第1話 悪逆令嬢、誤解を解く
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運命の日まで、あと5日――。
マクベス家訪問の翌朝、イザベラは大変なことに気づいた。
婚約が維持されることになっても、それを知る方法がないのだ。
そもそも婚約破棄をするというのが異常事態なのだ。
何もなければ、何の連絡も来ないのは当然だ。
だとしても――。
(婚約がどうなったのか、気になって仕方がありませんわ)
それは純然たる乙女心によるものであった。
窓から外を見ながら、朝からずっとやきもきしていた。
すると――。
マクベス家からの連絡が入った。
連絡というよりは、実物と言った方がいいのかもしれない。
ノクスレイン家にアレクセイがやって来たのだ。
その姿を見た瞬間、イザベラは駆けだした。
一目散にアレクセイのところへ向かう――のだが、直前で停止した。
アレクセイから見えないところで息を整える。
そして、散歩でもしているかのように悠々と付近を歩いた。
「あら、アレクセイ。どうしたのですか?」
まるで今気づいたかのように振舞うイザベラ。
こうして、これと言って意味のないプライドが守られた。
アレクセイはイザベラの姿を見ると、嬉しそうに頬を緩める。
まるで帰ってきた主人を出迎える子犬のように可愛らしかった。
「お伝えしたいことがあって参りました。絵画についてですが、両親から許しが出ました」
「それはよかったですわね」
イザベラは思わず笑顔になった。
嬉しそうなアレクセイを見ていると、自分も嬉しくなってきた。
「ただ、それには一つ条件がありまして。イザベラ様の許可を得ることが必要ということになっています」
「私の許可ですの? そもそも、私は全面的にアレクセイの趣味には賛成しているんですのよ。昨日もそう申し上げたはずですが」
「はい。ただ、もう一度許可を貰ってくるよう言われてしまいました。僕たちは婚約者ですから、将来的には結婚をすることになります。その結婚相手が、普通の貴族がやらないようなことをしていても構わないのかを確認しなさい、と言われました」
「グッジョブですわ、お義母さま!」
「グッジョブ?」
「失礼。なんでもありませんわ」
そう言いつつも、イザベラの内心はお祭り騒ぎだった。
これはマクベス家が婚約をより前向きに進めたことを意味する。
つまり、婚約破棄を恐れる必要は無くなったということで――。
なにより、アレクセイとの結婚が現実味を帯びてきたということになる。
感極まったイザベラは、アレクセイの手を取る。
「それでは、アレクセイ。改めて言わせていただきますわ。私と結婚したとしても、趣味は続けてください。私は婚約者として、そして、貴方のファン第一号として全面的に手助けをしますわ」
「ありがとうございます」
アレクセイはそうお礼の言葉を告げた。
それからしばらくの間、二人は様々なことを話した。
というよりは、イザベラばかりが喋り続けた。
どんな結婚式にしたいか。
結婚したらペットを飼いたいか。
アレクセイの絵をどうやって世間に広めていくか。
主に、彼女の中で肥大化していく妄想上の結婚生活についてのものだった。
アレクセイは、時折困惑しながらも、笑顔で頷いていた。
イザベラは、生涯で最も幸せな時間を過ごしていた。
×××
イザベラはこれまでにない幸福におぼれていた。
頭の中がふわふわして、暖かな気持ちでいっぱいになっていた。
そうしていると――。
『ところで、何か忘れていませんか?』
カーミギーが声をかけた。
それにより、イザベラの意識が現実に戻ってくる。
「ちょっと失礼しますわ」
イザベラは少し離れた場所まで移動した。
そして、小声で話す。
「何なんですの? 今、とてもいい所だったんですわよ!」
『何かを忘れていませんか? そもそも、アレクセイとの婚約関係を維持したいのは、何故でしたっけ?』
「何故って、私がアレクセイのことを好き――」
そこまで言って、言葉を止める。
『思い出したようですね』
「何恥ずかしいことを言わせようとしているんですの!?」
『思い出してない!?』
「何がです?」
『そもそも、アレクセイとの婚約関係の維持は、別の目的があったでしょう?』
婚約を維持しなければならなかった理由。
それは、アレクセイとの将来のため――ではなかった。
本音部分が忙しすぎて、建前部分を忘れていた。
「リリアナ・セインツベリー!」
『そう、それです』
アレクセイとの婚約を維持しておきたい理由。
それは、リリアナ・セインツベリーを紹介してもらうためだった。
もっとも、恋愛脳になったイザベラはそれをすっかり忘れていたが。
「べ、別にアレクセイに心を奪われたせいで忘れてしまっていたわけではありませんわ」
『はいはい、そうですか。それでは、さっさとリリアナを紹介してもらいましょう』
「そうですわね。早急にリリアナに会う必要がありますわ。つきましては、アレクセイと一緒に教会に行く必要がありますわね。結婚式の下見もついでにしてしまいましょうか」
『気が早いというか、何というか……』
「そう決まれば、早速実行に移すことにしますわ」
イザベラは、アレクセイのところへ戻った。
表情はすっかり切り替わり、今は凛々しさが戻ってきている。
気を抜けばすぐに崩れそうになるが、気合で持ちこたえていた。
「お待たせいたしました」
「いえ、とんでもないです」
「アレクセイ。実は貴方に伝えておきたいことがあるのです」
「何でしょう?」
「実は、私には暗黒魔法の素養があるのです」
「それは知っています」
ノクスレイン家の人間は代々暗黒魔法の素養がある。
そのことは世間に広く知られているため、アレクセイも知っていた。
「実は、私の素質はかなり大きいようでして。魔力量も家族と比べて、格段に高いのです。今は制御できていますが、いつか限界が来るかもしれません。この素質が、とりかえしのつかない被害を出してしまうかもしれない――そう考えると、とても怖いのです」
「そうだったのですか……」
嘘である。
イザベラは暗黒魔法を全く怖がっていない。
彼女にとって暗黒魔法は、外れクジのようなものだ。
実生活で役に立つ日は永遠に来ないであろうもの。
怖がる必要すらないゴミである。
だが、怖がっているふりをするのは必要なことだ。
「それなら、リリアナを紹介します」
「リリアナさんですか?」
そう言いながら、心の中でガッツポーズを決めた。
この展開を期待していたのだ。
「彼女は神聖魔法の使い手です。少し前まで、僕の家で使用人をしていたから、紹介は出来ると思います」
リリアナは、マクベス家で使用人として働いていた。
しかし、ある日神聖魔法の素養があることが分かり、教会に召し上げられたのだ。
基本的に、教会に籍を移した者は外部との接触が許されていない。
だが、リリアナは元の雇い主であるマクベス家とだけは接触を許されていた。
(計画通りですわ!)
ここまではイザベラの思い通りだった。
リリアナと接触する手段は得られたわけで――。
破滅回避へのロードマップフェイズ2。
『聖女候補と仲良くなる』
順調な滑り出しを迎えることになった。




