第3話 悪逆令嬢、計画を練る
×××
「というわけですのよ」
『成程。クズですね』
「そんなことは――ないとは言い切れませんわね」
『あると言い切れますよ』
「うるさいですわね!」
反論しつつも、イザベラ自身も『アレはなかった』と思う。
だからこそ、思い出したくもない思い出になってしまっているのだ。
『それよりも、今の話の中で、突破口が見えてきました』
「どうすればいいんですの?」
『相手の趣味を知っているということは、大きな武器になります。そこを攻めていきましょう』
「具体的には、どうするのです?」
『人は誰かに認めてもらいたがっているものです。認められ、共感されることで自己の重要感が増すのです。ですから『あなたの気持ちはもっともだ』と伝え、共感を示してみましょう。そうすれば、相手も心を開いてくれるはずです。カーネギーはこれを『同情を寄せる(3-9)』として原則に含めています』
「具体的にどうすれば?」
『アレクセイは隠れて絵を描いているのですよね? 貴族としては不適切な行為であっても、やらずにはいられない。それほどの情熱を注いでいます。ですから、イザベラも隠れてやっていることを開示すればよいのです。そして『貴方の立場なら、同じことをするだろう』ということを示すのです』
「なんだか、嫌な予感がしてきましたわ」
『というわけで、隠れてやっていることを教えてください』
「やっぱり!?」
イザベラの顔に、嫌な表情がにじみ出る。
そして、幾ばくかの逡巡の後に、ぎこちない声で答える。
「……何もありませんわ」
『はい、嘘ですね』
「何故分かりますの!?」
『ボクは貴女の一部でもあるのです。貴女の記憶を読み取ることくらい、簡単に出来ます』
「そんなことが出来ますの!?」
『ですから、ボクが言う前にイザベラの口から言ってください。さもなくば、ボクが勝手に右手を動かして、屋敷内で盛大に情報公開しますよ』
「分かりましたわ!」
イザベラは顔を真っ赤に染めた。
それは、悪逆令嬢最大の秘密。
誰にも知られたくない彼女の趣味だった。
イザベラは消え入るような声で――。
「実は、小説を書いていますの」
そう告げた。
イザベラは、小説を読むのが好きだった。
窮屈な家の中で、小説の世界だけが彼女に自由を与えてくれた。
小説だけが、世界でただ一つの彼女の味方だった。
だから――。
ある日、自分でも書いてみたいと思ったのだ。
自分の世界を作り上げ、そこで生きる空想をして生きていきたい。
それが彼女にとって最大限の自由だった。
『それでは、それを読ませていただけますか?』
「死んでも嫌ですわ!」
イザベラは拒絶した。
カーミギーに読ませたら、悪意ある批評を浴びせられかねない。
そうなったら、二十四時間体制で悶絶し続けることになる。
実際、逆行前は酷い目にあった。
地下牢に閉じ込められている間、発見された小説を朗読されてしまったのだ。
あんな思いは、二度と御免である。
「それで、他にはなにかありませんの? ただ同情するだけでは足らないように思えますの」
『そうですね。それでは、相手のことを褒めてみましょう』
「褒める?」
『はい。人に褒められるということは、自らの価値を認めてもらえたということです。ですから、人を褒めるというのは対人関係において非常に有効なものなのです。カーネギーが掲げる原則には『心からほめる(2-6)』『まずほめる(4-1)』『わずかなことでもほめる(4-6)』というものがあります」
「内容、かぶり過ぎていません?」
『そうなんですよね。まぁ、それほど重要なことだと考えてください。ちなみに、異国の地にはこんな言葉があります。『やってみせ、言ってきかせて、させてみて、ほめてやらねば人は動かじ(山本五十六)』』
「至れり尽くせりですわね」
『人を動かしたいのであれば、ここまでするべきなのです』
「それに関しては分かりますわ」
何故かイザベラは偉そうに頷いた。
「ここまでされたら、流石の私も指一本程度は動かそうという気になりますわね」
『傲慢!?』
「冗談ですわ」
『本当ですか? まぁ、いいです。話を続けます。今回、ほめることがとても大切だという話をしました。ここで注意するべきことがあります』
「何ですの?」
『ほめる時は、心から褒めるようにしてください。決してお世辞は使わないようにしてください』
「お世辞は駄目ですの?」
『大抵の場合、お世辞を言ってもバレます。そうなれば、関係は悪化することになるでしょう』
「私にできますかしら?」
『そうですね。基本的には、アレクセイの絵をほめることになると思います。ただ、彼の絵が本当に大したものでなかった場合は、他のことをほめるといいですよ。人には、必ずいいところがあります。どこかすら、自分よりも優れた部分があるものです。ですから、そこを見抜いて褒めるのです』
「……そうですわね」
人を褒めるのは、彼女が苦手とする分野だ。
それを上手くできるか、大きな不安があった。
だが――この不安は、杞憂に終わることとなる。
マクベス家では、予想外の展開が彼女を待ち受けているのだ。
×××
運命の日まで、あと6日――。
イザベラはマクベス家を訪ねた。
ノクスレイン家とマクベス家は然程離れていない。
せいぜい馬車で一時間程度の距離なのだが――。
馬車から降り立った時点で、彼女は疲弊していた。
再びアレクセイに会うことが出来るのは嬉しい。
だが、あちらは婚約破棄を告げるつもりでいるのだ。
それだけは、何としても避けなければならない。
失敗したら、破滅が待っている。
期待と緊張と恐怖――ついでに乗り物酔いが彼女を襲っていたのだ。
マクベス家の屋敷に到着すると、マクベス家の使用人により客間に通された。
そこでは、アレクセイとその両親が彼女を待っていた。
猛獣のような筋骨隆々とした男性が、父親のイーゴリ・マクベス。
鋭い目つきの女性が、母親のカーチャ・マクベスだ。
彼らを前に、イザベラは気を引き締める。
今回、彼女は婚約破棄を回避しなければならないのだ。
その為には、全力で頭を働かせる必要がある。
余計なことを考えている暇はない。
ないはずなのだが――。
(素敵すぎますわ!?)
イザベラは久しぶりに見たアレクセイに心を奪われていた。
もう二度と会うことが出来ないと思っていた少年。
その少年が今、目の前にいるのだ。
顔が熱くなり、心拍数が上がってきた。
彼の一挙手一投足の全てが素敵に思える。
一度失ったからこそ、その魅力を十二分に再確認することが出来た。
イザベラの乙女な部分が全力で叫びだそうとしている。
それにより、思考がおぼつかなくなり――。
「あべしっ!?」
考えを放棄しそうになったところで、カーミギーからのツッコミが入った。
『(今は余計なことを考えている場合ではないでしょう)』
「(そうでしたわね)」
イザベラは無理矢理思考を切り替えた。
アレクセイとの関係は既に悪くなりつつある。
その関係を修復することを第一に考えるべきだ。
その為に、昨晩イザベラは『アレクセイ篭絡計画』を立てたのだ。
それが、今実行されようとしている。
「本日は、お招きいただきありがとうございます」
まず、イザベラは笑顔でお礼の言葉を述べた。
その当然の行動に――マクベス家の面々は慄然としていた。
これまでのイザベラは、いかにも不服といった様子でマクベス家に来ていた。
もっとも、それはべた惚れしていることを隠すためのものだったが。
とにかく、マクベス家におけるこれまでのイザベラの態度は最低だった。
突如として豹変した態度に驚くのも無理はない。
そんな彼らの困惑をよそに、イザベラはアレクセイに声をかける。
「お久しぶりですわね、アレクセイ」
「は、はい。お久しぶりです」
「今日は貴方に会うのを楽しみにしていましたわ」
「それは、はい。ありがとうございます」
アレクセイも困惑しているようだった。
そのためか、中々言葉が出てこないようだ。
少しすると、ようやく言葉をひねり出した。
「イザベラ様。最近、ご領地では何かありましたか?」
無難な問いかけだった。
「特に目立ったことはありませんわ。私も領地のために何かをしたいとは思うのですが、経験不足のため、領地経営には未だ関われておりません。ただ、最近になって家の中の使用人の管理を任せていただけるようになりましたわ」
「そうでしたか。それは素晴らしいですね」
「アレクセイの方は、何かありましたの?」
「いえ、こちらも特には……」
アレクセイの声が小さくなる。
(マズいですわね。会話が弾みませんわ)
何せ、相手はこれから婚約破棄を言い渡そうとしているのだ。
気まずさもあるだろうし、タイミングを見計らいもしているのだろう。
それで会話が弾むはずがない。
だが――。
(このまま時間が過ぎれば、婚約破棄を言い渡されてしまいますわ)
ここに来たのは、それを避けるためなのだ。
イザベラは強引にことを進めることにした。
「ところで、アレクセイ。今日は、お願いがございますの」
「お願い、ですか?」
「アレクセイの部屋を見せていただきたいですわ」
「部屋ですか?」
「ええ、是非見てみたいのです」
アレクセイの絵は彼の自室に隠されている。
絵を描いていると指摘したところで、彼は認めないだろう。
だから、最初に証拠を掴もうとしているのだ。
もっとも、それ以外の目的もあるのだが。
「べ、別に変な意味ではありませんわよ。アレクセイの部屋の匂いを堪能したいだなんて、思ったこともありませんわ!」
顔を赤くしながら告げるイザベラ。
自分で掘った墓穴に自ら入り込む醜態を見せてしまった。
焦るイザベラの前で、アレクセイは両親に指示を求めていた。
すると、マクベス夫妻は無言で首を縦に振る。
それを受け、アレクセイは立ち上がる。
その表情には、不安の色が見えた。
「それでは、ご案内します……」




