第4話 悪逆令嬢、失敗する
×××
イザベラの母親――クレア・ド・ノクスレイン。
彼女は、自分にも他人にも厳しい厳粛な人間だ。
ミスは決して許さず、失敗をした者に対しては厳しく叱責する。
それが実の娘であっても例外ではない。
抜き身の剣のような女性である。
イザベラにとって敬愛すべき身内ではある。
同時にあまり近づきたくない存在でもあった。
だが、使用人の待遇改善をするにあたっては、避けては通れない。
(気が進みませんが、仕方がありませんわね)
イザベラは戦々恐々としながら、クレアの執務室へと向かった。
クレアは、屋敷の中に専用の執務室を持っている。
使用人の仕事についても、最終チェックはここで彼女がやっている。
それは、使用人を信じていないからだ。
使用人というものは、隙があればすぐに仕事をさぼろうとする。
それどころか、悪質な場合は窃盗まで行う。
その考えの下に、厳しく管理を行っているのだ。
「お母様、少しよろしいでしょうか?」
執務室に入ったイザベラは、おずおずと声をかける。
すると、クレアは視線を書類に落としたまま声を返した。
「イザベラ。何か用があるのですか?」
「実は、相談がありますの」
イザベラがそう言うと、クレアは作業の手を止めた。
そして、イザベラを一瞥する。
それは、無機質で冷たい視線だった。
それだけで、イザベラは緊張で身を固くさせてしまう。
以前の彼女であれば、尻尾を巻いて逃げ出していただろう。
だが、今回はその選択肢はなかった。
「相談とは、どういうことです?」
「実は、使用人に関して相談させていただきたいことがありますの。最近、使用人の入れ替わりの頻度が多くなりすぎている気がしますの。何度も使用人が入れ替わってしまっては、私も不便ですわ」
話の導入はこれだった。
使用人のためではなく、イザベラ自身のための相談。
そういう体を取ることで、クレアの方針に逆らわないようにしたのだ。
「私としては、今いる使用人には長く勤めていただきたいと思っていますわ。何か、いい方法はないでしょうか?」
これは、条件の改善を見込んだ発言だ。
長く勤めてもらうためには、労働環境の改善が必要であるはず。
そして、相談という体を取ることで、母親に自発的に労働条件の改善を決めさせようとしたのだ。
これがイザベラの考えた計画。
これに対し、クレアは表情を一切崩すことなく、冷たく答える。
「成程。確かに、使用人の入れ替わりが激しいと、仕事を覚えるまでに余計なコストがかかりますね」
「そうですわ。不便ですわ」
ここまでの母親の反応は想定通りのものだった。
(この様子なら、認めていただけるかもしれませんわ)
イザベラは密かに期待した。
だが――。
「では、短期間で退職する場合は、退職金を支給しないことにしましょう。また、執事長が作成している紹介状の作成も禁じます。これで他家への転職も出来なくなるでしょう」
結論は真逆のものだった。
恐れていたことが現実になってしまった。
これだけは避けなければならないのに、何も言えない。
「まだ何かありますか?」
クレアは突き刺すような視線と共に告げた。
「……いえ。それでは、失礼しますわ」
イザベラはそう言って、執務室を出た。
彼女の行動は、最悪の失敗に終わってしまった。
×××
(やってしまいましたわ!)
部屋に戻ったイザベラは、ベッドに倒れ込んだ。
使用人の労働条件をこれまでよりも悪くしてしまった。
彼女の意図とは真逆の方向に動いてしまった。
これで使用人からは更に恨まれることになる。
破滅へ一歩近づいてしまった。
『もう少し、誘導が必要でしたね。これはボクのミスです。こうなってしまっては、お母様の考えを変えることは難しいでしょう。この件はもう諦めて――』
「いいえ、諦めませんわ!」
イザベラは枕を握り締めながら叫んだ。
「保身だけが理由ではありませんわ。確かに、このままですと私は処刑まっしぐらです。でも、それだけで終わりではありません。私が破滅すれば、使用人の皆さんも、私の家族も、ただでは済みません。それだけは避けなければなりませんわ!」
『イザベラ……』
「私はこの状況を打開して見せますわ! この『ツインドリル』に誓って!」
イザベラは高らかに宣言した。
『その髪型、ツインドリルっていうんですね』
「私が命名しましたわ!」
イザベラは胸を張り、仁王立ちをしながら告げる。
「この髪型は『不屈』の象徴! イザベラ・ド・ノクスレインの『ド』は、ドリルのドですわ! 私の目の前にどれほど高い壁がそびえたとうと、私のツインドリルがその壁に風穴を開けて見せますわ!」
『ですが、何か考えはあるのですか?』
「そんなものはありませんわ!」
堂々と告げるイザベラ。
「ですが、なんとしても、お母さまの考えを変えさせて見せますわ! かーくん、協力をお願いしますわ」
『はい、喜んで! ですが、すでに一度、お母さまは貴女の思惑とは別の方向に行ってしまっています。これを覆すとなると、何もなかった状態よりも困難になります』
「そうですわね」
イザベラはベッドから降りると、腕を組んで考え始めた。
既にクレアは使用人の待遇について決定をしてしまった。
それをひっくり返そうとしたら、否定された気分になるだろう。
「なにかいい方法はありませんの?」
『直接的なものは思いつきません。ですが、ここで役立つとしたら、やはり『人の立場に身を置く(1-3)』ことかと思います』
「それは、既にやりましたわ」
『では、もう一度やってください。こういうものは、何度やってもいいものです。どうすれば、お母様が使用人たちの労働条件を改善しようと思えるのか。お母様の身になって、改めて考えてみて下さい』
「お母様の身になって……」
イザベラは腕を組んで考え出す。
クレアの目的――それは、ノクスレイン家の繁栄だ。
では、労働条件改善と家の発展をどうすれば繋げることが出来るか。
それがイザベラには分からなかった。
労働時間を減らしたら、手入れが行き届かなくなる部分が出てくる。
それが、通常の発想である。
待遇改善のためには、それを超える利益を提案する必要がある。
(駄目ですわね。お母様の立場に立つと、使用人の労働条件を改善するメリットがありませんわ。破滅のことは言っても信じていただけないでしょうし)
早くも詰みの様相を呈してしまった。
このままでは、遅かれ早かれ破滅をしてしまうことは分かるのに。
(将来的に、私が使用人たちを取りまとめることになるのでしょうが、その時はどうすれば)
もっとも、その前に破滅が待っている。
考えるだけ無駄ではあるのだが――。
『そもそも、貴女はどうして使用人の労働条件の改善を考えたのですか?』
「それは、見ていて気分のいいものではなかったからですわ」
『でしたら、それがノクスレイン家のデメリットになるのではないですか?』
「デメリット……」
使用人たちの疲弊しきった姿。
それを見ていて、イザベラは不快な気分になった。
では――。
(私以外も、同じように感じるのでは?)
そう考えた途端、イザベラは新しい発想を得た。
「かーくん。いい考えが思い浮かびましたわ」
イザベラはニヤリと笑った。




