第2話 悪逆令嬢、計画を練る①
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運命の日まで、あと11日――。
翌朝、イザベラは執事長ジョバンニを呼び出した。
いつも通り身嗜みの整った彼の姿には、変わらぬ品位が漂っている。
(疲れていないのかしら? いえ、現状の労働条件で疲れを完全にとることは不可能ですわ。おそらく、疲れを周囲に見せないようにしているだけですわね)
イザベラはそう考えた。
その上でよく見てみると、やはり少し目蓋が少しだけ重そうだった。
それを気力で隠しているのだろう。
「お疲れのところ悪いですわね」
「滅相もございません」
ジョバンニはいつも通りの口調で答えた。
「今日は、使用人たちの健康状態について確認したいのですわ」
「健康状態についてですか?」
「勘違いしないでくださいまし! 使用人たちの健康が心配というわけではありませんわ! ただ、体調を崩して業務に悪影響が出ないか心配なだけですわ!」
無駄な意地を張るイザベラだった。
それに対し、ジョバンニは「畏まりました」とだけ返した。
落ち着いた大人の対応である。
「それで、使用人たちは、睡眠時間をどれくらいとっておられますの?」
「多少のばらつきはありますが、睡眠時間は大体四時間程度であると思います」
「四時間!?」
イザベラは思わず声を上げた。
それは、イザベラにとって『異常』な生活だった。
彼女にしてみれば、少なくともその倍は欲しいところだ。
「それでは、身体を壊してしまいますわ」
「しかし、業務をこなすためには必要な労働時間です」
ジョバンニは淡々と言った。
その態度に、イザベラは自分がおかしいのかとも考えた。
だが、そうだとしても――やはり、四時間は短すぎる。
(やはり、労働条件の改善が急務ですわね)
以前から、そういう要望自体はあったのだろう。
だが、それはイザベラの母親――クレアが許さない。
下手をすれば、状況は更に悪くなってしまうだろう。
だから、執事長たちは要望を伝えることはなかった。
結果、この現状が生まれているのだ。
「ありがとうございます。参考になりましたわ」
「よろしいのですか?」
「ええ、一人で考えたいことがありますの」
「それでは、私はこれで失礼します」
×××
ジョバンニが部屋を出て行くと、イザベラは考え始めた。
この家の当主は父親だが、その仕事は主に対外的なことになっている。
家の中を取り仕切っているのは、基本的にはクレアの方だ。
(こうなったら、お母様に直談判するしかありませんわ!)
イザベラは勢いに任せて部屋を出ようとする。
だが、右手がイザベラの頬を叩いた。
「あべしっ!? ありがとうございます!」
『うむ、よろしい』
「それで、今度は何ですの? 何か間違ったことを言った覚えはありませんわ! というか、何も言っていませんわ!」
叩いた頬をさすりながら、イザベラはそう主張した。
『どうせ、直談判をしようとでも考えていたのでしょう?』
「そうですわ!」
『少し考えてみてください。この体制を作ったのは、貴女のお母様ですよね? それを変えるよう進言したら、お母様はどう思われるでしょうか?』
イザベラはその場面を想像した。
クレアは、プライドが高く何事も仕切りたがる性格をしている。
自分の思い撮りにならないと、他人を強く責め立てる。
逆行前のイザベラがより陰湿かつ苛烈に成長したような人間だ。
「まぁ、怒りますわね。考えただけで恐ろしいですわ」
『それほどですか?』
「激しく怒ったりはしませんわ。ですが、心をえぐるような冷徹な言葉をぶつけられることになって、再起不能になりますわ」
イザベラは身震いした。
『そんなお母様が、貴女の提案を受け入れると思いますか?』
「絶対に無理ですわね」
全く聞く耳を持たないだろう。
下手をすれば、今よりも状況が悪くなるかもしれない。
「では、どうすればよろしいんですの?」
『まずは、議論を避けることにしましょう』
「避けてしまうんですの?」
『はい。少なくとも、お母様は自分が正しいと思っています。そんなお母様と議論をしたとして、お母様が持論をひっこめると思いますか?』
「思いませんわ」
『そうですね。議論をしたところで、互いに自説がますます正しいという確信を深めるだけです。ディベートのような対戦ならともかく、普通の議論では結論なんて出ません。仮に、議論の結果労働環境の改善を認めさせることが出来たとしても、それは後に大きな禍根を残すことになるでしょう』
「ああ、想像できますわ」
イザベラの脳裏には、使用人への敵意を強くするクレアの姿が浮かんだ。
万が一、労働条件を改善することが出来たとしても、使用人たちはより強いストレスを抱えることになるだろう。
「そもそも、議論をするということは、相手の意見を否定することになりますわよね」
『いいところに気づきましたね。相手の意見を否定するということは、相手の重要性を認めないことにもつながってきます。それにより、関係が悪化することになるでしょう。ですから、カーネギーも『議論を避ける(3-1)』という原則を掲げています。とにかく、避けられる対立は避けるようにしましょう』
「了解しましたわ」
イザベラは胸をなでおろした。
あと少しのところで、クレアとの全面対決が始まってしまうところだった。
そうなってしまえば、イザベラに勝ち目はない。
それどころか、状況は悪化の一途をたどっただろう。
「では、どうすればいいんですの?」
これが問題である。




