第2話 悪逆令嬢、名前を覚える②
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イザベラは、部屋の隅に置かれた銀のベルを鳴らした。
これは魔法を用いた道具であり、執事長の部屋にあるベルから音が出るのだ。
執事長は、数分も立たないうちにイザベラの部屋へとやって来た。
彼は、単眼鏡をつけた壮年の男性だ。
細身で背が高く、髪はシルバーグレー。
皴一つない執事服が、彼の几帳面な性格を物語っている。
「御用でしょうか、イザベラ様」
無感情な声で、執事長が尋ねた。
「ええ、使用人たちの名簿を頂きたいのです」
「畏まりました」
執事長は理由を聞かなかった。
ノクスレイン家の人間に命令されれば、それを実行に移す。
それが執事長の職務なのだ。
何よりも――理由を聞いたら面倒なことになる。
主人との接触を最小限に抑えるのが、この家における処世術なのだ。
「ああ、それと……。使用人たちの間に、絵をかける人はいますの?」
その言葉に、執事長の眉がわずかに動いた。
流石に、この質問は予想外だったのだろう。
「探せばいると思いますが」
「それぞれの使用人の似顔絵を描いておいていただきたいのですわ。それと、業務内容も。趣味や興味を持っていることなども出来る限り詳細に追記していただきたいですわね」
これは名前を覚えるために必要なことだ。
基本的に、イザベラが一人一人の使用人を気にかけるような機会はない。
最も関わりのあるエミリーでさえ、一日に三十分以上は関わらないだろう。
だから、名前を覚えるためにはそれなりの工夫が必要となるのだ。
「それでは、執事長。お願いしますわ」
「畏まりました。ちなみに、私の名前はジョバンニです」
「……覚えておきますわ」
×××
運命の日まで、あと17日――。
名簿の作成は、執事長――ジョバンニが一晩でやってくれた。
イザベラの注文通り、名前だけでなく担当業務やイラストもある。
名簿を受け取ったイザベラは、名簿とひたすらにらめっこをしていた。
記憶の端っこにある使用人の姿と名簿の内容を一致させていたのだ。
それで足らない部分は、屋敷内を徘徊して実物を確認しながら補った。
そして一日が終わる頃――彼女は確かな手ごたえを感じていた。
(完璧ですわ! 使用人の名前はこれで完璧に覚えましたわ!)
満足げに名簿を閉じるイザベラ。
その表情は、まるで偉業を成し遂げたかのように晴れ晴れとしていた。
これで準備は完了。
明日から、彼女の計画が本格始動するのだが――。
それにより、使用人たちに大きな混乱をもたらすことになる。
×××
運命の日まで、あと16日――。
翌朝、イザベラはいつものようにメイドの補助を受けながら着替えを済ませた。
朝食用のドレスに身を包み、鏡の前で軽く髪を整える。
それが終わると、振り返り、控えていたメイドに顔を向けた。
そして――。
「いつもありがとう、エミリー」
この日、イザベラは初めて彼女の名前を呼んだ。
そのついでに、感謝の言葉も添えてみた。
イザベラの予想では、エミリーは驚きつつも、喜んでくれるはずだった。
だが、現実は違った。
エミリーは顔を引きつらせ、涙を浮かべていた。
そして震える声で「と、とんでもありません」と言い残し、部屋を出て行った。
言葉だけ見れば、ほぼ想定どおり。
だが、その表情はまるで幽鬼にでも遭遇したかのようで――。
(なんだか、思っていたのと少し違いますわね)
イザベラは、こくりと首を傾げた。
だが、言うべきことは言ったのだ。
少なくとも失敗ではないと彼女は考えた。
「どうです、かーくん。いい感じでしたと思いません?」
『……正気ですか?』
「何か問題でも?」
『今のは、名前を呼んでもらって感激したリアクションではありません。言葉を話せないはずの化物が突然人間の言葉を話し始めたのを見た人間のリアクションですよ』
「どういう意味ですの!?」
『そういう意味です』
「失礼ですわね!?」
憤慨するイザベラ。
そんな彼女をよそに、カーミギーは話を進める。
『今のが成功かどうかはさておき――』
「成功ですわ!」
『さておき』
「おきませんわ!」
『さておけ』
「命令系!?」
「閑話休題といきましょう。話を本筋に戻します。貴女のとった方向性は間違っていません。それに、お礼の言葉を告げたのはグッドでしたよ。お礼の言葉を言うということは、その価値があることを相手に伝えたということです。ですから、自分にとって相手はその価値がある重要な人間だと伝える役割と持っているのです』
カーミギーの言葉は、少しだけ優しかった。
それは、イザベラの成長に対する賞賛によるものなのだが――。
「私にかかれば、こんなものですわ!」
『アンタ、ちょっとチョロすぎません?』
その賞賛は、即座に雲散霧消した。
単純かつチョロい女なのである。




