第3話 悪逆令嬢、聖女に出会う
×××
「イザベラ様?」
アレクセイに声を掛けられ、イザベラは意識を取り戻した。
どうやら、あまりの恐怖に意識が飛んでいたらしい。
(落ち着くのですわ。ここにいるのは、あの悪魔のリリアナではありませんわ)
イザベラはそう自分に言い聞かせ、何とか平静を装うことに成功した。
心の中では、相当ビビッているが。
そんなイザベラをよそに、アレクセイはリリアナに声をかけた。
「リリアナ、久しぶり」
「アレクセイ様。お久しぶりです」
リリアナは嬉しそうに言葉を返す。
「今日は、リリアナに紹介したい人がいるのです」
「私にですか?」
「こちら、ぼくの婚約者のイザベラ・ド・ノクスレイン様です」
「イザ……」
愛想のよかったリリアナの表情が固まった。
そのリアクションだけで、どれだけの悪評が教会内で共有されているのかが分かる。
だが、イザベラはそれに気づかない振りをして、挨拶をした。
いつも通り、スカートをちょこんと摘まみ、膝を曲げる。
「イザベラ・ド・ノクスレインです。貴女とは是非仲良くさせていただきたいと思っていましたわ」
「う……」
リリアナは答えに窮していた。
固まったままの笑顔がぴくぴくと引きつっている。
「リリアナ・セインツベリーです」
苦々しい笑みを浮かべながら、リリアナは返答した。
そして、イザベラに対して気まずそうに質問をする。
「あの、失礼ですが、一つお聞かせ願いたいのです」
「あら、なんですの?」
「イザベラ様は暗黒魔法を使われるのですよね?」
「ええ、そうですわね」
「それでは、申し訳ありませんが、貴女とは仲良くすることは出来ません」
「な……!?」
その回答に、イザベラは驚いた。
アレクセイを通しているため、それなりの扱いをされると思っていたのだ。
そのために、アレクセイとの婚約関係を維持しておいたのだ。
もっとも、今となってはそれも建前でしかなかったが。
問題はリリアナの態度である。
(これは、余りにも失礼なのでは!?)
イザベラの中に生まれた怒りの火種。
それをカーミギーが察知する。
『(怒ってはいけませんよ、イザベラ)』
「(分かっていますわ!)」
怒り狂いそうになる自分を抑えながら、イザベラは無理矢理笑顔を作る。
「失礼ですが、理由を伺っても?」
「暗黒魔法の使い手の方と仲良くするというのは、神に仕える者としてあまりよくないとされていますし……」
国教となっているアイン教では、暗黒魔法は邪悪なものということになっている。
そのため、かつては暗黒魔法の使い手を差別するような風潮もあった。
だが、今はそれも少なくなっている。
ごく一部を除いては。
そのごく一部と言うのが、教会関係者だ。
彼らの中には、暗黒魔法について否定的な考えを持つ者が多くいる。
元々、リリアナはまじめな性格をしており、周囲の人間の話をよく聞く。
そのため、教会に入った彼女は、暗黒魔法についての悪評を真に受けていた。
そして、普通の教会関係者以上に忌避感を持つようになっていた。
「リリアナさん、貴女の不見識を――」
『ちょっと待った!』
「ぶべっ!? ありがとうございます!」
ドン引きするリリアナ。
暗黒魔法の素養がある令嬢が、自分で自分の顔を引っ叩いたのだ。
しかも、誰に対するものなのか分からない、謝辞を述べた。
どう見ても変人である。
「や、やっぱり暗黒魔法の使い手はおかしな方ばかり……」
リリアナは小声で呟きながら、怯えたようにイザベラを見ていた。
まるで肉食獣に追い詰められた小動物のようだった。
イザベラは無理矢理笑顔を作り――。
「ちょっと、失礼しますわ!」
部屋の端に行った。
「かーくん! 何をするんですの!?」
『交渉に入る前に滅茶苦茶になりそうだったので、止めてみました』
「それは……、助かりましたわ」
殊勝にもイザベラはお礼を言った。
もう少しで、全てが台無しになるところだった。
「でも、今ので第一印象は最悪になったのでは?」
『元々最悪では?』
「あら、そうでしたわね――って、そんなわけありませんわ!」
『いえ、普通に最悪でしたよ』
「……かもしれませんが、それにプラスして変人だと思われたじゃありませんの!」
『それは元々では?』
「あら、そうですわね――って、そんなわけありませんわ!」
『本気で言っていますか?』
「う……」
『それよりも――』
カーミギーは落ち着いた声で告げる。
『否定をしたところで、何もいいことはありませんよ! 最初にもあったでしょう。『盗人にも五分の理を認める(1-1)』と』
「そうでしたわね。私としたことが、ついカッとなってやらかしそうになってしまいましたわ」
『とりあえず、怒らずに話を聞いてあげてください。それに『間違いを指摘するときは、遠回し(4-2)』です』
「……分かりましたわ」
イザベラは深呼吸をしてから、リリアナのところへ戻った。
出来る限り朗らかな表情を作りながら、イザベラは語り掛ける。
「確かに、黒魔法の使い手は精神的に不安定であることが多いという説は聞いたことがありますわ。その結果、魔法を暴走させてしまい周囲に迷惑をかけるケースもあったとか」
実際のところ、そういったケースはほとんどない。
最新の研究でも、相関関係がないことは分かっている。
だが、ここでは話を合わせておくことにした。
ここで対立してしまえば、話が先に進まなくなってしまう。
なによりも、家庭内処世術により、彼女は卓越した『言い訳術』を身に着けている。
相手を怒らせないようにする技術は、非常に卓越したものがあるのだ。
逃げ口上が上手な姫君なのである。
「だからこそ、私は貴女に仲良くしていただきたいのですわ」
「だからこそ?」
「私が暴走するようなことがあったら、貴女に神聖魔法で止めていただきたいのです。私に暗黒魔法の素養があると分かってからというもの、私は不安に押しつぶされそうになっていました。そのため、内外で様々な無礼を働いてしまっていましたわ。ですが、いつまでもそのままではいけないと思い至ったのです。私は態度を改め、自分を見つめなおしました。それでも、暗黒魔法に対する恐怖は薄れることはありませんでした。そんな時、貴女のことをアレクセイから聞いたのです」
イザベラは弱弱しい雰囲気を作りながら言った。
弱者を装うことで、彼女への否定に疑問を持たせようとしたのだ。
遠まわしに間違いを指摘しようとしたのだが――。
勿論、全て嘘である。
リリアナのことは、逆行前の時点で知っていた。
それに、神聖魔法で止めてほしいとも思っていない。
聖なるグーパンはこりごりなのだ。
イザベラはリリアナを見る。
「希望が現れたような気がしましたわ。もしも私が暗黒魔法を暴走させてしまったとしても、貴女がいればうまく対処していただけるのではないかと思いました。私としては、この魔法に頼る気など一切ありません。むしろ、この魔法を憎いとさえ思っていますわ」
「そうだったのですか」
リリアナの表情に、わずかながら柔らかさが出てきた。
だが、まだ納得は出来ていないようだ。
「リリアナさん。貴女にお願いがあるのです」
「なんでしょう?」
「神聖魔法には、暗黒魔法を封印する力があると聞いたことがありますわ。ですから、貴女の神聖魔法で私の暗黒魔法を封印していただくことは出来ないでしょうか?」
「すみません。今の私には出来ません」
「そうですか……」
イザベラは残念そうに言った。
だが、今のリリアナが封印をすることが出来ないことは、分かっていた。
逆行前において彼女が全力で魔法を使えるようになったのは、暗殺事件の時だった。
現場から去ろうとしたイザベラの魔法を封印し、ボコボコにしたのだ。
もっとも、今はまだそれでいい。
とりあえず、今回の目的はリリアナと敵対することを回避すること。
その目論見は、ある程度うまくいったようだった。
「申し訳ありませんでした。イザベラ様のお気持ちは、よく分かりました。貴女も、暗黒魔法に苦しめられていたのですね」
「ええ、その通りですわ」
重ねて嘘である。
「ただ、申し訳ありませんが、今の私ではイザベラ様の力になることが出来ません」
「それは仕方がありませんわ。ですが、お友達として仲良くしていただければ光栄ですわ」
かくして、二人の対立は避けられた。
もっとも、仲良くなったとは言い難い。
リリアナの心証は然程変わっていないのだが――。
イザベラはそのことに気づいていなかった。




