第5話 悪逆令嬢、笑顔を作る①
×××
運命の日まで、あと12日――。
イザベラは使用人たちとの関係を順調に修復していた。
ぎこちないながらも、挨拶を交わすようになり、少しずつ距離が縮まっている。
だが、これで満足するイザベラではない。
この程度では、破滅の運命の回避は不可能だ。
だから、彼女は更なる好感度アップを目論んでいた。
「ここまで、非常に順調ですわね」
『貴女がそう思っているのであれば、そうなのでしょうね』
「言い方が投げやりですわね」
『最大限オブラートに包みました』
「包んでもそれですの!?」
『妥当なところかと』
「まぁ、いいですわ。そんなことよりも、今以上に使用人たちに好かれるためには、どうすればいいと思いますの?」
『そうですね。では、笑顔を心がけてみればいかがでしょう?』
「笑顔ですの? 確かに、私の笑顔には百万ゴールドの価値があるとは思いますが――」
『面白い冗談ですね』
「冗談ではありませんわ!」
『戯言はさておき――たかが表情と思うかもしれませんが、笑顔と言うのは非常に有効なのですよ。異国の人類学者の調査では、個人間におけるメッセージの伝達力について、言葉で伝わる割合は35%に過ぎないそうです』
「そうなんですの? では、残りの75%はなんですの?」
『残りは65%ですね』
「揚げ足を取られましたわ!?」
『正当な指摘ですが!? ちなみに、残りは、表情や仕草などの非言語手段です。表情というのは、それほど重要なものなのです。ですから、笑顔は言葉以上に『好意』を伝える力を持っているのです』
「そんなものですの?」
『じゃれてくる動物って、可愛くて仕方がないと思いませんか?』
「そんなものですわね! 納得するしかありませんわ!」
『それです。そして、好意を向けられているということは、価値ある人間として認めてくれているということになります』
「重要感を持たせる、ですわね!」
『はい、その通りです。ですから、カーネギーも『笑顔を忘れない(2-2)』ことを原則の一つとしています』
「分かりましたわ」
「では、早速やってみて下さい」
「こうですの?」
イザベラは口角を上げ、目を細める。
それは彼女なりの『素敵な笑顔』のはずだったのだが――。
『……悪くはありません』
「駄目なんですのね!?」
『正直な感想を聞きたいですか?』
「聞きたくありませんわ!」
『厄災をもたらしに来た悪魔の子のようでした』
「聞きたくないと言いましたわよね!?」
『だから言いました』
「最低ですわ! というか、私の笑顔はそこまで酷いんですの!?」
『まぁ、鏡の前で練習をしていきましょう』
イザベラは鏡の前で練習を始めた。
鏡にうつるその表情は、酷いものだった。
笑顔らしき表情にはなっているが、目が笑っていない。
親しみやすさはなく、不気味さだけが生まれている。
(こ、これはマズいですわ……)
この表情で人前に出れば、好感度は急降下するだろう。
不本意ながら、イザベラは練習の必要性を実感した。
というわけで――。
イザベラの笑顔の特訓が始まった。
鏡の中で笑顔を浮かべながら、少しずつ修正していく。
その一連の所作を瞬時に行えるようにしなければならない。
イザベラは真剣に訓練に励んでいた。
そして――その時は訪れた。
練習をしていると、鏡の端におかしなものが映り込んだのだ。
それは、姿勢を低くしながらこちらの様子を窺うメイドの姿。
「……エミリー?」
イザベラは固まった笑顔のまま、ぐるりと振り返った。
そして、凄まじい速度でエミリーを捕獲した。
×××
数分前――。
メイドのエミリーは、イザベラの部屋を掃除していた。
いつもなら、もう少し早い時間に掃除は終わっているはずだった。
だが、今日は諸々の用事があり、イザベラの私室に来るのが遅れてしまった。
それがまずかった。
イザベラが突然部屋に戻って来たのだ。
その時、丁度エミリーは床に落ちていたゴミを拾うためにしゃがんでいた。
そのため、イザベラがエミリーの存在に気づくことはなかった。
そして――。
「ここまで、非常に順調ですわね」
などと独り言を言い始めた。
誰かが一緒なのかと思ったエミリーは、とりあえず様子を窺うことにした。
だが、どう見てもイザベラ一人しかいない。
つまり――。
(これは、イマジナリーフレンドとの会話!?)
見てはいけないものを見てしまったことになる。
あるいは、聞いてはいけないものを聞いてしまったことになる。
エミリーは身を隠したまま、イザベラが部屋を出て行くことを祈った。
その後に、エミリーもこっそりと部屋を出ればいい。
だが、イザベラが部屋を出て行くことはなかった。
それどころか、独り言を続けたのち、鏡の前に座った。
そして、鏡を見ながら不気味な笑顔を作り上げていた。
その意図をこれまでの独り言から推理すると――。
(もしかして、笑顔の練習?)
こういうことになる。
考えてみれば、これまでイザベラの笑顔を見たことがなかった。
使用人の前でのイザベラは、いつも不機嫌な顔をしていた。
それを改めようとしているのかもしれない。
一人で、こっそりと。
(だとしたら、これも見ちゃまずいのでは……)
それに気づいた時には手遅れだった。
鏡に映るイザベラの瞳。
それが鏡越しにエミリーを見ていた。
(やっちゃった~!)
そう思った次の瞬間には、目の前にイザベラの姿があった。
顔を真っ赤にし、目を血走らせている。
まるで飢餓状態の肉食動物。
エミリー、絶体絶命である。




