお茶会を心行くまで楽しんでいた。
大切な計画を忘れ去ってしまうほどに。
×××
イザベラはリリアナとの会話を楽しんでいだ。
同好の士との語らいは、これまで生きてきた中で最も楽しいものだった。
紅茶の香りとマカロンの味が、二人をよりリラックスさせる。
この瞬間が永遠に続けばいい――。
そうイザベラが考え始めていた頃、カーミギーが声をかけてきた。
『(イザベラ。そろそろ、本題に入った方がいいのでは?)』
「(そうですわね)」
イザベラは意を決する。
リリアナを呼んだのは、ただ友情を育むためではない。
それ以上の重要な理由があるのだ。
「今日ここにいらしていただいたのは、他でもありませんわ。貴女に大切なお話がありますの」
「大切なお話ですか」
「ええ、とても大切なことですわ」
イザベラの言葉を受け、身構えるリリアナ。
その表情には、緊張と期待が混ざっていた。
そんな彼女に対し、イザベラは勇気を出して告げる。
「実は、私が書いた小説を読んでいただきたいのですわ」
「え?」
リリアナは驚いていた。
そして、カーミギーはそれ以上に驚いていた。
『(え? あれ? 本題って、破滅回避のことでは?)』
「(これを詰まらないと言われたら、私は破滅しますわ)」
『(そういうことじゃないでしょう!?)』
仕方がないのである。
小説を書いてみたら、誰かに読んでもらいたくなる。
それがどれほど拙いものであっても、人の感想を聞きたくなってしまうのだ。
イザベラは小説家の沼に片足を突っ込みつつあった。
「イザベラ様が書かれたのですか?」
「ええ」
「本当に、私が読んでもよろしいのですか?」
「勿論ですわ」
リリアナは受け取った原稿を読み始めた。
ページを捲る音が、静かな部屋の中で響く。
イザベラは何とも言えない気持ちになっていた。
自分が創り出したものを鑑賞される恥ずかしさ。
呆れられないかと言う不安。
もしかしたら気に入ってくれるかもしれないという期待。
そんな感情に振り回されながら、リリアナが読み終えるのを待った。
そして十分が経過し――。
リリアナが最後のページを読み終えた。
彼女は丁寧に原稿をイザベラに返した。
「あの、いかがでした?」
「……大変面白かったと思います」
リリアナは目をそらしながら言った。
こりゃあ、嘘だ。
「お世辞はいりませんわ! 自分で読んでいて『これ、面白くないのでは?』と思っていましたわ!」
「そんなことはありません。それに、初めて書かれたのですよね?」
「……そうですわ」
「始めたことに意義があるのです。光るものがあると思いました」
「そ、そうですの? それはありがたい言葉ですわ」
イザベラは控えめに言葉を返した。
だが、内心では相当喜んでいた。
狂喜乱舞していたと言っていい程だ。
『(はい、これです)』
「(なんですの?)」
『(貴女は今、とても嬉しくなっていますね?)』
「(当然ですわ)」
『(作品が評価されたことで、自らの重要度が増したように感じたはずです。リリアナへの好感度が上がったのではないですか?)』
「(爆上がりですわ!)」
『(これが相手を『褒める』ことの効果です。実感できてよかったですね)』
イザベラは、承認欲求が満たされていくのを感じていた。
だが、それを素直に認める悪逆令嬢ではない。
「(計画通りですわ)」
『(何がです!?)』
「(リリアナに心を開かせるためには、こちらから心を開いていかなければなりませんわ。リリアナに褒めさせることで、私は自らの心を開いたのですわ!)」
『(都合のいい解釈!?)』
「(とにかく! これでリリアナとの関係改善は完了ですわ! ついでに、友達も出来て万々歳ですわ!)」
友達が出来たことについては、素直に喜ぶイザベラだった。




