第4話 悪逆令嬢、同情を寄せる
×××
アレクセイに案内され、イザベラは彼の部屋へと入った。
扉が静かに閉まる音に、少しだけ緊張が増した。
部屋の中は整然としており、掃除も行き届いている。
装飾も控えめで、部屋の主の個性が感じられない。
(アレクセイの唯一の趣味が禁じられてしまっているのですから、こういう部屋になるのも頷けますわね)
部屋の中を見ながら、イザベラは考えた。
そんな彼女に、警戒するようにアレクセイが声をかける。
「イザベラ様。特に面白いものはないと思いますが」
「そうでもありませんわ。大変興味深いですわ」
「そうですか」
「それに、ここに来たのは貴方と二人だけでお話がしたいからですわ」
その言葉を聞き、アレクセイの表情がわずかに強張った。
これまでのイザベラの言動を考えれば、ごく当然の反応である。
「ところで、アレクセイ。貴方には何か趣味はありますの?」
「趣味、ですか?」
「ええ、何でもいいんですのよ」
「……特にありません」
躊躇った声でアレクセイは答えた。
彼は自分が絵を描いていることを隠している。
だから、自分から趣味のことを告白するはずがない。
ここまではイザベラの想定内だ。
「隠さなくてもよろしいんですのよ。貴方が絵を描いていることは、調査済みですの」
「どうして……」
アレクセイは驚きの声を上げた。
現時点では、家族以外誰も知らないはずの情報なのだから当然だ。
「ノクスレイン家の使用人は優秀ですのよ」
イザベラはそう言ってごまかした。
実際は逆行前の愚行によるものなのだが、それは明かせない。
対するアレクセイは、不安そうにしていた。
このことについて、激しく罵られることになると思ったのだろう。
実際、逆行前のイザベラはそんな愚行をしていた。
「私はそのことについて責めるつもりはありませんわ」
「そうなのですか?」
「ええ、勿論ですわ」
イザベラは笑顔をアレクセイに向けた。
そして、ほんのりと顔を赤くしながら――。
「ちなみに、私はロマンス小説が好きなんですの。内緒ですわよ?」
自らの秘密を打ち明けた。
「ついでに告白するなら……実は、自分でも書いたりしていますわ」
「本当ですか!?」
「ええ。このことは、お母様にも秘密にしています。貴方だけに、特別に教えますのよ」
これは昨晩、カーミギーと一緒に考えたセリフだ。
お互いに、芸術方面についての秘密を持っている。
つまりは、共通の秘密を持っていることを告げたのだ。
そのこうかはばつぐんだったらしい。
アレクセイは驚いたようにイザベラを見ていた。
その目には、イザベラに対する興味が伺えた。
「アレクセイも一緒ですわね」
そう言って、イザベラはアレクセイに微笑みかけた。
これぞ『同情を寄せる』姿勢だ。
「やりたいことは、止められないのですわ! そういうわけですので、私としてはアレクセイのやりたいことを止めるつもりはありませんの。むしろ、全面的に応援したいと思っていますわ!」
「応援……?」
「ええ。確かに、芸術というものは『作る』ものではなく『作らせる』ものというのが、貴族の常識ということになっていますわ。でも、そんなものは自ら作品を生み出せない連中のひがみにすぎませんわ!」
「そうでしょうか」
「ええ、この私が言うのですから、間違いありませんわ! 私は貴方の趣味を認めます! このツインドリルに誓って!」
イザベラがそう言うと、アレクセイはあっけにとられた様子を見せた。
だが、すぐに笑みを浮かべた。
そんな朗らかな表情をイザベラは初めて見た。
それを見た瞬間――彼女は不覚を取ったことに気づいた。
その魅力的な笑顔は、彼女の心の奥深くに突き刺さった。
「イザベラ様?」
「な、何ですの!?」
「顔が赤いですが、大丈夫ですか?」
「え、ええ。大丈夫ですわ。何の問題もありません。それよりも、貴方が書いた絵を見せていただけるかしら?」
「は、はい」
アレクセイは、部屋の隅にあった木箱を手に取った。
逆行間にイザベラが破壊した箱だ。
アレクセイは静かに、箱にかけられていた鍵を開けた。
そして、中に隠してあった絵をイザベラの前に置いた。
「では、拝見いたしますわ」
イザベラは誉め言葉を考えながらそう言った。
彼の絵にはあまり期待していなかったのだが――。
この後、彼女はその魅力にぶちのめされることになる。
×××
イザベラは、アレクセイの絵を一枚一枚丁寧に見て行った。
逆行前は、ろくに見ることもなく破り去ってしまった数々。
風景画、人物画、小物のデッサンなど、様々なジャンルのものがあった。
そして――。
全ての絵を見終わってから、大きく息を吐いた。
その瞳には、動揺の色が見られた。
「アレクセイ」
「は、はい」
「私も数々の芸術作品を見てきました。その私が保証しましょう。この絵には価値があります」
昨晩、イザベラはカーミギーと打ち合わせをした。
その結果、無理矢理にでも褒めるべきことを見つけることになっていた。
だが、今回はそういうわけにはいかなかった。
(これ、凄すぎますわ)
イザベラは幼少期から厳しい教育を受けていた。
その中には、芸術への素養もあった。
彼女は数多くの芸術品を見て、知見を高めてきた。
それにより、作品の価値を冷静かつ正確に判断できるようになった。
無駄に教養のあるお嬢様なのである。
そのお嬢様は、アレクセイの絵に圧倒されていた。
独学ゆえに生み出される独特のタッチ。
緻密さと大胆さを兼ね揃えた自由な描写。
幻想的な色使い。
どんな脳をしていれば、これほどの芸術を生み出せるのか。
イザベラには想像も出来なかった。
(逆行前の私は、よくこれを貶すことが出来ましたわね)
この絵の魅力に気づいてしまえば、貶すことは不可能だ。
それほどまでに、彼の絵はイザベラの心を深く掴んでいだ。
「素晴らしいですわ。これは独学で?」
「はい。絵を描いていること自体、誰にも言えませんから」
「そうですの」
アレクセイは、緊張気味にイザベラを見ていた。
そんな彼に対し、イザベラは感嘆を伝える。
「今の時点で、私は貴方が描いた絵に圧倒されました。この私が、圧倒されたのです。専門的な知識を持つ人に師事すれば、どうなるか――。それほどまでに素晴らしい絵だと思いますわ」
「本当ですか?」
「勿論ですわ」
イザベラは即答した。
だが、アレクセイは信じ切れていないようだった。
彼には、自分の作品や技術に対する自信がなかった。
これまで否定され続けてきたのだから、当然だ。
「あら、このイザベラ・ド・ノクスレインの言葉が信じられないのですか?」
「そ、それは……」
「貴方が自分に自信が持てないのであれば、それはそれで構いませんわ。自信を持つためには、それを裏打ちするものが必要です。残念ながら、作品を世に出せていない貴方には、それがありませんでした。ですが、今は違います」
「え?」
「たった今、貴方はイザベラ・ド・ノクスレインという裏打ちを手に入れたのですわ」
イザベラは偉そうに言う。
実際、公爵家令嬢にはそれなりの権威がある。
彼女が尽力すれば、アレクセイの絵を世に広めることも可能だろう。
「でも、両親は僕の絵を見て『みっともない』と言っています」
「それは……」
「僕が絵を発表したら、両親をがっかりさせることになります。ですから、僕はもう絵を描かないことにしているのです」
アレクセイは努めて平静を装っているようだった。
だが、その声は震えており、表情には苦悶の色があった。
それがイザベラには、とても悲痛な姿に思えた。
だから――。
「それは私が許しませんわ!」
「え?」
「貴方が筆を折ることを私は許さないと言っているのです!」
「ですが――」
「すぐに自分自身を信じることは難しいかもしれません。ですが、私を信じてください! 貴方を信じる私を信じるのです! よろしいですわね、アレクセイ・マクベス!」
それはイザベラの本音だった。
この才能をなかったことにするのは、あまりに勿体ない。
破滅や婚約破棄など関係なく、偽りのない気持ちを言葉にした。
そんな激励に対して――。
「ありがとうございます」
アレクセイは涙を流して答えた。
ずっと責められてきた。
みっともないことだと思い込まされてきた。
諦めたくはなかったが、諦めざるを得なかった。
そのはずだった。
でも、たった一人だけ理解者を見つけたのだ。
自分のことを肯定してくれる唯一の人物。
アレクセイの瞳からは、とめどなく涙がこぼれ続けた。
イザベラはそんなアレクセイを強く抱きしめた。
勿論、ここまでしておけば婚約破棄など出来ないだろう、という打算はあった。
だが、それ以上に――。
(アレクセイを抱きしめていますわ! 至福の時ですわ!)
ちゃっかりと、別方面の下心が働いていた。
その柔らかくて幸せな感触を、イザベラはしばらくの間楽しんだ。




