第5話 悪逆令嬢、恐れおののく
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しばらくして――。
イザベラはアレクセイの両親の下へ向かった。
アレクセイはそれを止めようとした。
だが、思い込みの激しいお嬢様は止まらない。
己の中の衝動に従い、彼の両親の説得に向かったのだ。
「お義父様、お義母様!」
居間のドアを開けるなり、イザベラは声を上げた。
その勢いに、マクベス夫妻は固まっていた。
「今日は、お二人にお話がありますの」
「話、ですか?」
「はい。お二人には是非聞いていただきたいお話ですわ。話というのは、アレクセイの趣味に関してですの」
その言葉で、マクベス夫妻の挙動がおかしくなった。
絵を描く趣味のことがバレたのだと、彼らは察したのだ。
取り繕うように、アレクセイの母親――カーチャが言う。
「イザベラ様。アレクセイの趣味については、止めるよう伝えてあります」
「駄目ですわ!」
詰め寄るイザベラ。
その言葉に、マクベス夫妻は目を白黒させた。
イザベラの反応が予想の真逆のものだったのだから、当然だ。
「……と、おっしゃいますと?」
「私は今日、アレクセイが描いた絵を見せていただきました。素晴らしいものでしたわ。深く感動いたしました。ですから、ぜひ続けていただきたいと考えております」
イザベラは堂々と言った。
対して、マクベス夫妻は気が乗らないようだった。
「しかし、ご存じかとは思いますが、この国において芸術活動というのは庶民が行うものです。貴族が自らの手で行うなど、みっともない事この上ありません。ですから、アレクセイにも止めるよう伝えました」
カーチャはそう説明した。
確かに、芸術活動は貴族がやることではないという風潮はある。
だが、その情勢は変わりつつある。
少数ではあるが、貴族の間にも自ら芸術活動にいそしむ者が出てきているのだ。
(さぁ、論破の時間ですわ!)
イザベラは意気揚々と口を開こうとした。
だが――。
『待った!!』
「ひでぶっ! ありがとうございます!」
例のごとく、カーミギーのツッコミが入った。
マクベス家の面々は、そんなイザベラにドン引きしていた。
「どうされました?」
「少々お待ちください!」
頬を撫でるイザベラ。
そんな彼女に対し、カーミギーが忠告する。
『(誤りを指摘してはいけません(1-1)。誤りを指摘することは、自尊心を傷つけ人間関係を破壊する原因となります)』
「(では、どうすればいいんですの?)」
『(カーネギーは、注意の仕方として『遠回しに注意を与える(4-2)』という原則を掲げています。直接的な批判をするのではなく、ほのめかすような言い方をするのです。そうすることで、反発を最小限に抑えながら注意をすることが出来ます)』
「(でも、それは反発を最小限に抑えるだけなんですわよね?)」
『(そうです。ですから、これまで使ってきた原則――『褒める』などを合わせて使うようにしてみて下さい)』
「(分かりましたわ)」
イザベラは考える。
さりげなく遠回しに注意する方法。
(つまり、芸術活動をしている貴族もいるということを分かってもらえればいいんですわね)
だが、そんな知り合いに心当たりはなかった。
そもそも、悪逆令嬢である彼女にまともな知り合いはいない。
それでも――。
「失礼しました。それでは、お話しさせていただきますわ」
イザベラは自信ありげにマクベス夫妻を見据えた。
実際――彼女には秘策があったのだ。
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「失礼しました。それでは、お話しさせていただきますわ」
イザベラは愛想よく言った。
まるで、奇行なんてなかったかのように自然に振舞う。
そして、マクベス夫妻に向かって告げる。
「私としては、結婚したとしても、この趣味はぜひ続けていただきたいと考えております。仕事以外にもやりたいことを持つことは、とても素敵なことだと思いますわ」
「しかし――」
「アレクセイには教えてあるのですが……実は私、小説を書いておりますの」
「小説を? イザベラ様が?」
その言葉は、マクベス夫妻にとって意外なものだった。
ノクスレイン家は、母親が非常に厳しい人間だったはずだ。
娘が小説を書くことなど認めるはずがない。
「勿論、両親には秘密にしていますわ。このことがバレたら、私は大目玉を食らうことになるでしょう。ですから、絶対に内緒にしてくださいね。くれぐれもよろしくお願いいたしますわ」
「ええ、畏まりました」
「本当にお願いしますわ。知られたら、この身の破滅ですわ」
イザベラは冗談めかして言った。
だが、クレアが知ったら、本当に激怒するだろう。
それを想像しただけで背筋が凍る思いだった。
「さて、話を戻しますわ。私は小説を書くようになってから、様々なことに気づくようになりましたわ。その中の一つが、芸術というのは『ありふれている』ということです」
マクベス夫妻は何も言わない。
イザベラの意図が分からず、ただ耳を傾けていた。
「そもそも、芸術とは何でしょうか? 私は、芸術とは『人が作り出したものを誰かが観賞することで、そこに感動が生まれるもの』だと思っています。音楽や絵画はその代表ですわね。ですが、それだけではありません。その定義で言えば、貴族の生活様式というのも階級文化における創作活動と言うことが出来ると思いますの」
「あ……」
そう声を漏らしたのは、アレクセイだった。
彼は、イザベラの言わんとしていることをいち早く理解していた。
「この家に来て、私は感動いたしました。家具はきれいに磨かれていますし、家具の配置もとても美しいと感じました。手配されたのは、お母様ですか?」
「ええ、そうです」
「どのような家具を置くか、どこに置くか、その手入れはどうするか。相当気を使われたのではないですか?」
「ええ、それはもう……」
「では、この家はお母様が作り上げた芸術作品です。お母様は、素晴らしい芸術家ですわ」
カーチャは驚いたようだった。
このようなことを言われるとは思っていなかったのだろう。
彼女の表情には、戸惑いと、わずかな誇りが混ざっていた。
『(ちゃんと遠回しに指摘したうえで、褒めることも忘れていませんね。いいですよ、この調子です)』
「(ですが、まだ決定打にかける感がありますわ。もう一押ししたいところですわね。いい感じの原則はありませんの?)」
『(でしたら『美しい心情に呼びかける(3-10)』という原則を使ってみてください)』
「(それは、どういうものですの?)」
『(大抵の人間は、公正でいたいと思っているものです)』
「(嘘ですわね)」
『(即座に否定!? まぁ、気持ちは分かります。世の中には、とても公正とは言えないことが沢山ありますから。でも、それは多数派でしょうか? 誰もが自分勝手で、公正さなどどうでもいいと考えているでしょうか?)』
「(考えているに決まっていますわ)」
『(本当にそう思えますか? 貴女の周りの使用人を見ていても?)』
その言葉に、イザベラは反論できなかった。
最近は、使用人のことをよく見るようになっていた。
そして、使用人も彼女に対し、敬意を示してくれるようになっていた。
彼らのことを公正さのかけらもない人間だとは思えない。
だから――。
「(認めますわ。多くの人は、公正でいたいと思っているのかもしれませんわ)」
『(そうですね。貴女を含めて、多数の人は自らにも公正さを求めるものです。ですから、アレクセイの趣味を認めることが『公正』なことだと主張してみましょう。その上で『正しい判断をしてもらえると期待している』と伝えるのです)』
「(了解しましたわ)」
イザベラは、頭の中で説得をするための論理構成を組み立てた。
ちなみに、彼女は無駄に教養がある上に、常日頃から言い訳ばかりしている。
そんな彼女にとって、それは然程難しいことではなかった。
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イザベラは愛想よく語り掛けた。
「お母様は、この内装でマクベス家を表現されています。それと同じように、アレクセイは絵で様々なものを表現しているのだと思いますわ。絵というものは、内面を映し出すものです。このような素晴らしい絵を描けるのは、内面の美しいアレクセイさんだからこそだと思っています。そして、芸術振興は貴族の義務。この才能を生かし、世間にその素晴らしさを伝えることこそが私達の義務と存じますわ」
「義務……」
カーチャが、ぽつりと呟いた。
「そして、アレクセイという才能を育んだのはこのマクベス家、ひいてはご両親です。このような素晴らしく美しい才能を世に出さないのは、あまりに勿体ない。世界の損失と言ってもいいでしょう。ですから、今一度ご再考いただきたいと思いますわ」
そう言って、イザベラは頭を下げた。
深く、丁寧に。
その姿に、マクベス夫妻は驚いていた。
彼女がこのような殊勝な態度を取るのは、極めて異例なことだ。
「しかし、それで世間はマクベス家をどう見るでしょうか?」
「確かに、今は貴族が自らの手で作品を生み出すことをよしとしない方々はいます。しかし、これからは貴族も自ら芸術活動に勤しむ人が増えてくると考えていますわ」
「根拠はあるのですか?」
「勘ですわ」
イザベラは迷いなく断言した。
彼女の中にはある種の確信があった。
アレクセイの絵には、そういう概念を破壊できる魅力がある。
それを疑う余地はない。
「もしもその流れが来ないのであれば、この悪逆令嬢が貴族の皆さんに教えて差し上げますわ。『こんな楽しいことを平民ごときに独占させるだなんてありえない』と」
イザベラは悪戯っぽい表情を浮かべながら言った。
マクベス夫妻は、沈黙した。
そして、少しして――。
「分かりました」
カーチャが返事をした。
「この件については、改めてアレクセイと話をさせていただきます」
「ええ、よろしくお願いいたしますわ」
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マクベス家から戻ったイザベラは、ベッドに倒れこんだ。
ふかふかの羽毛が身体を包み込む。
まどろみの中で、今日の出来事を思い返す。
アレクセイといい感じに話をすることが出来た。
仲良くなることも出来たし、彼の夢を応援することも出来た。
「今日はいい一日でしたわ」
そう言って、イザベラは今日を締めくくろうとした。
だが――。
『イザベラ。何か忘れていませんか?』
カーミギーが呆れたように問いかける。
「何ですの? 今、いい気分になっているところなんですわよ」
『破滅の回避を忘れていませんか?』
「……忘れていませんわ」
忘れていた。
アレクセイとの関係改善により舞い上がってしまっていた。
そのため、肝心のリリアナとの仲介を頼むのを忘れてしまっていたのだ。
「まぁ、今日は関係改善に成功したわけですし、リリアナに関しては後で構いませんわ。だから、あえて今日はそれを頼まなかったのですわ」
『本当ですか?』
「嘘ですわ」
『認めた!?』
「そんなことより――」
『そんなこと!?』
「細かいことは気にしてはいけませんわ。かーくん。これで、婚約破棄を回避することは出来たと思いますの?」
『分かりませんね。ですが、対応はとてもよかったですよ。同情を寄せた上で、アレクセイが描いた絵をほめていましたね。カーネギー式逆行悪役令嬢としては百点満点の対応でした』
「あれは、本当にいい作品だと思っただけですわ」
イザベラはそう注釈を入れた。
アレクセイの絵には、それだけの価値がある。
それだけは間違いないと確信していた。
「とにかく、今日はこれ以上出来ることはありませんわ。さっさと眠ってしまい、果報を待つことにしますわよ」
そう言ってイザベラはベッドの上で目をつぶった。
今日は色々と気を使って、疲れきってしまっていた。
もっとも――眠りにつこうとした理由はそれだけではなかった。
(今なら、アレクセイの夢を見られる気がしますわ)
そんな悪逆令嬢らしからぬ可愛いことを考えていた。




