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最後の一球

作者: 小悠
掲載日:2025/10/04

「ハァ、ハァ」

どうしても息が上がるのを止められない。一言で表すなら、緊張というものなのだろうか?。


県中総体少年野球地区予選大会会場である、スタジアムのロッカールームに、無造作に置かれている年季の入ったボロボロのベンチに腰掛け、俺は密かに息を巻きながら肘を膝に乗せて肩を落としていた。


矜持と捉えていいものか知らないが、有り体に言えば俺は県の中でも名だたる逸話を残した、いわゆる強豪野球部に所属している。ただし、俺は試合でレギュラー、スターティングメンバー(以降スタメン)として出場した事自体滅多になく、いつも毎試合ベンチでひたすら声を出し、プレイヤーであるチームメイトのサポートに徹する補欠だ。別に試合に出れないから、悔しいといった感情はない……、いやあるかも。

自分でも、己の心身は他のチームメイトたちよりも劣っている事は既に理解している。後輩には1人だけタメ口で接しられ、アップ練習の際、三年生が先頭に後ろから二年、一年と学年順に縦に並び、いくつも横に列を組んでからダッシュやキャリオカなどをウォーミングアップで行う。そして互いに走り終えた後は必ず後に走ってくる後輩とハイタッチを交わさなければならないのが慣例だ。理由?あまり特別な意味はないだろうが、強いて言うなら信頼関係を築く為と言った方が正しいだろう。そこで俺は毎度、タッチをしようにも自分がナメられてるせいか、わざと俺の翳す手を避けてくる後輩もいた。正直、こういう出来事もあるもんだから途中で部活を辞めたくなる日があるにはあった。監督の熱烈な指導による怒鳴り声、それとは裏腹に後輩の冷たい態度、等々。ただ、全て自分が悪いんだ、お人好しで人に対して強く怒りを露わにした日なんてほぼなかった。なぜ引退目前まで野球を続けられたか、甚だ疑問で己に訳を自問自答する毎日だった。


如何んせん早くも、地区予選大会の一回戦は益々時が過ぎる度に近くなっており、自身でも理解しがたい程の張り詰めた強い緊張で体がどうしても震えてしまった。それと同時に、脈絡も無さそうな言葉だろうが言わせてもらうと、とにかく心が踊ってしまった。あの時の俺はきっと野球部を引退したい一心だったんだろう。ようやくあの過酷で苦しい日々から解放されるんだ、と俺は緊張という感情の中に疾しい気持ちも含ませてしまった。


「集合!!!」

そうロッカールーム全体に漂う冷たい空気を断ち切る溌剌とした大声を上げたのは、俺のチームを牽引するキャプテンだ。こいつは小学生の頃、スポーツ少年団に所属している時もキャプテンに務めていた。こいつのエネルギッシュで活気ある声、加えて明るい人格に俺は心が救われていると思う。キャプテンの集合の合図と共に部員全員、監督の前に円形状になる形で「失礼します」と言って体育座りの体勢で尻を床に尻を付けた。キャプテンが「お願いします」と監督に伝えると、監督は無表情で部員達の目に視線を送っている。


しばらくの静寂の後、監督は口を開いた。

「うん………やっぱ緊張してるよな」

さすが強(・)豪(・)校(・)の(・)監(・)督(・)。彼の並外れた『人を見る観察眼』にはいつも驚かされる。いや、今日に限っては空気感的に目を光らせずとも選手の表情や挙動で幾分かこの状況を理解出来るか………。


「でもな、緊張してるって事はそれだけ頑張ってきたって事だ。この初戦、全員で勝ちにいこうぜ。勝って全県いくんだろ?先輩達の成せなかった、全県優勝目指していこう」


監督は熱が帯びた発言で選手全員を鼓舞した。部員たちはその言葉でやっと緊張が振り解けたのか、一気に熱意たっぷりな勝利へと向かう表情と姿勢に変貌しているのが見てとれた。もちろん、俺もそのセリフのお陰で幾らか俄然勝負へと向かう熱意が高まってきた。しかし、それでもそのあったまった心の奥底にこびりついた後ろめたい心情だけは、どうしても拭いきれなかった。そう複雑な感情を引きずりながら俺は、小綺麗で純白だったはずの、焦茶色の泥が付着したスパイクを履き、愛用のバットとグローブにニリットル水筒を手に強く握って、ロッカールームを抜け出し俺はグラウンドへと向かうための通路に歩みを進めた。


グラウンドまでの距離は刻々と迫っている。俺と部員全員、一列に整列し、グラウンドの土を踏み準備は整った。そうこうしている内に、大会のスタッフらしき人が自分達の通った通路から現れたやいなや、「どうぞ…!。健闘を祈ります」と一言言ってグラウンドへと繋がる重厚そうなドアを両手でこじ開けた。


開けた瞬間まずはキャプテンから「お願いします!!!」と気持ちのいい大声でグラウンドに挨拶し、それに続いて他の部員たちもグラウンドに向かって挨拶をする。そして遂に俺の番が回ってきた。俺は太陽で照らされた、最高のコンディションに仕上がったグラウンド目掛け、幾千もの感情を込み上げる。ドアを突き抜けた刹那、俺は口から声と空気に混じったありとあらゆる感情を吐き出した。


「お願いします!!」


グラウンドの地を踏み締め、辺りを見渡す。

上には文字通りスカイブルーの晴天の空、目線を少し下げるとスタンドで自分達の出場を待ち望んだ学校の生徒や先生、自分らを長年支えてくれた保護者の方々が目に映った。多分、この瞬間だけは疾しい気持ちが消え去ったように感じていたと思う。だってこんな経験、今まで初めてだったから。感傷に浸っている場合はない、すぐさま道具をダックアウトに置いてグラウンドまで走り掛け、即チームメイトとクイックよりのキャッチボールを開始した。数分後、早めにキャッチボールを終了させ、ダックアウト前に集合してからすぐ野球ではお馴染みの、七分間のシートノックをキャプテンの掛け声の後に開始した。このノックでは、スタンドの観客全員が選手である自分たちに目線を送っていた。俺は注目されるのが苦手で、気恥ずかしくなってしまう。でも自分のプレーを眺めてくれている人が多数いると思うと、俺はそれとなく晴れ晴れしい気持ちになってしまった。



七分間のシートノックが終わり、いよいよ試合が始まる。俺たちの士気は最大限度までに向上し、情熱も気合いも、闘志もほぼフルスロットルに達していた。

絶対勝つ。皆それだけを意識し、試合に臨んでいくだろう。言い忘れていたが、相手もかなりの強豪だ。

こちらも彼らから初戦勝利をもぎ取るための手立てを企てている。


試合開始前、俺と部員達もスタンドの観客もグラウンド全体の音が静まり返り、辺りは無音の空気でいっぱいになっていた。しかしその無音を切り裂く審判による、整列の合図がグラウンド全体に響き渡る。

「シャアアアアアッッ!!!」

その合図と共に、俺らは威勢よくホームベースに向かい、周りに相手チームに向き合う形で並び、頭に被った帽子のつばをつまみ、脱帽する。俺は相手チームの選手と視線を合わせ、

「互いの勝利を願って、さあいきましょう!」

審判の試合開始の合図が耳に届くと俺らは帽子と共に、俺と部員達は五厘刈りされた坊主頭を深々と下げ、開口一番、全員の挨拶が開場に響いて試合が始まった。


「お願いします!!!」

スタメンはグラウンドを駆け、それぞれのポジションへと付き、俺はダックアウト及びベンチへと向かった。




試合開始から1時間半が経過。

七回裏、○対○。超絶ピンチである。この回、○点を

速攻奪い取らなければ、初戦敗退という結果になってしまう。ここまで俺は、ずっと、ずぅーっと声を上げてきた。チームメイトにただ実力を最大限発揮しこの試合で最善を尽くし、盛り上げて欲しいと思っていた。ピッチャーもキャッチャーも、内野も外野も、

全員この試合を全力でひた走ってボールを追い、掴み投球していた。それでも、現実とは厳しいものなのか、中々点数を入れるのは困難を極めていた。そこで俺の闘志と熱意が微妙に冷めていくの常に感じた。喉枯らし、声が尽きそうになっても、今初戦勝利を狙って奮闘するチームメイトを応援し、鼓舞するのが俺の役目だから。取り柄だから。

だが、熱が冷めてく度にさもしい気持ちが蘇がえってくる。やめてくれ、ここだけは全感情を昂らせておくれよ、と切に願っても俺の声は喉から詰まって吐き出せなくなってしまった。同じくベンチメンバーである後輩たちは、必死に先輩達を思って指示や励ましの声掛けをしているのに、俺は途中で声を出すのを止めた。諦めたんだ。絶対に勝てない、お前は解放される、好きな事をやれる。そういった薄汚い感情と、未だに燻る熱意と闘志が拮抗し、俺の心を蝕んでいく。

そうやって苦心し、呆然とする俺に、ある人が自分にとってもはや激励にすら近しい言葉を投げかけてくれた。


「悠陽、お前代打出れるか?」

それは監督だ。

「え?僕ですか?わ、分かりました」

正直俺はそれを聴いて驚き、動揺していた。確かに自分は人(・)よ(・)り(・)も(・)打(・)力(・)は(・)あ(・)る(・)とは監督に言われてきたけど、俺みたいな補欠をこの公式戦に選出していいのか?と懐疑心を抱いていたが、即座にその提案を承諾した。


七回2アウト、俺の出番だ。俺は愛用のバットをバッティング手袋を着用した手で握り、バッターボックスに足を踏み入れる。その瞬間自分が相手チームの選手とスタジアム全体の観客の一番に注目の目を浴びているのを肌身で実感した。俺は一人のバッターとしてこの人生最大の大勝負に出ていると。


「プレイ!」

ゲームが始まった。ピッチャーは俺へと鋭い視線で睨みつけ、投球の態勢をとっている。俺もそれに応じ、

思い思いの一番力の入るパワーポジションで構えた。

ピッチャーが遂に投球の態勢から脚を高く上げ、

精悍なフォームから投げ込んだ。そのフォームから繰り出されたボールは空気をも切り裂く速さでど真ん中に飛び込んできた。俺は

右足を軸に、力を手に込め最高の構えでボールを狙う。ボールとの間隔は1メートル程、俺は確実に白球を捉えていると、感じた。


その瞬間、硬いゴム同士が衝突し合う鈍い重低音が鳴り響く。

ボールは内野を超えて外野左、レフト目掛け空高く舞っていく。アーチを描き、スタンドに放り込むか。でもそれは一つの願いにしか、過ぎなかった。レフトは宙を飛ぶボールの落下する位置に正確に移動し、俺の野球人生を掛けて打った白球はレフトの掌中に収まった。




試合終了、ロッカールーム室内。

ほとんどの三年生が初戦敗退による後悔からなのか

泣きせびく者が多かった。チームメイトのすすり泣く声、俯き流れる涙を隠そうとしていた奴もいた。

気さくなキャプテンも外聞もなく、顔を真っ赤にし

号泣していたのを覚えている。

もちろん負けて俺も悔しいし、申し訳なさまで感じてくる。もしもあの時自分がもっと長距離打撃をかましていたなら、ピンチの状況から巻き返せたかもしれない。罪悪感が頭の中で渦巻き、チームメイトと顔を合わすのさえかなわなかった。長い間ロッカールームで

嗚咽していると、監督が部屋のドアを開き、キャプテンはそれに咄嗟に気づいたのか「集合」と涙ぐみながら、無理くり声を捻じ上げるように言った。

試合前の時と同様に、円形状に並び、体育座りをした。監督は唇を噛み締め、俺達部員の涙が流れるのが収まるまで俺達の顔を一人一人伺い待っていてくれた。数分間泣くのを止められなかったが、なんとか全員涙を最低限抑え、監督の話に耳を貸した。監督は表情一つ変えずにスコアの紙をチラチラ確認してから、ミーティングを始めた。

監督とのミーティングで、正直どんな内容だったか、曖昧で記憶に残っちゃいない。ただ、覚えてるのは監督の話は、俺たちを励ますようなもので俺たちを宥め、笑顔で接してくれた。そこで俺がそのミーティングの中で一番印象に残っている言葉が頭に残ってる。それは、「負けた事に悔いはあっても、三年間努力してきた事に悔いはないんじゃないか」というものである。確かに、初戦敗退したのには変わりないし強豪校であるにも関わらず負けてしまった事実は必ず人生で苦い経験として記憶に刻まれはするだろう。


しかし、

この三年間は互いに切磋琢磨し高みを目指し、努力を欠かさず毅然とした姿勢で真摯に野球に取り組んだんだから後悔はないだろう。そう監督は俺達に教示したかったのだろう、と俺は考えた。その名言じみた言葉は今の俺の心にも記憶されている。辞めたかったけど、この三年間、俺は最後まで野球をやり遂げた。

最終打席に出場できたのは俺にとってもいい思い出で、更に追憶していくと本当泥臭く、青臭くて、汗の滲む素晴らしい記憶が思い出す。ああ、俺ってやっぱり、野球が心底好きだったんだって、今気付けたよ。


最後に簡単に一言だけ。

野球部のチームメイト達、監督、この三年間、俺と共に野球やってくれて、ありがとう。ただ後輩達だけは許せないかな。













お願いしますという言葉が多くてすみません

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