第7話 悪逆令嬢、改善案を提出する
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夜遅く――。
改善案の提出を命じられたジョバンニは、執務室でその制作を行っていた。
すると、そこにマーサがやってきた。
「今、お時間よろしいでしょうか?」
「構わない」
マーサは正面の椅子に腰かけた。
ジョバンニはペンを置き、マーサに向き合う。
「貴方の考えを伺いたくて参りました」
「考え?」
「イザベラ様の業務改善、本気で実現すると思われますか?」
「どういうことだ?」
「今回のことは、イザベラ様の気まぐれでしかないのではないかと危惧しているのです。大掛かりな改善案を提出したはいいものの、それを奥様が拒絶してしまう可能性があります。そうなった場合、イザベラ様がやる気をなくしてしまうのではないでしょうか」
その声には、懸念が籠っていた。
そんなことになれば、後に残るのはマーサたちが作った改善案だ。
それは『現状に不満があることを表明する証拠』にしかならない。
「仮に気まぐれだったとしても、我々はそれに縋るしかないだろう」
ジョバンニは落ち着いた声で答えた。
「私はこれまで、この家で駄目になった使用人を数多く見てきた。何とかしたいとは思っていたが、何もできなかった。辞めていく使用人の後姿を見て、悔しい思いをするだけだった。これは千載一遇のチャンスなのだ。例えイザベラ様の気まぐれであったとしても、ようやく訪れた機会を無駄にするつもりはない」
そう断言するジョバンニ。
覚悟のこもった言葉を聞き、マーサは静かに肚を決めた。
イザベラの計画に全面的に賛同し、業務改善案を作り上げることにした。
そうなると気になるのが、ジョバンニの案で――。
マーサの視線が机の上の書類に向かった。
「それは、改善案ですか? かなりの量があるようですが」
「そうだな。これまで、提言をしたいと思い書き連ねていたものがあった。だが、奥様のご機嫌を損ねる危険があったため、今の今まで何もできずにいた。それを今、纏めているのだ」
「成程。本気で改善策を作られるようですね」
「そうだ」
「では、私もそうすることにしましょう。不憫な目に合うメイドたちの姿は見たくありませんから。仮に駄目になったとしても、私が独断で作り上げた改善案だということにすれば、彼女たちにかける迷惑も最小限で済むでしょう。貴方も、そうするおつもりなのでしょう?」
「当然だ」
ジョバンニは即答した。
「だが、それも必要ないかもしれない。イザベラ様は、自分が奥様に説明すると仰っていた。もしかしたら、あの方は、我々の盾になろうとしているのかもしれない」
残念ながら、勘違いである。
イザベラは手柄を独り占めしたいだけなのだが――。
思い込みというのは、修正が難しいものである。
「それにしても、このような機会が巡って来るとは思わなかった」
ジョバンニは皮肉めいた微笑を浮かべた。
「待遇の改善ですか?」
「それもそうだが――あの悪逆令嬢イザベラ様に自らの命運を託していることについてだ」
「そうですね。あの我儘娘に託すだなんて」
二人は、互いに苦笑した。
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運命の日まで、あと10日――。
翌日、ジョバンニとマーサはそれぞれ改善案を用意した。
イザベラの机の上には、二つの書類の束が置かれている。
イザベラはその分厚さに圧倒されていたが、何とか一通り目を通した。
そして――結果が予想通りだったことを確認した。
彼女は不敵な笑みを浮かべながら、結論を告げる。
「どちらがよいのか、よく分かりませんわ」
そう――イザベラには、その内容の良し悪しがよく分からなかった。
これまで使用人の管理に携わったこともなければ、考えたこともなかった。
だから、二つの案を見てもどちらがよいかなど分かるはずもなかったのだ。
「このままでは、お母様に報告が出来ません。というわけですので、お二人でこの二つの案をまとめてください。その後、私にすべて説明してください。お母様への説明は、私が行いますわ」
つまり『全部整えた上で、手柄だけは寄越せ』ということだ。
ジョバンニとマーサは、それに文句を一つも言わずに従った。
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イザベラからの命を受け――。
ジョバンニとマーサは、速やかに折衷案を作り上げた。
二人の視点から考えられた改善案の良いとこ取り。
それは、二人の知見が凝縮された実用性の高いものとなった。
イザベラは、その改善案の内容を懇切丁寧に説明してもらった。
使用人の管理に関わってこなかった彼女には、理解するのが難しい部分もあった。
ペンを走らせメモを取り、何度も質問をしながら必死になって理解した。
これから彼女は、クレアにその内容を説明しなければならないのだ。
あれだけ大見えを切ったのだから、失敗するわけには行かない。
失敗したら、どのような目にあわされるか分かったものではない。
必死になるのも当然だった。
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何とか改善案の内容を理解したイザベラは、それをクレアに説明した。
努力の甲斐あって、上手く説明することが出来た。
「私からの説明は異常ですわ。細部については、この文書に書かれているとおりですわ」
説明を受け、クレアは顎に指をあてて検証をしていた。
指で机をたたく音が、イザベラの緊張を加速させる。
呼吸をするのも忘れるほどに。
胸が苦しくなるほどの沈黙。
それが十秒ほど続いた後――。
「いいでしょう。この内容であれば、許可します」
とうとう、クレアの許可が下りた。
その瞬間、イザベラの肩が落ちた。
安堵と達成感が、同時に胸を満たす。
彼女はスカートの端をつまみ、膝を曲げながら頭を下げる。
「ありがとうございます」
かくして、イザベラは使用人の待遇改善を実現した。
カーミギーの協力を得て、クレアを動かしたのだ。
少し前の彼女なら、絶対に不可能だっただろう。
「さて――それでは、破滅回避のための行動に移りますわよ」
『やっぱり、今回のは違ったんですね?』
「はい?」
イザベラは何を言われたのか分からなかった。
だが、すぐに思い出す。
労働環境の改善は、破滅回避という大義名分に基づくものだった。
少なくとも、表向きはそう言うことになっていたのだが――。
『使用人のために動きたかったんですね。やっぱり、根はやさしいのでは?』
「ち、違いますわ」
『ええ、今回のは破滅回避のためではなかったんですね』
「ち、違いませんわ!」
『ええ、そうですね』
「何も伝わっていませんわね!?」
イザベラは、頬を赤らめながら言った。
その言葉には、羞恥と――小さな誇りが含まれていた。




