第6話 悪逆令嬢、笑顔を作る②
×××
イザベラは、泣きたい気分だった。
たった今、一生モノの恥をさらしてしまったのだ。
言いふらされでもしたら、屋敷の中で笑いものになってしまう。
それだけは、何としても阻止しなければならない。
他方で――エミリーも泣きそうになっていた。
彼女は慌てて取り繕う言葉を述べた。
「す、すみません。何も見ていません!」
「完全に見ていましたわよね!?」
「申し訳ありません。今日は、お部屋の掃除が遅くなってしまいまして。お嬢様が部屋に戻られてから、声をかけるタイミングが見つからず……」
確かに、イザベラはカーミギーと話をしながら部屋に戻った。
そして、そのまま鏡の前に立ち、笑顔の練習を始めてしまった。
結果、赤っ恥である。
「最悪ですわ! 私が笑顔の練習をしていたことは使用人たちに知られ、あざ笑われることになるのですわ!」
イザベラは頭を抱えた。
『(イザベラ、落ち着いてください)』
「(何ですの!? というか、この会話は何ですの!?)」
『(心の中で会話が出来るようです。よかったですね、これで不審がられることはありません)』
「(既に手遅れですわ! 手遅れですが……こういう状況を何とかする方法はありますの?)」
『(直接的な原則はありません。ですが、やるべきことは分かります)』
「(なんですの!? 早く教えてくださいまし!)」
『(笑って優しく対応することです)』
「(無理ですわ!?)」
『(表面をつくるということは、内部を改良する一種の方法なのです。つまり、無理矢理作り出した表情によって、精神も影響を受けるということです。ですから、笑う気にならなくても、笑った表情を作ることが重要です)』
「(分かりましたわ)」
イザベラは笑顔を作り、エミリーに向けた。
だが、錯乱した彼女は忘れていた。
その笑顔は、とても不気味なのだ。だからこその練習だったのだ。
「ひいぃぃぃ!? イザベラ様! どうか、命だけはお助けください!」
命乞いをするエミリー。
それほどまでに酷い笑顔だったのだ。
「貴女は何を言っているのです?」
「……口封じのために、私を殺そうとしているのでは?」
「どうしてそんな発想になるのですか?」
「笑顔が怖いから――いえ、何でもありません」
「ほぼ全て白状してしまっていますわね。ですが、私はそんなことしませんわ」
呆れながらも、イザベラは自信を無くしていた。
ここまで怖がらせるほど酷いとまでは思っていなかったのだ。
「……本当ですか?」
「嘘ですわ」
「お父様、お母様! 先立つ不孝をお許しください!」
「冗談ですわ!? 本気にしないでくださいまし! 貴女が黙ってくれているのであれば、私が貴女に危害を加えることはありませんわ」
「言いません! 絶対に! 誰にも! このことは、私とお嬢様だけの秘密です!」
「それなら、問題もありませんわ」
イザベラの言葉を聞き、エミリーの表情が少しだけ緩んだ。
その矢先で、第二の悲劇が彼女を襲うことになる。
「そうですわ。エミリーも協力してくださりません?」
「協力ですか?」
「ええ、そうですわ。エミリーは明るくて使用人たちに好かれていると聞いています。素敵な笑顔の作り方を是非教えていただきたいのですわ」
エミリーは引きつった笑みを浮かべた。
その表情をイザベラは不思議そうに見つめる。
「エミリー?」
「……今のが悪い見本です」
エミリーは投げやりに言った。
×××
笑顔の練習に付き合った後、エミリーは休憩室へと行った。
色々な意味で慣れないことをしたため、心身ともに疲労困憊していた。
そんな彼女を見たメイド長――マーサが声をかける。
「エミリー。どうしたのですか?」
「疲れました。今日はもう、休ませてください」
「理由次第ですが、何があったというのです」
「それは……言えません」
笑顔の練習に付き合わされていたことは言えない。
誰にも話さないと約束をしたのだ。
その約束を破れば、何が起こるか分からない。
「ただ、イザベラ様に、一緒にいるよう命じられていました。ということですので、休ませてください」
「分かりました。いいでしょう」
「やっぱり、駄目ですよね。私の仕事が終わらないと――今、何て?」
「ですから、許可します。休んでいただいて構いませんよ」
エミリーは目を大きく見開いた。
「メイド長、貴女に何があったというのですか!? 貴女はそんな人じゃなかったはずです! さては、偽物ですね!?」
「失礼ですね」
「メイド長が休みの許可をくれるはずがありません!」
「休みは不要ということですね」
「申し訳ありませんでした! メイド長は女神様です!」
「そうですか」
マーサは慈愛に満ちた笑みをうかべながら、エミリーの肩に手をおいた。
その手の温かさに、エミリーは涙が出そうになった。
なったのだが――。
「エミリー。貴女がイザベラ様の相手をしている間、他の使用人はイザベラ様の相手をせずに済んでいるのです」
「酷い!?」
「貴女はとても役に立っています。これからも役に立ってもらうために、是非とも今は休んでください」
「悪魔かな!?」
「まぁ、冗談はさておき――」
「冗談だったのですか!?」
「エミリー。貴女は、随分とイザベラ様に気に入られたようですね」
「それは誤解です!」
エミリーは慌てて釈明した。
そうしておかなければ、厄介ごとを押し付けられるに違いないのだ。
「今回のことはたまたまです! 私がイザベラ様に気に入られるなどあり得ません! ですから、生贄にするのだけはご勘弁を!」
「ええ、分かっていますよ」
「本当に、お願いします」
エミリーは深々と頭を下げた。
それほどまでにイザベラの相手をするのは避けたかったのだ。
勿論、フラグである。
×××
エミリーの協力により、イザベラは自然な笑顔を作れるようになった。
以前と比べればまだマシという程度であるが――それでも確かな進歩である。
「エミリーさんには感謝しなければなりませんわね」
『そうですね。あんな面倒事に巻き込んだのですから、普通に感謝する必要がありますね』
「何か恩に報いる方法はないでしょうか」
イザベラは腕を組み、考え込んだ。
だが、特にいい案は浮かんでこない。
給料アップも考えたが、あまりに普通で面白くない。
(何か画期的なことは出来ませんかしら? 出来れば、エミリーが感謝してくれるような)
そう考えていると、ふと以前読んだ小説のことを思い出した。
小説の中での悪役令嬢は、メイドに対してどんな対応をしていたか。
それに対して、メイドはどんな反応を示していたか。
「そうですわ! ここは物語の悪役令嬢に倣うことにしますわ」
『なんだか、余計なことを考えていませんか?』
「そんなことはありませんわ」
イザベラは早速メイド長――マーサを呼び出した。
呼びつけられたマーサは、嫌な顔一つせずにイザベラの呼び出しに応じた。
「お呼びでしょうか?」
「ええ、よく来てくれましたわ。実は、エミリーを私の『専属メイド』としたいんですの」
「エミリーをですか?」
流石のマーサも、表情がわずかに引きつる。
「他に適任がいるように思いますが」
「いいえ、彼女でないといけないのですわ」
「何故です」
「思い出しましたの」
「何をです?」
「そういうものだということをですわ」
逆行悪役令嬢は、最初に実験台となったメイドを専属にするものなのだ。
そして、専属メイドとなった者は、それなりに悪役令嬢に感謝する。
物語上の逆行悪役令嬢とは、そういうものなのだ。
(これで、恩を返すことも出来ます。我ながら、いい判断をしましたわ)
イザベラは己の采配に満足した。
エミリーからしてみれば、迷惑以外の何物でもないのだが。
ちなみに――。
少ししてから、屋敷内には「ぎょえー」というメイドの悲鳴が響いた。




