第9話
◇
その頃、森の奥では──
緩やかに続く土の歩道を、屈強な獣人たちが次々と集い、列を成して進んでいた。
木々の間から射し込む光が鎧や毛並みに斑模様を描き、踏みしめられた土は長年の往来で固く締まっている。
足音は揃い、低い息づかいだけが森に溶けていく。
先頭に立つのは、胸まで垂れた白髭をなびかせる老獣人。
その隣で、黒き獣人ムファールが声をかけた。
「……ムルハンの話、本当ですかね、トリット様」
白髭の老獣人──トリットは歩みを崩さず、ちらりと視線を向ける。
「……あやつは昔から、尾ひれを付けて物を語る癖がある。信用しきるのは危うい」
ムファールは唇を噛み、しばし黙り込む。
「……見間違いであって欲しいですね」
「だが……もし本当に“魔導士集団の奇襲”なら、厄介極まりない」
トリットは目を閉じ、深く息を吐く。
「我々、対人族戦闘の経験もありませんし……魔導士となれば、かなりの死傷者が……」
それでもムファールの瞳には、恐怖よりも覚悟の色が宿っていた。
「ふむ……他の集落《にも伝達は済ませた。数百人で囲めば、何とかなるじゃろう」
白い髭を指先で整えながら、トリットは低く続けた。
「……とはいえ、“使者”の可能性もある。だが、どちらにせよ──危険じゃ」
◇
一方その頃、円陣を組んで作戦会議をする三人──
「……塔から来たなどと言えば、モンスター扱いされますので伏せます」
オルヴァンが真面目な顔で口を開く。
「で、正直……オルヴァンは何者だ? 塔の最上階ってことは……」
ヴォルテが話を折る。
「分かりませんが、塔の一部……もしくは妖精、かもしれません」
「は? おっさんが妖精なんて言ってたら、モンスターより怖がられますよ」
ヴォルテは即答する。
オルヴァンは咳払いして続けた。
「……では、こうしましょう。シロップさんは人族の貴族風に演出し、ヴォルテさんと森で出会って人里に向かう、という設定で」
「なるほど、それで俺様が二人を助けて連れてきた、と」
ヴォルテが頷く。
「逆です。大怪我をして記憶が曖昧なヴォルテさんを、我々が助けた──その方が警戒心も薄れます。万が一、“記憶修復”できる者が里にいれば、私が対処します」
「……貴族風って、分からないんですが」
シロップが不安そうに言う。
「大丈夫です、そのままで結構」
オルヴァンは視線を二人に巡らせ、低く告げた。
「仮に事態が拗れても、一方的に我々が勝るでしょう。無駄に怪我をさせる必要はありません。基本は逃走方向で考えます」
「えぇ〜……」
ヴォルテが残念そうに口を尖らせる。
「俺は何も覚えてない、で通せばOK?」
「名前には少し真実味を持たせましょう。記載を参考に……『ヴォルテ・トゥットゥ』で」
「トゥトゥ?」
「トゥットゥです」
「トゥ〜トゥ〜?」さらに口を尖らせる
「トゥットゥ、ですっ」
「トゥウ?」
「トゥットゥ!!」
──耐えきれず、シロップが肩を震わせて笑い出しそうになる。
「こ、これ以上は……ツボに入りそうです」
ヴォルテも震えながら、
「トゥットゥゥ!」
「トゥットゥですっ!」
◇
「……居ますね、トリット様」
木々の陰から、静かに三人を見つめるムファールが低く告げた。
「ふむ……唯ならぬ雰囲気じゃな」
トリットは目を細め、白髭を撫でながら深く頷く。
「刺激せぬよう、まずは我ら二人で行こう。ゆめゆめ軽挙なきよう……」
ムファールは即座に応じた。
「シャーフ、全員に“潜伏”を伝えろ。万が一あれば、私がトリット様を全力で森まで退かせる。合図で一斉に入れ替わるように」
「ハッ!」
若き獣人・シャーフが一礼し、枝葉をかき分けながら静かに走り去る。
トリットはゆっくりとムファールに向き直った。
「……ムファールよ。お主が居らねば、村で良き酒も造れぬ。自分の命、粗末にするでないぞ」
「木から降りられず泣いておったお前が、こうして立派になって……わしはもう、思い残すことはない」
「……トリット様……必ずや、お守りします」
ムファールは拳を強く握りしめ、静かに前を見据えた。
⸻
その頃、巨樹のもと──
「……おいでになりました」
シロップがそっと立ち上がり、森の端を見つめる。
オルヴァンとヴォルテも、続いて姿勢を正した。
「トゥットゥさん。口数は少なく、威厳のある感じで。……もし無理そうなら、別人格で対応をお願いします」
「任せてください。私めが、魅せて差し上げましょう」
ヴォルテはフードを深く被り、首をゆっくりと傾ける。
森と巨樹のちょうど中間地点──
そこに、ゆっくりと歩みを止める二人の獣人の姿があった。
ヴォルテもまた、静かに歩き出す。
風が彼らのマントをばさりと持ち上げる。
黒、白、赤──三色の布が空に揺れ、柔らかな陽光を反射していた。
ゆっくりとトリットへ歩み寄る。
顔がはっきりと見える距離まで来た瞬間、ムファールが半歩前へ出て、サッと手をかざした。――「止まれ」という無言の合図。
オルヴァンとシロップは、穏やかな笑みを保ったまま足を止める。
オルヴァンがヴォルテの袖をそっと引くと、ヴォルテも歩みを止めた。
森の静けさが一層濃くなる中、わずかな風が三人の衣を揺らす。
その姿は、怪しげなマントをまとった旅人──あるいは、異界からの使者のようにも見えた。
その不気味さが、沈黙の帳をいっそう重くしていく。
「どちらから参られた。ここは、獣人たちが静かに暮らす土地」
トリットの声には、わずかな苛立ちが混じっていたが、剣呑な色はない。
(慎重に……あれらは只者ではない)
ムファールは無言のまま、指先一つ動かさずに三人を凝視していた。
その瞳は、相手のまばたきや呼吸すら計るように、細かく動きを追っている。
ヴォルテがゆっくりと、フードを下ろした。
――そこには、予定にはなかった白く立ち上がるモヒカンの毛。
おそらく、トリットの髭を参考にした即興の演出。
シロップはその瞬間、思わず目を逸らし、足元の草を見つめる。
ヴォルテは2人をチラリと見やり、にやりと笑った。(サプラーイズ)
オルヴァンは笑みを保ったまま、真っすぐ前を見据えている。
トリットの瞳に、同族の姿を見つけた一瞬の安堵が浮かぶ。
だがムファールの視線は、さらに鋭さを増した。
「私は訳あって裾野で過ごしておりましたが、お二人と出会い、旅に同行するため降りてまいりました」
ヴォルテが落ち着いた口調で告げる。
トリットはわずかに顎を引き、思案の色を見せた。
「ふむ……裾野は超獣の巣くう危険な土地……返答に困りますな」
(追及しすぎれば危ういが、こちらも探らねばなるまい……)
オルヴァンが一歩前へ出て、片膝をつき、静かに口を開く。
「ラフロフト帝国から、湾岸都市コロボスへ向かう途中、彼と出会い、暫くご一緒しておりました」
(帝国から……)トリットの視線が、ちらりとシロップに移る。
「トゥットゥ殿は、滝が見える岩壁に仮住まいを。超獣から身を隠すには都合のいい場所……」
「ふむ……」
(“トゥットゥ”……古の響きが残る名。それに滝が見える岩壁……)
「その岩壁には、白い紋様などございませんでしたか?」
「紋様は見られませんでしたが、採掘の跡のようなものはありました」
トリットの口元がわずかに緩む。
「ふぉっふぉっふぉ……手荷物が少ないのは、マジックバックをお持ちだからですな?」
「はい」
そこでトリットは、ゆっくりとオルヴァンの元へ歩み寄り、両膝をついて手を差し出す。
「探ってしまって申し訳ない。どうぞお立ちください。皆様のお名前を伺っても?」
「私は、オルヴァンとお呼びください」
「こちらは、シロップ殿です」
オルヴァンがシロップを示すと、彼女も静かに「エリー・シロップ」と頭を下げた。
最後にトリットは、ヴォルテの前へと向き直る。
ヴォルテはゆっくりと胸に手を当て、「ヴォルテとお呼びください」と告げた。
トリットは森の奥へ向き、パチンと高く手を打った。
「トリット・カカ・トゥッティの名の下に、客人を迎える。異論ある者は、遠慮なく名乗り出よ!」
年寄りとは思えぬ、重く澄んだ声が森を揺らし、その余韻が枝葉を渡って遠くまで響いていく。




